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愛人と本妻(20)
境内には誰もいなくなった。しかし、辻が帰った気配はない。芸能人の出待ちでもするように、練習場の出入り口を気にしながら、本殿の階段に座った。
今朝、もう二度と会わないような雰囲気で別れておいて、夕方には待っている。
辻はあきれるだろうか、馬鹿にするなと怒るだろうか。しかし、そんなこと言ってる場合じゃないのだ。どうしても聞きたいし、聞かせたい。
竜一が待っている気配を感じていたのだろうか、辻が不機嫌そうな顔つきで現れた。がちゃりと練習場の扉に鍵をかける。鍵は社務所のポストに放り込んでいた。背中で一息ついて、覚悟を決めたように辻は振り返り竜一に近づいてきた。
「……来ないんじゃなかったのかよ」
「来るつもりはなかったさ。お前にあんな目をされちゃ……いや、こんなことどうでもいいんだ。どうだっていい……お前、坂口をどうするつもりなんだ」
辻はぐっと下を向いて押し黙った。髪の毛の隙間から見える目は、たゆとうようによるべない。竜一は重ねて聞いた。
「……自分なら坂口を救えるとおもってるじゃないのか?」
「……馬鹿言え」
「じゃあ、これなんだよ」
竜一はリュックからノートを取り出し、辻の前につきだした。
「梅原の言うことも信じるんだろ。それで……坂口のことも待ってやって、一人で背負い込んで……坂口が帰ってきて全部元の通りに戻ると思ってるのか?」
「思ってねぇよ」
辻はぶっきらぼうにつぶやいて、どすんと竜一の横に座った。
「お前の口出しすることじゃねぇって言ったろ。これは俺と坂口の……」
「俺と坂口の問題でもあるんだ」
辻はきゅっと眉根を寄せた。何言ってんだこの野郎と顔が言っている。
「屁理屈言ってんじゃねぇよ」
「屁理屈じゃねぇよ。本当に坂口を、ほっとけねぇんだ。何であんな事をしたか知りたいんだ。頼む、教えてくれ」
竜一は辻に向かい直って頭を下げた。
「なんだよ、お前と坂口の問題って」
びしゃっ、と本殿の軒先から水っぽい雪の塊が落ちてきた。
「……お前は考えなくていいって言ったけど、ずっと考えてた。夏の夜の……喧嘩についていってたらどうなってたか」
ぐずぐずの雪はあっという間に水たまりの中に溶けていった。
「多分、俺は坂口と同じことしてる。俺……坂口になりたかったんだ。いつもお前の側にいて、お前だけを見てて崇拝してそれで満足してたかった」
辻はまた髪を掻き上げて、ぐしゃぐしゃとかきまわした。髪に構わなくなってからすっかりくせになってしまったようだ。
「そういうの、違うだろ」
「うん……違う。今の坂口も、違うって言うと思う。お前に……刃向かったんだから」
「……」
「俺は……お前がふっといなくなって、俺だけ取り残されるような気がしてた」
「逆だ。お前が出て行くんだ」
「大学なんて受かるかどうかわかんねぇし……お前はいらないって言われたら、そのあとどうしたらいいのかわかんねぇよ……お前の方がよっぽど……自由で、地道に見えた」
チッ、と辻は舌打ちした。
「んなわけねぇじゃねぇか」
「でも見えたんだ。ついていきたかったんだ。でもきっとお前はついてくるなって言うだろ。何回でも言う。……もしそうなってたら、俺だって何してたかわかんねぇ」
「……ぐだぐだぐだぐだ、何が言いてぇんだよ」
海からひゅっと冷たい風が吹いて、垂れ落ちる滴を散らした。神社は崖の上にある。常に緩く、強く、風が吹き付けている。周りに植わっている木々は吹き続ける風を受けて海から陸へと流されるように曲がっている。
向かい風に打ち勝とうと曲がりながらも胸をはっているような木もあれば、枝の先までゆがみきっていずれは切ってしまうしかないような木もある。
多かれ少なかれみんなどこか、ゆがんでいる。
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