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52.並んで
「こんなに嬉しいの……いつぶりだろう。景介 が生まれた日以来かな?」
そう言って強引に涙を拭う。
「おかしいな。何も言えない。伝えたいのに、伝えられない。……言葉にならないよ」
「おじさん……」
「本当に良かった」
聞こえてきたのは安堵 の声だった。一喜も悟っていたのだろうか。父・アーロンのように。
「景介」
一喜は優しくそれでいて重く息子の名を呼んだ。
「今の気持ちを忘れないようにね。大切に、大切にするんだ」
その言葉には様々な思いが込められているようだった。とりわけ後悔の念が強いように思う。
――自分のようにはなるな、と。
「~~親父……っ、ごめ……いや……っ……」
景介は首を左右に振った。彼は変わろうとしている。失うことを恐れ、幸福に背を向け続けてきた――そんな自分自身から。
「……あ、……ありがとう」
一喜の黒目がちな瞳が大きく見開く。彼も気付いていたのだろう。景介の癖と、その奥底に潜 む孤独の存在に。
「っ!」
無機質な着信音が鳴り響いた。ルーカスのものでも、景介のものでもない。一喜の方を向いたのと同時に音が止んだ。
「はい。白渡 です」
漂う緊張感。初めて見る姿だった。淡々と状況を確認。指示を出している。戸惑うのはルーカスだけ。景介は平然としている。
「ごめんね。こんなめでたい日に……」
「いいから行けよ」
一喜は眉を下げ、ルーカスを見やる。
「景介のこと、よろしくお願いします」
「……え!? あっ、はいっ!」
「~~っ、さっさと行けって」
「はいはい。じゃ、いってきま~す」
二人揃って一喜を見送る。走り行くその姿は軽やかで滑稽 ですらあった。
「……ったく……っておい。どこ行くんだよ」
「おばあちゃんとおじいちゃんのところ」
足早に仏壇の前へ。決意と思いを香煙 にのせていく。手を合わせている間に足音が近付いてきた。景介は何を伝えるのだろう。線香を焚 く姿を薄目に捉えながら想像を膨らませていく。
「あっ……」
不意に間の抜けた音が鳴り響いた。腹の虫の仕業だ。
「あ、はは~……何か、すみません」
「仕方ないだろ。時間も時間だし」
「わっ!? もうこんな時間……」
手元の時計は18時をさしていた。驚きと共に疲労が込み上げてくる。
「この前の弁当屋のでいいよな?」
「ああ……――っ!!」
同意しかけたところで慌てて待ったをかけた――。
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