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ひねもす(5)

 そうなったら話は早い。辻はどんぶり鉢と刺身用の小皿まで持ってきていた。  醤油にわさびを溶かし込んで、つやつやの身を箸でつまみあげる。ほんのちょっぴり醤油をつけてまずは魚の旨味を味わった。 「ああ、うめぇ」  生臭さなどみじんもない。海の旨味の上品な部分だけをぎゅっと集めたような味だ。こんなに自分が旨い生き物だとはヒラメは知らないだろう。知ったら悩んでしまうかもしれないくらいの旨さだ。 「たまんねぇなぁ」  二切れ目はちょっと醤油を多めにつけて、白飯と一緒に口にほおばる。これがまた旨味と甘味と塩気の絶妙なバランスで「んん~」と変な声が出てしまうほど旨い。  ふたりとも無心に食べ続けて、ハッと気付ば残り一切れになっていた。 「おまえが釣ったんだから、おまえ食えよ」 「そーいや俺が釣ったんだよなぁ」  じいさんの強引なやり口と、辻の「当然みんなで――もちろん俺含めて――食べられる」という思いこみに引きずられて、『みんなのヒラメ』状態になっていたが、本来は竜一一人のものであるはずであった。もうそんなの気にしないが。   一口ぐらいは「辻による」栄誉をいただこう。 「じゃあ、まあ、遠慮なく」   ぱくりと竜一は最後の一切れを口にした。ゆっくりとかみしめて魚のうまみをじっくり口の中に広げて楽しむ。自然と笑みが浮かぶ。  食っている最中、辻と眼があった。辻はもう食い終わっていたが、竜一があまりにも旨そうに食っているのを見て、こちらも笑顔になっていた。 「幸せそうな顔して食いやがって」 「うめぇもん食ったら、みんな幸せだろ。おまえも幸せそうだよ」  辻はにやにやっと笑って、丼鉢とともに持ってきていた発泡スチロールのパックを取り出した。 「ああ、ノリだ!」 「冷蔵庫開けたらあったから、とってきた。これも食っちまおうぜ」 「いいのか、これ晩飯とか」 「かまやしねぇよ」  みんなのものは俺のもの、俺はみんなに分け与える者。  辻は全く意識していないが、こういうところは幼い頃から全く変わっていない。  常に「王様」なのだ。  竜一の海の好物が次々とあらわれてまるで盆と正月がきたような気分だ。 「じゃ、いただきまーす」  小皿にとりわけて、醤油をちょろりと垂らし、おかわりした熱々ご飯の上にのせて飯と一緒にかっこんだ。 「くぅぅぅ……今年の冬食えなかったから、ひとしおだぜ」 「なんだ、買ってもらえなかったのかよ」  貧乏たらしい話になりそうなのでごまかそうと思ったが、一応義理がある。 「俺、馬鹿やって、怪我しただろ……、母ちゃんは『これからどんどん金がかかるようになるから』って。俺も小遣いもらってねぇし」  辻はその話をきいて、明るく笑った。 「すげぇな。明日見ちゃんの倹約家ぶりは」 「まいるぜ、全く」  がっつりがつがつ、食いたいだけ食うと炊飯器はすっからかんになった。  辻が母親にどう言い訳するのか見物だ。 「ふいー。腹一杯だな」  ぽんぽんと腹をたたいてご満悦だ。  辻はごそごそとジャージのポケットをまさぐって、くしゃくしゃになった煙草の箱を取り出した。 「喫うか?」  竜一は苦笑いした。そんな嗜好品をたしなんでいるほどの余裕はない。 「いや、いらね」 「うち父ちゃんも母ちゃんも喫うから、カートンで買ってるから遠慮しなくていいぜ」 「後でまた欲しくなったら困るから、いいよ」 「そうか」  辻は自分の分だけ取り出して火をつけるかと思いきや、そのまま箱をポケットにねじ込んだ。  辻は再び竿を振り込む前に 「ポイントかえようぜ」 と提案した。もう少し灯台にむかって外海の方を狙ってみたくなったらしい。こうなるとルアーを持ってくればよかったかなと思ったが釣果よりも辻と一緒にいられることが嬉しくて賛同した。 「おい、荷物は」 「空の炊飯器なんて誰もとりゃしねぇよ」  辻と竜一は釣り道具だけ持って灯台に向かった。

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