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葡萄酒のワルツ
その夜、夕食を取ったあとにシエラは二人を部屋に呼んだ。また、二人の関係のことを聞かれると思ったシルヴァは断ろうとしたが、ガーランドに断るのは失礼だと言われ、仕方なく部屋に入った。
「この宿は素晴らしいですね。私の部屋には蓄音機があるんですよ。一曲、お相手してくださいませんか?」
そんなことを言いながら、シエラは葡萄酒を片手に蓄音機のレバーをクルクルと回し、黒い盤の上に針を移動した。直ぐにゆっくりとした音楽が流れ始める。舞踏会で掛かるワルツのようだ。
葡萄酒が小さなテーブルに置かれる。
「俺は習ったことがないので……」
「では、僕が」
不得意なことに誘われ顔を引き攣らせるシルヴァ。そんな彼に一つウインクを寄越し、ガーランドはシエラの手を取った。
シルヴァには分からないが、決められたステップでもあるのだろう。お互いの足に引っ掛かることもなくシエラとガーランドは広い部屋の中でワルツを踊る。
ゆっくりと目の前を移動していく二人を見て、貴族とはいつもこんな風に緩やかに時を過ごしているものなのだろうか、とシルヴァは思った。
少なくともシルヴァの知っている貴族はそうではなかった。
「シルヴァ、やはりあなたとも踊りたいです」
暫くして、葡萄酒の所為で酔いが回ってきたのかシエラの押しが強くなってきた。
「いえ、俺は……」
そう言っている間に手を取られ、未知のダンスが始まる。シルヴァは慌て、シエラの足を踏みそうになった。
「眠れ」
危ないと思った瞬間、ガーランドがシエラの後ろから近付き、耳元で囁いた。
「おっと」
予想以上に催眠術が効いてしまったのか、シエラの身体が力なく崩れそうになり、ガーランドは彼の身体を両腕でしっかりと支え、近くの椅子に座らせた。
「貴族を眠らせたことがバレたら、あんた殺されるぞ?」
シルヴァと目が合い、ガーランドはにっこりと笑った。
「今のは酔いが回って倒れそうになったシエラ様を僕が助けて椅子に座らせたように見えたよ、きっと。――でも、良かったら隠蔽に付き合ってくれないか?」
窓の外をちらっと見て、また視線をシルヴァに戻す。
「何をすればいい?」
自分を助けたようにも思えるガーランドをいま殺されてしまっては気分が悪い。シルヴァは仕方なく協力することにした。
「手を貸して、一緒に踊って」
「だから、俺は踊れない……」
「大丈夫だから。僕がエスコートする」
そう言ってガーランドが触れたシルヴァの指先は僅かに震えていた。
「怯えてる?」
優しくシルヴァの身体を引き寄せ、エスコートを始めたガーランドが尋ねた。
「当然だろ? 昨日、あんなことされたんだ」
「もう君の嫌がることはしないよ。今だって、寧ろ君を助けたんだ。……そのまま続けて」
エスコートする側のガーランドが上手いからか、不思議とシルヴァもそれらしくワルツが踊れている。
「誰も頼んでない」
「君はいつもそう言う。はい、ここでお辞儀」
シエラにお休みなさいと告げるように二人で頭を下げ一夜のダンスは終わりを迎えたと思われた。だが、そのまま二人で踊りながら隣の部屋に移動する。
「まあ、それは置いておいて。君の上司から君の話を聞いたよ。君はとても強いんだね。誰にも負けず、したたかで、かっこいい」
「……ま、まあ、そうだろうな」
当然だろう? という得意げな表情に若干の照れが混ざる。
「それでいて、分かりやすくて可愛い」
「なっ! またか!」
知らぬ間にガーランドは自分の右手首とシルヴァの左手首に手錠を嵌めていた。
そして、特技を自慢するように目にも留まらぬ速さで自分の手首から手錠を外し、シルヴァの右手首に嵌めた。
これで、シルヴァの両手首は完全に拘束されたことになる。
「何してんだ?」
ベッドに座ったガーランドの足の間に座らされ、シルヴァはボヤいた。
「君に手錠の外し方をレクチャーしようと思って」
肩越しに聞こえてくるガーランドの声はとても楽しそうだ。顔を見ずともシルヴァには彼がニコニコと笑っているのが分かった。
「そんなもん、要らな――」
「まず、君の靴に仕込んだ針金を取る」
後ろから伸びた長い腕がシルヴァの革靴の紐の間から針金を取り出した。
「おい、いつの間に仕込んだ?」
「それから、こっちの手で針金を持って、鍵穴に差し込み、上下に動かす」
半ば無理矢理シルヴァの右手に持たせた針金で、ガーランドはいとも簡単に手錠を外して見せた。
「ほら、ね? 簡単だろう? 君もやってみて。出来るかな?」
「出来るに決まってるだろう?」
もしかして、出来ない? というニュアンスの言い方をされると逆に意地になる。
「ほら、見ろ?」
言葉通り、シルヴァはもう片方の手錠を直ぐに外してみせた。
「よくできました!」
「おい!」
わしゃわしゃと髪を乱され、シルヴァはガーランドの手を掴んだ。
「……あんたの手、でかいな……」
ガーランドの手をまじまじと見つめ、無意識に呟いていた。
「いや、なんでもない」
はっとして、頭の中で言い訳を探したが上手く見つけられず、ぼそぼそと言葉を口にしながらシルヴァはガーランドの手を解放した。
「んだよ?」
もっと密着するようにと後ろから黙ってガーランドがシルヴァの身体を引き寄せる。
これはただの背もたれ、これはただの背もたれ、と心の中で唱えながらも、シルヴァの心臓は自分の意思に反して煩く鳴っていた。
「もしかして意識してくれてるの?」
「そんなわけないだろ」
ただ、接し方が分からなくなっただけ。
「綺麗な刺繍だね」
大きな手がシルヴァの首元に触れる。
「これは……」
「お母さんの形見?」
「心を読むな」
「心を読む術は持ち合わせてないよ」
「昼間だって……」
途中でシルヴァは言葉を呑み込んだ。こうやって会話の中から消去方で探っていくのか、と気付いたのだ。ヒントを与えているのは自分だ、と。
あの時、教会でガーランドは自分の望んだ物を分かっていなかった。ただ、自分の表情を読み取っただけだった。シルヴァはそう思った。
「俺が馬鹿だった。もうあんたとは話さない」
馬鹿馬鹿しい、とシルヴァがガーランドから離れようとした時だった。
「ずっと君に会いたかった」
突然、後ろから強く抱き締められた。
「もう会えないと思ってた」
――でも、もう一度会えてしまったから、諦められなくなってしまった。諦められたら良かったのに。
「あんた、昨日から何を――」
「お願いだから、もう少しだけ、このままで居させて」
嘘なのか、本当なのか、シルヴァを抱き締めるガーランドの腕は微かに震えていた。それが悲しみからなのか、憎しみからなのか、分からない。
「俺が憎くないのか? 俺は自分の人生のために、あんたを利用したんだぞ?」
安定した生活のために、ガーランドを国家に売った。
「……シエラ様をあのままにしておくのは良くないよね」
思い出したかのようにスッとガーランドがシルヴァから離れていく。
「なあ?」
隣の部屋に消えようとする広い背に問い掛けたが、答えは返ってこなかった。
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