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愛人と本妻(23)
間抜けなことに、月曜の朝になってから気づいた。
あれだけ盛り上がって、今生の別れのように嘆き悲しみ、その日の内に再会して、自分たちの限界を知り……すっかり頭が冷えた今、辻と顔を合わせたときにどんな風にしたらいいかわからない。
辻はどうするだろう。朝の自主練習はあくまで自主的なものだからやめたってかまわない、はずだ。しかしこうなってはまずは実和子が許さないだろう。実和子だけじゃない。一緒に登校しているグループ、学校の生徒たち、神楽団のメンバー、アパートの住人、いつも通りかかる町の人々、神楽の見物客……はては間城たちまで、辻が朝練習をやめたということに興味を持ちそうだ。
練習はやめなかったとしても、急に竜一と行動を共にしなくなったことも関心を呼ぶかもしれない。
この町の住人の口さがないことにはこりごりしているのに。
どうしたものだかわからないまま、いつもより少し早くでかけることにした。早く、といっても朝起きてから気づいたのだから、そんなに余裕がとれるわけがない。超特急で身支度をして心持ち早出になったかな、程度のことだ。
おそるおそる、竜一は扉を開けて隙間から身を滑り出させた。扉は遠慮なくギィと鳴った。
辻に会いたいのか会いたくないのかというと、会ったらまた済し崩し的に肉体的接触を求めてしまいそうなくらいには会いたい。だが、そういう盛り上がり方がもう、なんというか、こっぱずかしい。この数週間で変化し続けてきた辻との関係がこんな滑稽な形になるとは思いも寄らなかった。
階段を小走りに駆け下りると、一番下の段で靴ひもを結びなおしている背中が見えた。
「あ、」
竜一がもらした声に辻が振り返った。
母親に見つかったかのように苦々しい顔だった。
「なんで早く出てきたんだよ」
「そんなの勝手だろ……ていうか、お前だって早く出てきたんじゃねぇか」
「うっせぇな、せっかく気ぃ使ってやったのに」
「こっちこそ気ぃ使ってんだよ馬鹿」
「馬鹿とはなんだよ。馬鹿だけど」
「馬鹿だったら何も考えずにいつもの時間に出ろよ」
「馬鹿だから今朝になって気づいたんだよ馬鹿」
「あーら、珍しい。喧嘩?」
上から実和子の声が降ってきた。
「ぁあぅ」
「うぅ」
一番うるさそうな人間に見つかってしまった。
「お前まで何で早く出るんだよ」
辻がつめよったが実和子は不思議そうに小首をかしげた。
「別に早くないよ?いつも通りだよ」
無理矢理ひねくりだした時間は辻との言い争いですっかりロスしてしまっていた。
辻は竜一に目くばせした。竜一は小さく肯いた。“変な感じ”なのはお互い様で、避けたいことも同じ事だ。
「きょ、今日はみんなで一緒に行こうぜ」
実和子はきろんと上目遣いに竜一を見上げた。実に訝しげな顔つきだったが、理由を追及されることはなかった。
実和子は土曜日の神楽の練習のことについて喋りたくてたまらなかったのだ。
「東さんがさ、あ、あの、女の子ね」
みんなが集まり出すと実和子のワンマンショーが始まった。
「笛に興味があるんだって。本人もフルート吹いてて、演奏家にもなりたいけど、いろんな笛の研究もしたいんだって。かっこいいよね。でさ、東さんから見ても私の笛、結構いけてるらしくってさ……」
べらべらべらべら、自慢話が止まらない
おまけに「夏の本番は必ず見に行く」という間城の伝言を伝えると実和子と女子連はハイタッチで喜びを分かちあった。何故か田中まで飛び上がってにこにこと笑っている。
辻はというと、照れくさそうに明後日の方を向いていたが悪い気はしていなさそうだった。
間城は辻の舞に魅せられ、東は実和子の笛に聞き入っていたのかと思うと、ほっこり心が暖かくなる。それと同時に話が竜一と辻のぎくしゃくした態度に向けられなくて非常に助かった。
実和子グループとの別れ際、一瞬、辻と目が合った。何故か二人ともうんうんと肯いて、同時に深くため息をついてから、別れた。
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