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第3話
「改めて、カラスから助けてもらってありがとう」
それからぺこりと頭を下げた瞬間、頭の上に乗っていた猫耳がずれてびっくりしてしまった。だけどユキが普通に髪の毛の乱れを直すようにそれを直したことで、当たり前ながらそれがただのカチューシャ型の付け耳だとわかる。
「あ、耳取れるんだ」
思わず驚きをそのまま口にすれば、ユキはなにを言っているんだとばかりに目を丸めてから肩をすくめた。
「猫耳だけ残して人間にするとか、そんなフェチっぽいこと神様しないにゃん。でもこうした方が猫ってわかりやすいにゃん?」
「まあそりゃそうだけど」
言われればその通りなんだけど、そういう言い方をされると、いわゆるそういうマンガの中の人物を別の目線で見てしまうじゃないか。人間の姿ながら三角の耳に尻尾なんてありふれた絵面なのだから。
しかもその言い方じゃ、語尾のにゃんというのもわかりやすくやっているだけなのか。まあ実際猫がにゃんにゃん鳴くかと言われればそれもまたイメージだけの問題なのかもしれないけど。
……いや、だから。
猫が恩返しするために人間になった? いつからこの世界はそんなメルヘンになったんだ。そんな夢物語を信じるほど疲れてはいないはずだぞ?
ただ、それなら目の前でよくできた猫耳を直す白髪のこいつは、一体なにが目的で家に来たのだろう。
「ヨージが助けてくれて良かったにゃん。さすがに二匹のカラスは恐かったにゃん」
「……まあ、なんだ。無事で良かったな」
訝しく思う様を隠せていない俺を前に、マイペースにあの時の状況をさらりと語られて反応に迷う。あの時周りには誰もいなかったはずだ。なのにそのことを知っているということは、やっぱりこいつは本当にあの時の猫なのか……? いやまさかそんな。
「お礼したいにゃん」
「いや、いいよもう。礼は受け取ったから」
「それじゃあこの姿になった意味がないにゃー」
なんだろう。見た目の年齢はそこまで変わらなそうなのに、猫耳のせいか不満顔も少し可愛く見える。顔がいいとこんな突飛な真似をしてもさほどおかしく見えないから得だ。まさか綺麗な猫だったから人間になっても美人だとか、そういう法則でも……なんてさっきの説明を真に受けているわけではない。念のため。
「じゃあお礼ってなにしてくれんの」
で、猫だというユキは一体なにをしに来たんだと目的を問えば、待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべられる。体が温まってきたのか頬が薄っすらピンクに染まっているせいでやたらと楽しそう。
「マッサージするにゃん」
「マッサージ?」
その顔で猫の手みたいに拳を丸めて振るユキは、戸惑う俺をベッドに導き寝そべるように指示してきた。
あまりの唐突さに流されるように、訳がわからないままとりあえずジャケットだけ脱いでうつぶせに寝転がると、ユキがその背に跨って本当にマッサージを始めた。猫の手のまま背中を押され、絶妙な力加減に警戒が一気に解かれる。
「あー……」
「気持ちいいかにゃー?」
そういえば友達の家の猫がこんな風にふみふみと足を押してきたことがあったっけ。確か子供が母親のお乳を飲む時の動きだとか。
しかも猫と違って体がしっかり大人の男の分、力加減がちょうどよくて凝り固まった体がいい感じに解れていくのを感じる。
「すげぇいい……」
「ふふふ、嬉しいにゃん」
思わず漏れた言葉に嬉しそうな返事。もちろん本格的な整体師とは違うけど、力が入りすぎていない分ゆるりとした背中の暖かさがマジで抜群のマッサージだ。
眠りそうなくらいの気持ちよさに、もしかして本当に猫が人間となって現れたんじゃないだろうかなんて世迷言を信じそうになる。
だって今までお年寄りに席を譲ったり道案内したり酔っ払いに絡まれた奴を助けたり、色々してきたけどこんな風に恩返しをされた経験はなかった。
ただちょっとカラスを追い払っただけで、わざわざ俺のために人間になって、こんな風に疲れた体を解してくれるなんてすごくいい猫じゃないか。……いや、猫の恩返しなんて本気で信じてないけど。
「ヨージ、逆向くにゃん」
まあ全然本気にはしていないけれど、確かにあの毛並みのいい猫が実際人になったらこんな風に凛とした美人になるのかもしれない。女らしいわけでもなく、かといって男らしくもなく、中性的というのにも少し違う、やっぱり美人という言葉が一番似合う容姿。その目を引く髪の色だって普通の奴がやったらなかなか痛々しいはずだけど、似合っているんだからすごい。普段はどうやって生活しているのかさっぱりわからない。
ああそうだ。猫じゃなくても、雪の精って線はどうだろう。雪が降ったからそれをきっかけにしてやってきたとか。いやだからどうだろうもなにもないというのはわかっているんだけど。
そんなことをつらつら考えながら、仰向けになって緩やかなマッサージを受けていた、はずだったのに。
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