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愛人と本妻(5)
次の日も、その次の日も竜一と辻は一緒にアパートを出た。月曜は遊びすぎて竜一が汽車に乗り遅れそうになったので、火曜は少し早めに待ち合わせた。
水曜は雨だった。竜一は傘を持たずに家を出て、辻の傘の中に入った。型どおりのわざとらしさに笑いあいながら駅まで歩いた。
木曜は人の視線を感じた。通りのそこかしこから窓や戸を開ける音がする。辻はめんどうなことになったと竜一に謝った。
「自主練してんの、見つかっちまってよ」
辻は本当に勝手に校内に入り込んで舞の練習をしていたそうだ。月曜は誰も見ていないつもりだった。火曜になると一人二人のぞきに来る奴が現れた。水曜には十人をこえていた。その日の夕方、実和子が自主練習に参加させて欲しいと申し入れてきた。辻の返事はノーだった。
「なんで?一緒にやればいいのに」
「神楽のために早起きしてるわけじゃねぇし。お前と散歩してえだけだもん」
「……照れる……」
竜一はげらげら笑い、明日は実和子も誘ってみようと提案した。辻は渋々受け入れた。
金曜の朝、実和子の家に寄ると実和子とアパートの住人ではない実和子の友達が二人、それに春に辻にこき使われ、夏に俊英の連中に拉致された田中と真島まで来ていた。
「なんだよ、ぞろぞろと……」
辻はうんざりした顔を見せたが実和子はお構いなしだった。
「邪魔はしないから、二人で先行きなさいよ」
「いるだけで邪魔なんだよ」
「まぁ、今日はみんなで行こうぜ」
竜一のとりなしで七人でわちゃわちゃしながら坂を上った。
小学生の集団登校みたいだと思ったが楽しかった。
孤独であることは苦にならないが、みんなといることも楽しいものだ。
土曜には辻と実和子の間で協定が作られていた。実和子たちは二人と合流せず、別ルートで学校に向かう。学校で落ち合ってから練習を始めることになったようだ。教師たちがそれを許しているのか竜一にはわからなかったが、早起きして学校に行くのに何が悪いこともないだろう。
実和子たち――今日は八人に増えていたが――は表通りを行き、竜一と辻は海沿いを歩いた。
西の空は曇り、東の空が真っ赤に燃えている。天気は下り坂、帰りは雨を覚悟した方がいい。帰りは辻がいないから雨が降ったら濡れて帰るのかと思うとちょっと寂しい。
風はほとんどなく、沖にある防波堤より手前は白波は立っていなかった。
朝日が海面を叩きつけるようにぎらぎらと照らす。
海は巨大なステンレスの板に見える。波は光に打ち付けられた跡だ。それを竜一が言うと辻は歩きながら波と風と光の動きでリズムを取り始めた。
舞というわけでもないし、何か型になったダンスというわけでもない。軽くて柔らかい、見ていて小気味いいステップだった。南国の、ドラム缶で作った打楽器――スティールパンとかいっただろうか――その上で踊っているような音を感じる。
「かっこいい!」
素直な気持ちで竜一が声をかけると調子に乗った辻は防波堤に一足で駆け上がった。防波堤の向こうはもちろん海だが、辻が落ちるわけがない。
ステンレスの海が黄金色に輝き始める。金の舞台の上を辻のシルエットがステップに回転や跳躍を織り交ぜながら軽やかに流れてゆく。
竜一は防波堤の下から一瞬たりとも辻を見逃すまいと一緒になって走った。
坂道を上る手前の橋が見えてきた。防波堤はそこでおしまいだ。舞台の端までやってきた辻は優雅にお辞儀をして、空中に飛び上がり、トンボを切って着地した。竜一は思わず手をたたいた。
今この瞬間を見ているのは自分だけだ。なんて贅沢なショーだ、と思っていたのだが。
後ろからぱちぱちと小さな拍手がする。
振り返ると小学三年生くらいの男の子と、五、六歳の女の子が「すげぇ、すげぇ」と興奮しながら一緒になって手をたたいていた。その二人の後ろにかなり高齢のおばあさんが縁側に座っていたる。おばあさんは口をぽぉっと開けたまま、ゆっくりと辻に向かって手を合わせた。
「そ、そんじゃ」
竜一も辻も照れくさくなってそそくさとその場を立ち去ろうとするが、子どもたちがついてこようとする。
「ねぇ、あれどこで見れるの?」
「あれは神楽?」
とずっと辻に質問する。
しつこさに根を上げた辻は
「今日の夕方神社で練習があるから、興味があるなら見に来いよ」
とだけ言って竜一の手を取り這々の体で逃げ去った。
そんなこんなで随分時間を使ってしまった。急いで坂をあがっていくとずっと前に実和子の一団が見えた。実和子たちに追いつく前に竜一はそっと辻に聞いた。
「俺も神楽の練習、見に行っていい?」
辻は驚いたようにまばたきして立ち止まった。
一瞬なにか思案したようだったがすぐににんまりと笑った。
「いいぜ。こいよ」
天気はぐずついたが、竜一が町に戻ってくるころまではぎりぎり持っていてくれた。
神楽の練習はすでに始まっている時間だ。見に行くといっても終わりの二、三十分見られたらいい方だろう。
駅を出てすぐ竜一は走り始めた。信号を待つのももどかしく坂を下る。表通りを走っていて、今日は妙に人気がないなと感じていたが、神社が近づくにつれて次第に人影が増えてきた。
神社の階段には見たことがないほど人が押し寄せていた。なんとか人波をよけて階段を上ったが、神社の脇にある神楽の練習場は厚い人垣が取り巻いていて全く近寄れない。
よく見ると人垣の最前列の方に今朝会った子どもたちが立っていた。開け放たれた練習場の扉の中を食い入るように見つめている。
辻は町に帰ることができたのだ。
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