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愛人と本妻(17)
窓の外には小雪がちらちらと舞い落ちている。雪は高校の中庭の芝生に着地するとすぐに溶け、地面に吸い込まれていった。
汽車で一時間も離れると、人の気質も違うが気候も違う。竜一が朝出かけるときはかなり強く降っていた。しかしこの分では交通網には特に支障はないだろう。
竜一は嘘をついてしまった。
この三日、何をどうしていたのか記憶も定かではない。辻と待ち合わせて一緒に歩き、別れ際には所かまわずキスをかわした。覚えているのはそれだけだ。
記憶はいきなり今朝につながる。
今日はアパートを出るときから、白い雪が町を覆い始めていた。
二人はお互い傘をさし、うつむいてあるいた。アスファルトには二人並んだ足跡が残った。その足跡も見る間に雪に覆われていった。
竜一は辻の顔色をうかがうのはやめていた。ここで生きると決めた辻の顔色をうかがったところで、竜一にはもうどうしようもない。ただ辻を愛しく思う気持ちで辻に視線を送る。辻も竜一と目が合うと嬉しそうに微笑むが、それ以上のことは求めなかった。
辻なりの距離の取り方を、竜一は誇らしく感じた。反面、未練がましくキスをせがむ自分のあさましさが浮き彫りにされている気もした。
あきらめなければならない。あきらめたくない。
自分がもう少し大人であれば、とも思った。もう少し大人で、もう少し金があれば、もう少し何とかなったかもしれない。こんなうっすらした想像で何ができるだろう。気持ちは二転三転し、地団駄を踏むだけで何も変わらなかった。
駅にむかう道と、辻たちの高校に通じる道の交差点にさしかかるころには雪は本降りになってきた。五メートル先もまともに見えやしない。
「結構降ってきたなぁ」
辻は天を仰いで一人ごちた。
何故そう言ってしまったのか、今でもわからない。
「これだけ降ったら、帰りの汽車が遅れるかもな」
言いたくない言葉を人任せにしようなど卑怯きわまる。
「じゃあ、今日は練習、これないか」
期待通りの辻のこたえに、竜一は小さな安堵と深い自己嫌悪をおぼえた。
「多分、無理だろうよ」
雪と一緒に溶けて流れてしまいたい。
交差点の赤信号が青に変わった。
「じゃあ」
辻は変わらず微笑んでいたが、その目は「余所者を見る目」になっていた。
だがそれは冷たい拒絶ではなかった。旅立つ船をそっと見送るような、遠慮がちでありながらも強い祈りのこもったまなざしだった。
「うん」
竜一は辻が横断歩道を渡り始めたのを見て駅へと向かった。
だが、どうしても辻がまだそこに見えるのか確かめたくなった。自己嫌悪も情けなさもかなぐり捨てて竜一は振り返った。
吹雪のわずかな隙間から、辻の柔らかなくせっ毛と黒い学生服が垣間見えた。あの日以来、辻は前髪をあげるのをやめた。
辻も振り返り、降りしきる雪にも負けず傘をささずに竜一の行った方を凝視していた。
吹雪は二人を隔て始めた。かろうじてお互いがわかる。手を振りたかった。大声を上げたかった。だが雪がすべてをかき消した。ついに交差点は真っ白に塗りつぶされ、二人はお互いの姿を見失った。
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