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驚きと嬉しさと恐怖と
男は容赦なく自分の気分で俺を呼び出し、俺は平日の夜にもバイトが出来なくなった。
今すぐネットに流してやるって言いながらぶたれて、諾々と従うしかない。帰宅してすぐにシャワーを浴びて中を掻き出したけど、整髪用ジェルのせいなのか襞が変に腫れていて一苦労した。それなのに週に二度も三度も呼び出されて、傷は治らないままにじくじくと痛み続けた。
最初の日、体中の痛みを心配した親に、強引に病院に連れて行かれた。親には自転車ごと転んだって言っておいたけど、医者にはその傷じゃないって判ったんだろう。モノ問いだけに見つめられて、親には言わないで欲しいと訴えた。自分で解決するから、と。
肋骨が折れていて、安静を言い渡されて、虐めだと思われただろうけど、それで構わない。もうすぐ卒業だから、とワザと言うと、勘違いしてくれたようで、俺の嘘に付き合ってくれた。
誰だってわざわざ厄介ごとに首突っ込みたくないもんな。
男にも怪我のことは伝えたから、それ以来胸と腹は蹴られなくなり、その代わり顔を殴られるようになった。
それも転んだとかぶつけたとか苦しい言い訳を続けて、親は勿論直紀や莉央に泣きそうな顔で言い募られた。
だけど、到底本当のことなんて言えるはずもなくて。
もうすぐだ。卒業すれば、少なくとも二人やクラスメイトは心配させずにすむ。進路が違うから、落ち着くまで会わなければいい。
あいつが、俺に飽きてくれるまで……
健吾さんみたいに、やっぱり女がいいって、思い直してくれるまで――。
たまたまだろうけど、土曜日に呼び出された。
いつもの場所にチャリを停めて、駐車場に健吾さんの車があるのを確認する。
あの頃と同じように、今この部屋の中でゲームでもしてるのかな。それとも彼女といちゃいちゃしてるかな。泣きたいくらいに懐かしくて、足音がしないようにひっそりと二階へ上がった。
気を使うということを知らない男にこれ以上痛みを感じさせられたくなくて、事前に家で傷に軟膏を塗り、ローションで解してから来ている。中にも少し入れてきているだけなのに、「男のくせに濡れやがって」と罵倒され、愉悦の表情で犯された。
んなわけないだろ。ネットでいくらでも検索できるのに、童貞のこいつは初めて知った同性とのセックスに溺れて、何も調べていない。
無知が一人で勝手にいい気になって、天狗のこいつはいつになったら俺に飽きてくれるんだろうって心配になるくらいだ。
まあ、女を知ろうにも、モテなさそうだしな。
ふと緩んだ口元を見た男が、平手で殴ってきた。じわりと熱が広がり、それでも俺が黙っていると、チッと舌打ちしてシッシと手で払われる。
健吾さんとの時と違って、気持ちいいことをされない俺は、苦鳴以外の声を出さない。それだって殆ど音にならないように我慢しているから、男の予想と違っていたらしくて、最近では一度放ったら解放されることが多かった。
もう少しだ、もう少し――。
ぐっと奥歯を噛みしめて玄関を開けると、ドアホンのすぐ脇の壁に凭れて、腕組みをした健吾さんが険しい顔をしていた。
クローザーに従って閉じそうになるドアに、健吾さんの膝が入る。ちらりと俺を見た視線が揺れたのは一瞬で、すぐにズカズカとスニーカーのまま室内に入っていく。
「な、なんだよお前っ」
まだ下着しか着けていない男を靴の裏で蹴り飛ばし、すかさず傍に転がっていた携帯端末を拾った。
一度開いて、バキンと真ん中でへし折る。それからバッテリーを外して中から指先大のカードを取り出すと、床に落として靴で踏みつけた。ペキッと小さな音がして、それでも踵でぐりぐりと念入りに潰している。
それで気が済んだのかと思ったら、小さな折り畳みテーブルに置いてあるノートパソコンも手に持ち、あまりの出来事に自失していた男がそれを止めようと組み付いたのをまた蹴り飛ばす。
「やめろ、やめてくれ。もう貯金ねえから、新しいの買えねえんだぞ」
腕だけ伸ばして弱々しく反抗する男に、「知るかよ」とあの冷たい声が低く応じて。
バキン。液晶部分と本体とに見事にまっぷたつにパソコンは踏み潰され、更にキーボードの上からぐしゃぐしゃと踏んで粉砕する。それでようやく納得行ったのか、健吾さんはもう一度男に視線を落とした。
「またなんかしやがったらこんなんじゃ済まねえからな」
淡々と突き付けられる言葉に、腰を抜かした男は、それでもどうにか言い返してやりたかったんだろう。
「捨てられて泣いてたの拾っただけなのに、なんでここまでされなきゃならねえんだよ」
強がって見上げているけど、声も唇も震えている。体格差もあるし、仕事で筋肉の付いている健吾さんとやつとじゃ喧嘩にもならない。そんなへなちょこに言いなりになっていた俺もどうしようもない屑だけど、それでも少し胸が晴れた。
「捨ててねえよ。勘違いすんな」
会話なんてしないだろうと思っていた健吾さんが、ちらりと俺を見た。どきんと胸が高鳴る。
「けど、女できたら、もうこいつ要らねえだろうが」
わなわなと震えながら言い募る男に、ハッと健吾さんが鼻で笑う。
「あんなの、二回目があっただけでも上等だ。そこいらの女とこいつを一緒にすんな」
えっ? と目を白黒させているのは男だけじゃない。当事者の俺が一番何も解ってない。
ぽかんと口を開いている俺に向き直ると、もう用はないとばかりに俺を押し出すようにして部屋を出る。
「け、健吾さ、」
驚きと嬉しさと別に、僅かな恐怖。
捨ててないって言ったけど、それは建前で。なんでか俺の苦境を知ったから、取り敢えず助けてくれたんだろうって、健吾さんの部屋のドアが開く瞬間にギュッと目を閉じた。
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