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115.春風の中で

 そこには微笑みを浮かべる景介(けいすけ)の姿があった。立っているのは(さかき)大橋。地上では桜が、空の上では星々が瞬いている。服装は今のものとまったく同じ。ギプスも付けられていない。そんな彼から伝わってくる感情は、むず(がゆ)くも心地いい。 「この橋に立った時、正直……笑えんのかなって不安で仕方がなかった」  景介に(なら)い、その日のことを思い返していく。体の傷は癒えても心の傷は癒えず残り続けている。車通りの多いこの場所に立った時、改めて痛感した。酷なことをしている。そう思いつつも自信も抱いていた。 「……けど、気付いた時には笑ってた」  言いながら微笑みを浮かべる。つられるようにしてルーカスも。 「へへっ、これも照磨(しょうま)先輩の教えの――」 「いや、それだけじゃない」  即座にあがる否定の言葉。またいつものアレルギーか。眉をひそめると甘い香りが漂い始めた。  ――察した。  全身を生温かな炎が包み込む。ぱたぱたと片手で顔を扇ぐと大口を開けて笑い出した。憎めない。ほんの少しも。それほどまでに心を奪われてしまっているのだ。この白渡(しらと)景介という青年に。 「次は俺の番だな」  景介は作品を伏せた状態で手渡してきた。B2サイズだ。淡い色合いの木製のフレームに収められている。  ――この中に広がっているのだ。  夢にまで見たその光景が。深呼吸一つにゆっくりと表にしていく。 「え? これって……」  描かれていたのは目――黄色の瞳だった。 「目の中」  促されるまま覗き込む。するとそこには菜の花で彩られたテラスが広がっていた。中心には今と同じ服装をしたルーカスの姿がある。大窓に映るテラスを眺めている。そんな構図なのだろう。 「……幸せそう」  愛し、愛される喜びを知った。フレームの中に一人閉じこもっていた頃からは想像もつかないような姿だ。実感すればするほどに深く沈みこんでいく。甘く(とろ)けるような多幸感に。 「お前色の世界」 「えっ?」 「この絵のタイトル」 「ああ……」  気恥ずかしい。けれどそれ以上に尊く、愛おしく思う。 「……ありがとう」  手にした宝をそっと胸に抱く。 「ケイのお陰でもっともっと好きになれ――っ!!」 「強っ……」  一陣の風が吹く。せっかちで乱暴な風だ。両足に力を込めて踏ん張ると黄色(おうしょく)の花びらと、白い花びらとが舞い始めた。 「……踊るか? 俺達も」 「え゛っ!?」 「冗談だっての」  そう言ってまたふき出すようにして笑った。機嫌は良好。今が好機か。何気なく前ポケットに左手を入れる。 「いい加減それ出せよ」 「へっ!?」  景介は口角を下げながら(あご)でポケットをさす。 「あっ……えっ……?」  血の気が引いていく。 「き、気付いてたの……?」 「ツッコミ待ちじゃなかったのか?」  項垂(うなだ)れる。練りに練ったシミュレーションは完全に打ち砕かれた。ここからは完全にアドリブだ。落ち着け、落ち着けと自身に言い聞かせながらポケットから茶封筒を取り出す――。

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