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愛人と本妻(12)
コンクリートで舗装された細い坂道は崖のどこからか水が滴っているのかいつも湿っている。
常緑樹の木陰を抜けると、崖にしがみつくようにとりつけられた鉄階段が錆びついた姿を見せる。
辻と竜一が早足でのぼるとそれでもカンカンと金属らしい音を立てるから、見かけは危なっかしいがまだまだ現役でやれているのだろう。
階段を上って崖上の国道に出る。朝日は薄雲の向こうに隠れてぼんやり町を照らしていた。灰と黒のモザイクタイルのような小さな家の屋根の間に白いアパートが頭一つ飛び出ている。
辻は黙りこくって先をすたすたと行ってしまうかと思うと、急に立ち止まって振り返り、竜一が追いついてくるのを待ってみたりもする。
何か言いたげなのに口を開かない。
竜一が横に並ぶと辻の視線は水平線の方に泳いでいった。昨日のように急に目をそらしもしないが、しっかり合わせてもくれない。竜一も、突然辻の目があの「余所者を見る目つき」に豹変するのではないかと恐れていた。
お互い探り合うような態度が妙な緊張感を生み、ますます何も言えなくなった。
ゆったりとしたアップダウンの単調な道を高台に吹き付ける北風に吹かれながら二人は白い息だけを吐きながら歩いた。
国道沿いを行こうと言い出したのは竜一だった。朝の国道は車こそ多いが人はあまり通らない。竜一は会話がしたかった。辻はあまり聞きたがらないだろうが、自分が囚われている妄想についても包み隠さず話したかったし、辻が気を取られていることについても打ち明けてほしい。会話が弾まなければそれを払拭するような優しい肉体の触れ合いがほしかった。
竜一は気になっていることの中で一番どうでもいい話題を選んだ。
「昨日、背広着てたよな」
ギクっと辻の肩があがった。
「うん、父ちゃんの借りた」
「珍しいな。ネクタイしてるところなんて初めて見たかも」
「……そうだっけな……」
「結構似合ってた」
辻は照れくさそうに薄く笑ったが、そこでまた会話は止まってしまった。竜一は少し強引に話を続けた。
「何、法事でもあったの?」
「え、……ああ、そう。法事」
王様は今まで嘘をつく必要もなかったからか、とてつもなく嘘が下手だった。
竜一は後悔した。勝手に鎌をかけて、勝手に嘘を見破って、勝手に傷ついている。自縄自縛もいいところだ。いや、自縄自縛ならまだいい。余計な嘘をつかせて、辻をも傷つけている。
国道の一番の高台からは町の表通りと国道と合流する交差点が広々と見渡せた。交差点に近づいていくにつれ、実和子のグループがわいわいやっているのが聞こえてきた。話題は土曜の辻対梅原の対決の話で、特に真島と田中の声が盛り上がっているようだった。
辻はふうと苦々しげに息をついた。辻は舞台に出たり、人前に立つことに関しては目立ちたがり屋といってもいいのに、人の噂話にのぼるのは苦手なようだ。まぁ後者は誰でも苦手かもしれないが。夏の夜に見た「ミコ」と、面をはずした辻の高揚の落差は辻の中で矛盾する本質なのだろうか。
竜一は辻の肩にふれて「みんなと一緒に行かないか」と提案した。今日は二人だけだと変にぎくしゃくしてしまう。その方が田中も喜ぶだろう。辻がどんな表情を浮かべるか、どう断ってくるか身構えていると、あっさり「そうだな」と答えた。
辻の答えは、竜一の意見を受け入れたものだったが、竜一はまた勝手に寂しくなってしまった。さっきまで、みんなでわいわい一緒に行く方がいいと思っていたのに、辻がそれを承諾してしまうと、たとえぎくしゃくしていようと、それはそれで大事なことのように思えてきて、二人だけの時間を惜しむ気持ちが急にわき上がってくる。
『何がしたいんだ、俺は』
実和子たちは二人が合流することに大賛成だった。特に田中は満面の笑みで「やったー」と素直に喜んでいる。
辻の気がかりがこれで消えたわけではないのは、その内に沈むような視線で感じることはできる。だから、竜一と二人きりでいること自体が嫌なわけではないのもわかる。しかし、明らかに辻は二人きりで無くなったことに安堵していた。そしてまた竜一も同じように緊張から解き放たれていた。
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