10 / 44

夏の鳥(3)

 陸と海の端境。  その突端に白い布が三方にかけられた、小さな舞台が用意されている。  白いひげの「オキナ」とその連れ合いの「オウナ」の面をつけた二人が大きく杖を突きながら舞台を退場していく。  舞台左手に座る楽団の中からどーんと大きな太鼓の音が鳴った。  笛の吹き手の中に実和子がいるはずだが、白い着物と水色の袴に烏帽子姿の集団は男女の別もわからなかった。  右手の白布がするすると巻き上がり、白い衣装をつけ、ふっくらした頬の面をつけた人物が二人現れた。面には銀杏の葉っぱのような形の前髪がついている。ゆったりとした太鼓に合わせて、二人は四股を踏み、相撲をとる。組み合ったまま右に左にいったりきたり、舞台から落ちそうになるかと思えば持ち直し、なかなか決着はつかない。  子どものころから見慣れた景色だ。  神楽に詳しいというわけではないので断言はできないが、なんとなく他の町の神楽とは毛色が違う気がする。  他の土地ならばスサノオノミコトやらタケミカヅチやら、仰々しい神々の名が出てきて英雄譚が演じられるのだろうが、ここの神楽は特にストーリーもなく登場人物も「オキナ」「オウナ」など便宜上そう呼んでいるだけで、これといった名前もついていない。セリフもほとんど無い。  ただただ、昔から伝わっているという「舞」を毎年毎年繰り返している。  重々しく打たれていた太鼓が、段々と早く小刻みになってゆく。音に合わせて動いていた相撲取りたちは音に追いつけず、よたよたぎこちない動きになる。その滑稽な姿にいつものように笑いが起こる。  ひょうと一際高い笛の音が鳴った。  相撲の決着がつかぬまま、後ろの幕が上がり相撲取りは布の後ろに転げ落ちた。  それと入れ替わりに額に一本角の緑鬼と二本角の青鬼が現れた。鬼は剣を持ち、大きな目をぎょろつかせて観客を威嚇する。太鼓と笛は低く重く、二匹の鬼をより禍々しく見せている。鬼たちが二手に分かれて見栄を切ると、シャン、と鈴の音がして後ろの幕がさっと割れた。  幕の間から全身真っ赤な衣装を身に着けた、「ミコ」と呼ばれる人物が登場した。  手には金色の鈴を持ち、顔は白塗りの面をかぶっている。目鼻口の位置に穴があいているのでかろうじて人の顔だと分かる程度の、のっぺりとした面だ。「ミコ」は「神子」なのか「巫女」なのか。それとも他に意味があるのかはわからないし、誰も気にしていない。  鬼はミコに切り付けるがミコは長い袖を翻し、ひらりひらりと体をかわす。かわすたびにシャンと鈴をふるわせる。  切り結ぶ鬼とミコの姿は狭い舞台上を前に後ろにいれかわるうち、自身も回転しながら二匹と一人で円を描き始めた。  楽の音は一段と高く盛り上がる。やがて鬼は疲れ果て剣を投げ捨て舞台の中央に倒れこむ。  太鼓の音がやんで、ひょうろりひょうろりと軽やかな一本の笛の音だけが残った。  ミコは鬼の周りをくるり、くるりと回転し続ける。胸元にかまえていた鈴を頭上に持ちかえ、激しく打ち鳴らす。爪先立ちに小さく早く回っていたのが、次第に大きくのびやかに、足を広げて宙を跳ぶように舞い始めた。  鬼たちはうっとりとミコを仰ぎ見ている。面をつけているのに、そう見えるのだ。  赤い鳥。  どこかで聞いたような気がする。だが今は過去の記憶を探っている場合ではない。  笛は必死にミコの舞に追い縋ろうとするが、甲高い音をたてるばかりで舞台を盛り立てようとする余裕などない。  誰もが息を飲み、赤い残像が鬼たちをからめとるのを食い入るようにじっと見ていた。  再び太鼓が低く入り、笛にも加勢がついた。ミコは信じられないほど素早く回転しながら鈴を頭上で振り続ける。  竜一が以前見た神楽ならこの後ミコは観客の方を向いて鬼の背後に立ち、静かに鈴を振り鳴らす。そして鬼たちと一緒に見栄を切って終わる。  だが今年は違った。  素晴らしい速度で回転しながらもピタリと鬼たちの背後に立ち止まると思い切り跳びあがり、鬼たちの頭上を越えた。そして観客たちに身を投げ出すように大きく両手を広げ、膝立ちに着地した。  あっけにとられたのか、少し遅れて太鼓の音がドドンと大きく鳴って、楽が止む。  一呼吸沈黙があって、どっと歓声が沸いた。  竜一もはっと気づくと手のひらに爪の跡がつくほどきつく拳を握っていた。

ともだちにシェアしよう!