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野分(2)
ぴたりと襖をしめて、一度窓を開けて雨戸も閉める。完璧とはいいがたいがとりあえず自分のスペースは確保できた。
天井にはむき出しの薄汚れたコンクリートが見える。風はますます強く吹き、海はごうごうと鳴り続ける。
台風がもたらす轟音が次第に竜一を誘惑する。
『これなら、誰にも聞こえやしない』
中断されていた悪癖を再開せよとそそのかす。
竜一の意識は夏のあの夜に戻っていった。
優しいキスから舌を絡め合う。辻の指が竜一の背中から腰へ、さらにその下に優しくすべっていく。竜一の固く立ち上がった陰茎は辻の柔らかな唇に吸い込まれ、舌でからめ取られる。肉と熱の刺激に竜一は辻の中に吐精する。そして辻は――。
前後も文脈もない、ただあの場面だけを繰り返し繰り返し妄想している。
ティッシュで始末をしても、しばらく下着も身につけぬまま大の字になって寝っ転がってぼんやりする。
竜一の視線は次第に押入の襖に注がれていった。
「だめだ」
小声で自分を戒めるが、視線は襖を凝視したまま動かない。
風と海鳴りは夜が深まるにつれてひどくなっていった。台風という獣にアパートが、町全体が食い殺されるような勢いだ。
竜一は理性を失ったかのように立ち上がり、押入に突進した。押入の中には保育所から中学までの思い出が詰まっている。押入から卒業アルバムや昔の写真を取り出し、畳にアルバムを広げて、上からのぞき込むように写真から辻を探す。
そこには昔の辻がいる。最初は近い過去からはじまった。
中学の卒業アルバムや運動会の写真に写る辻を見て興奮をおさめていた。
自分でも危険だとは思うのだが、最近は小学生の辻を見て興奮している。
「俺、……もう、だめだ」
そうつぶやくが、手が男根をしごき続けるのをやめることができない。子どもの頃の辻の半ズボンから伸びた足を見て息を荒げ、その間にある可愛らしいものを思い出して、小さく写った唇を指でそっとなぞる。
「あ、あああっ」
びん、と男根がはぜて畳の上にまで液体がとびちった。なまじ昔の素っ裸の辻を知っているだけに、もう頭がおかしくなりそうだ。
ポルノを買って、自分が辻以外の男性でもやはり興奮してしまうのか、確かめたかった。もしかしたら「その先」がどんなものか知ることができたかもしれない。他の男性の写真でも同じように興奮するなら、あまりにも異常に高まってしまった辻への性欲をおさえられるのではないかと思っていた。
だが、そんなものでもないようだ。ポルノが買えなかったからといって、全く惜しい気持ちがしない。そのくせ辻の子ども時代の写真を見て頭が沸騰しそうに興奮する。他の子どもは「子どもだな」と思うだけなのに。ポルノで確かめるまでもない。辻済という男のことだけしか興味がないのだ。
自分はこんなゆがんだ人間だったのだろうか。それとも竜一という個人は関係なく、男も女も関係なく、みんな辻の魅力に圧倒され理性を失うのか。
坂口の薄気味の悪いうわごとが頭をよぎる。
「天使だ」
台風の運ぶ蒸れた空気の中で汗まみれの竜一は反論する。
「悪魔だ」
みんなが魅力を感じ、辻もまた自分が人に与える魅力を理解している。誰でも辻に魅了されるのであれば竜一も「その中の一人」にすぎず、辻にとってはセックスなど「釣り」と同じことなのかもしれない。「釣れるから楽しい」というだけ。その思いつきを否定するには、辻は手慣れすぎている気がする。
男同士の身体のつきあいなんて、気楽なものだと思っていた。子どもができるわけでもない。結婚だってできない。つかの間の夢見るような瞬間で完結する。その前もなければ後もない。
その先のさらに先のことなど考えられなかった。見たこともなければ聞いたこともない。イメージすらできなかった。
それがこのこだわりようは何だ。自分が大勢の中の一人かもしれないと考えただけで不安になる。辻に関わる人間がみんな自分と同じような関係を持っているのではないかと疑心暗鬼にかられる。ましてやその中で辻にとって特別な人がいたら。
竜一がアパートの間を跳んだのは、辻が跳んだと聞かされたからだ。辻は跳んではいなかったが側にいてくれた。それだけで孤独が苦にならないほど嬉しかった。
自分がその特別な人ならば、竜一と辻は一緒にあの青い宝石の中に行けるだろう。でも違ったら――墜落した竜一は今度こそ命を落とす。
一瞬たりともとぎれることなく、海が吼え続ける。風がうなり、雨戸をガタガタと揺らす。時折突風が笑い声のようにアパートの間をすり抜ける。
明日は晴天が訪れる。竜一は学校をさぼって神楽を見に行く。
辻は見事な舞を披露して竜一は心奪われ立ち尽くす。
竜一の姿を辻は見つけだすだろう。
舞台裏に回ると待ち合わせ場所が告げられる。
今度は長い時間、二人きりでいられる場所を。
二人きりになったら今考えていることなど、きっとけろりと忘れてしまう。
明日は「その先」を知ってしまうかもしれない。
その後、竜一は捨てられる。
同じ事を繰り返して、その度に捨てられる。
捨てられたくなくて、すがりつく。
「一緒に連れて行ってくれ」
ほろり、ほろりと涙がこぼれた。
これじゃ、まるっきり愛人だ。
不安におびえながらも、陰茎は勃起していた。竜一とは違う意思を持った別の生き物のようだった。
ぐったりと畳の上に横たわっていると、風と海の轟音の隙間から救急車のサイレンの音が聞こえた。これだけ荒れているのだ。どこかで災害があったのかもしれない。
一応、後始末はしたつもりだが、頭がぼおっとしていていつものように母親の目に触れぬよう注意を払えたか自信はなかった。ひたすら身体がだるく、眠気とめまいに襲われる。もう誰に見つかってもかまわないというくらい、かったるい。
押入を開け、アルバムをしまうと上段においてある敷き布団を引っ張り出して横になった。掛け布団まで引っ張り出す余裕もなかった。
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