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夏の鳥(2)

 日はかなり傾いて、通りに闇が落ちてきた。薄暗い町並みに挟まれて、夕焼け空がほっそりと長く伸びている。  町で一番大きかったスーパーの跡地を抜けて、つぶれた酒屋の前を通る。建設会社の事務所はカーテンさえかかっておらず、中はすっからかんになっていた。パチンコ屋は廃業して駐車場になった。呉服屋は猫が出入りするのみだ。  ずっとシャッターが閉まったままの本屋の軒先にぽつっと赤い提灯がぶらさがっていた。竜一はほっと息をついた。店は無くなってしまったが、人はいる。  本屋の隣の薬屋の軒先は暗かったが、はす向かいの民家の玄関には赤い光がともっていた。  そこから坂は九十九折りに下っていく。  右に左に、曲がるごとに、海に向かって下っていくほどに灯りが増えてゆく。  町並みが闇に沈むほど、提灯は赤く輝く。提灯が浮いているような、竜一が宙にいるような。  なんて美しいんだろう。  アパートから跳んだ時の、あの浮遊感、空中の青さ。美しいと感じるものを美しいと言葉にできる。  嘘をつき続けている日常の中で、あの素直な感情が少しも摩滅せず、自分の中に開かれているのに竜一は喜びを感じた。  ずっと知っている道だったが、初めて通るような新鮮な気持ちで、赤い光の流れに導かれるように竜一は坂を下っていった。  一つ、二つ、提灯が増える。一人、二人、人影があらわれる。  竜一の横を子どもたちが笑いながら駆け抜けていった。  道は海につきあたり、町はそこから東へと伸びてゆく。  海から吹くぬるい風が竜一を包み込んだ。  汗ばんだ肌には心地よいが、湿っぽい潮風はどこか有機的で、意志のある生き物のようだ。  東へ、東へ、人波は笑いさんざめきながら流れてゆく。  竜一も人波に流されるままに歩いていった。  ラーメン屋はすでに人でいっぱいだった。店先で冷えたジュースを売っていた。欲しかったが手持ちが少ない。年度が替わってから母親と交渉して月に五百円の小遣いをもらえることになったが、今残っているのは二百円に満たないくらいだろうか。ラーメンは一杯四百五十円。とても手が出ない。あきらめて通り過ぎる。  赤い提灯の回廊はさらに人が集まり、ごったがえしてきた。  数ある波止のひとつで花火があがるのだ。  本来はその波止からまっすぐ参道が続く神社の祭礼なのだが、本殿の方にお参りする者はあまりいない。  波止の先端に神社の出張所ともいえる御旅所が設置され、そちらに皆向かう。  神社の神が海に出向くのか、海から神がやってくるのか、竜一は知らない。  今日はその波止の先端につくられた御旅所の舞台で神楽が行われる。  波止の手前のちょっとした広場には祭の実行委員会のテントとともに警察の詰め所も作られている。  陸と波止とを分ける小橋を渡った。そこから先は昼のように明るい。  かき氷、りんごあめ、たこ焼き、金魚すくい、射的、お面売り……例え買い物ができなくても、見ているだけで楽しくなる。  さらに波止の突端に進むと、とんつくとんつくと太鼓の音が聞こえてきた。明かりに引き寄せられる蛾のように、ふらふらと竜一は音のする方へ人波をかき分けていった。

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