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「分かった……ヒナ、分かったから落ち着け」
震えたまま「ちがう」と何度も繰り返し、壊れたように首を振っている日向の耳へと、落ち着かせる為なのか? いつもとは違う優しげな声が聞こえてくる。戸惑いながらも見上げれば、どこか寂しげな浩也の瞳と視線が絡んだ。
「触って悪かった。もうしないから、体が良くなるまではここに居ろ」
そう告げてきた浩也は日向の体に直接触れないよう、そっと布団を掛けてくれる。
――どうして、優しくするの?
喉のあたりまで出かけた言葉は、だけど空気を揺らさない。
逃げた時点で、関係はもう終わった筈なのに。
聖一に自分を貸すと言ったのは彼の筈なのに。
日向には浩也の気持ちが分からなかった。
だけど、精神的にも肉体的にも疲れはて、それを尋ねるだけの気力も勇気も浮かんでこない。
「今は、何も考えるな」
浩也の声が静かに響く。
考えれば考えるほどに頭が混乱していた日向は、穏やかに響いた声音に少し落ち着きを取り戻した。
――そうだ、難しく考える必要は無いんだ。僕はただ、熱が下がったら出ていけばいい。それだけ――。
彼が優しくしてくれるのは、こんなふうになってしまった自分への、きっと……情だけなのだから。
***
「ふぅ……」
リビングのソファーへと座り眼鏡を外してテーブルへ置くと、浩也は目元を掌で覆い大きく息を吐き出した。
日向が来てから今日で2日目だ。
体の方は熱も下がって少し体力も戻ってきたが、心の方はかなり不安定な状態に見える。
足の鎖は眠っている間 にそっと外した。
昨日は浩也に言われるがままに一日中ベッドで寝ていた日向だが、今朝になって熱が下がると、もう大丈夫だからアパートに帰ると言い始めた。
立ち上がろうとした彼の手首を咄嗟に浩也が掴んだ途端、またガタガタと震えだしたから、今度はそれを理由に引き止めた。朝食に出した粥も僅かしか食べなかったし、体力だって戻り切ってはいないはずだ。何より、彼の身に何が起こったのかが判明するまでは、家に帰す訳にはいかない。
今、日向はベッドで眠っているけれど、それは朝食後に飲ませた薬に睡眠薬を混ぜておいたからで、昨晩もかなりうなされていたから、薬の力を借りてでも良く眠れたらいいと浩也は思う。
――何があった?
起きている間の日向はほとんど口を開いてくれず、話しかけても困ったようにオドオドと短い返事をするだけだ。
――どうすれば、話してくれる?
今更ながらしっかり日向に向き合わなかった自分の行動が悔やまれた。
かたくなに帰りたいと言っているから、もう自分とは一緒に居たくは無いのだろう。その気持ちは分かるけれど――。
――だけど『止める』と言われてはいない。それに、あの写真は……。
そこまで思考を巡らせたところでインターホンの鳴る音が聞こえ、浩也は一旦思考を止めた。
もう昼近くになってはいるが、午前中のこの時間帯に来るのは宅配が多い。
荷物が届く覚えは無いからセールスかとも思ったが、それでも一応立ち上がって浩也が画面を覗き込むと――。
『宅配でーす』
そこに映っていたのは笑みを浮かべた聖一で、いつものように感情の読めない間延びしたような彼の声音が、静かな部屋へと大きく響いた。
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