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愛人と本妻(15)
ずくり、ずくりと肩が痛んで目が覚めた。今朝は一段と冷える。目を開いても部屋は真っ暗だ。頭上にぶら下がったひもを引っ張ると大儀そうに蛍光灯が明かりを灯した。
少し早起きになってしまったが、もう眠れそうにない。そろりとふすまをあけて隣の部屋を伺うと母親はまだ眠っていた。起こさないように抜き足差し足でトイレにむかう。用を足し終わって戻ってくると母親がごそごそと起きあがってきていた。
「ああ……起こしたか」
「もう起きる時間だよ」
母親は不機嫌そうに布団をたたんだ。
夕飯の残りを流し込んで、またその残りを弁当につめて、身支度を整えて外に出た。
日はまだ昇らない。空には星が輝き、港は煌々と光を放っている。風は無く、骨にしみるような冷気がしんしん天から降りてくる。
竜一はアパートの壁にもたれかかってぼんやりと辻を待った。
あまりよく眠れなかったのは痛みのせいだけではない。
人が目をそらしてくれるほどべったりとひっついていても不安が消えない。辻は嘘が下手だ。辻が竜一を求めるならそれはポーズではなく、本心からであるのは間違いない。そして竜一も辻を求めている。それは、自分たちが“こども”であろうが、同性であろうが、誰がどう関わろうが絶対に変わらない。
それでいて、日々何かしら変わっていくのだ。その変化についていけなくて戸惑っている。竜一も、辻も。
明日になればこの不安も愛おしいものだったと思えるようになるのだろうか。とりあえず今はそうは思わない。
パタパタと階段を降りる音がした。はっと我にかえって通路の中をのぞき込むと寝間着に綿入れを羽織った実和子と目があった。
「今日は早いんだね」
実和子は郵便受けから新聞を抜き取りながら竜一に声をかけた。てっきり辻だと思ったのでばつが悪い。
「ああ、……たまたま早起きしたから」
「待ちきれないって?」
実和子はくくっと下世話な笑いを浮かべた。
「うっせぇな。お前もさっさとしねぇと遅れるぞ」
誰が見たってかまわないが、その後どうこう言われてそれを聞かされるのはやっぱり照れくさいものだ。
「そういやさ、三上くんの学校の友達だって人から団長に電話があったって聞いたよ。神楽の練習見たいって」
「え……もしかして、間城ってやつ?」
もしかしても何もあいつらしかいない。
「たしかそんな名前だったかな。今年は今週が最後だっていったら来るって。宣伝してくれてありがとうね」
「いや、宣伝したつもりはないんだけど……」
一度話しただけで友達扱いとは強引な奴だ。知り合いぐらいにしておけばいいいのに。
「まぁなんでもいいよ。地元以外の同世代で神楽に興味持つ人少ないから。楽しみにしてるって言っといて」
楽しみ、と言いつつ実和子の笑みには不穏当なものがあった。
また階段を下りてくる足音がした。最初はかなり早足で、降りてくるにつれて遅くなり、一階の床に着地する前に一度立ち止まったのがわかった。
「早いな」
辻がひょこっとコンクリートの壁の脇から顔を出した。今日は髪を整えていないのか、ちょっと長めのくせっ毛がところどころふんわりはねている。
「うん、なんとなく」
もぞもぞと煮え切らぬ挨拶を横目で笑いながら実和子は「また後で」と言って二人の間をすり抜けて階段を昇っていった。辻はぶっきらぼうに「おう」と返事をする。
辻と実和子の神楽を通した繋がりを目の前にして、ふと一年前の“疎外感”が蘇った。神楽に関しては部外者で間違いないし、それを不満に思ったこともない。神楽を通してつながっている二人の関係の中に自分の存在はいない。無理にその関係の中に入ってく必要もないし、入っていこうとも思わない。外から見守っているような距離感が一番しっくりくる。
だが、漠然とした不安にかられている今、辻をしっかりと舫っているものに対して、理不尽なほどのわだかまりを感じていた。
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