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酔っ払いシルヴァのキス
土砂崩れが起きてから二日、まだクルーォルへと続く道は開けていない。土砂を撤去する手助けをしない者が文句を言ったり急かしたりすることも出来ず、三人は今日も町を探索していた。
「そろそろシエラ様も町に慣れてきたのではありませんか?」
毎日見る町というものは変わり映えのしないもの。まだ二日といえど、見て回る以外に何も出来ない現状にシエラは飽きていないだろうか、とシルヴァは思った。
「そうでもありませんよ? 私には何もかもが新鮮なんです。外でお肉を焼く匂いとか、店先で服を選んでみたりとか、経験したことのないものばかりで胸が躍ります」
そう言ってシエラがシルヴァに笑い掛けた時だった。
「あれ? ガーランドはどこですか?」
気付くとガーランドが消えていた。もしかして逃げたのか? とシルヴァは思ったが直ぐに近くの細い路地からガタンという音がした。
まさか、と思って覗いてみると、そこにはガーランドを背中から壁に押し付けている長身の女が居た。
艶のある長い金髪に装飾も何もない控えめな長袖の黒いドレス、グレーの瞳には気の強さが見て取れる。
「誰だ?」
「ロネル・ジェリー・パーセル」
シルヴァが尋ねると何故かガーランドが代わりに答えた。
「あんたの知り合いか?」
「いいや、今さっき名前を知った」
こんな状況であるにも関わらず、ガーランドは笑みを浮かべている。
「何者なんだ?」
「これ」
そうさらっと告げる彼女の腕にはシルヴァと同じ星の紋章が刻まれた腕時計があった。
「ポラリス……、じゃあ、あんたがガーランドの見張り役か。何故、姿を現した?」
「そう。アタシも退屈で……、面白いものを見つけたから」
シルヴァの方など見ずにパーセルはガーランドの顔ばかり見ている。
「この子なんてやめて、アタシにしたら?」
「なっ」
あの情事まで見ていたということか、とシルヴァは心の中で頭を抱えた。
「君に? うーん、悪くはないけど」
「アタシと遊びましょうよ。任務になったら命を狙わせてもらうけど」
パーセルの人差し指がガーランドの胸元をツツっとなぞる。
「積極的だね。それにスリルもある」
「今ここでキスしちゃおうかしら」
「困ったな」
人のことを好きだの愛しているだのと言っておきながら、何をニヤニヤしているのか。
シルヴァは知らぬ間にガーランドに向かって鋭い視線を送っていた。
「これはもしかして三角関係ですか?」
シエラは初めての修羅場に目を丸くしている。修羅場という修羅場ではないが。
「行きましょう、シエラ様」
黙って見ていたシルヴァは少々失礼かと思ったがシエラの手を握り、路地から出た。
「良いのですか?」
「良いんです。あんな奴」
もしかして、俺がいけないのか? 俺のことが憎くないかと答えづらい質問をしたから急に心が変わったのか?
そんな考えがぐるぐると頭の中を巡っているうちにシルヴァとシエラは部屋に戻ってきていた。
「シルヴァ、一緒に飲みましょう」
部屋に着くなり、シエラが葡萄酒の入ったグラスをシルヴァに差し出してきた。腕時計を見ると、まだ午後三時だった。
「今からですか? 俺はあまり酒に強くないですし、今は任務中……」
「ガーランドは酷いと思います。シルヴァが居るというのに他の人間に靡くなんて」
悪者には正義の鉄槌を、などと言い出しそうな雰囲気でシエラが言う。
「いえ、俺は別に気にしていませんから良いんです」
「全然良くないですよ! 絶対、気にしています! だから、一緒に飲みましょう! 飲んでしまいましょう!」
何故だか泣きそうな顔になってシエラがグッとグラスを押し付けてきた。そこまでされて断ることは出来ず、シルヴァは渋々グラスを受け取った。
「あなた方、どんな関係なんですか? 今回、初めて会ったわけではなさそうですけど」
口をつけてみると、ここの葡萄酒は飲みやすく、お互いに三杯ほど飲んだところで気分の良くなったシエラがシルヴァに尋ねた。
「あの男のことを話すには、俺の過去を長々と語ることになりますが……」
「聞きたいです。あなたの話も」
全部聞きます、というシエラの優しい表情がシルヴァの心を動かした。
「――俺の母親は実は貴族だったんですよ……」
アルコールの後押しもあって、シルヴァが少しずつ自分の過去から話し始めた。
「一緒に過ごした十九年間、ずっと母は何も語りませんでした。母が亡くなった後、俺はアルファだったので家から追い出されたんですが、最後に祖母から話を聞かされました。お前の母親は二十歳で見合いに行って、二十五で幼いお前を連れて帰ってきたと。番もなく、ただ俺だけを連れて」
見合いに行ったのに逃げてきたみたいだった、と。
「もしかして、お母様のお墓があるのは貴族の土地ですか?」
「そうです。……だから、未だに俺は母親の墓に弔いの花もあげられていなくて」
貴族の土地には貴族以外、立ち入ることが出来ない。
「それはお可哀想に……、私に何か出来ることがあれば良かったのですが、私も見合いに行く身なので」
何もしてあげられない。
「お心遣いありがとうございます」
「いいえ」
ずっと涙を溜め込んだ瞳でシエラがシルヴァの背中を摩る。まるで、すべて話してしまいなさいと言われているようで再びシルヴァが話し始める。
「それで……、突然、家を追い出された俺はアルファのくせにこんな成りで安定した職に就くことが出来なくて、そんな時にガーランドの存在を知ったんです」
五年前のことを思い出して、少しだけ腹が立った。今思えば、あの時は俺の方がガーランドを追い、ずっとガーランドのことを考えていたのだ。
「当時、今から言えば五年前ですが、その時はまだ催眠術に対抗する術がなくて、ガーランドは誰にも捕まえることの出来ない犯罪者でした。俺は、そんなガーランドを奇跡的に捕まえて国家に売ったんです。それでポラリスに入った。酷いでしょう?」
そう問い掛けた時にはシエラは静かに寝息を立てていた。本当は彼に「それは酷いですね」と言ってほしかったのかもしれない。
「はぁ……」
シエラをベッドに寝かせ、シルヴァは隣の部屋に移動してドカッと窓際の椅子に腰を下ろした。何故だか、酷くイライラしている。扉の前に気配を感じて、さらに機嫌が悪くなった。
「ただいま」
開いた扉からガーランドが入ってきて、シルヴァと視線が合致する。
「あんたなんか待ってない」
胸の前で組んだ腕の先で人差し指がトン、トンと音を立てている。それを見て、ガーランドは不機嫌な時に尻尾の先でぱたんぱたんと床を叩く猫の姿を思い出した。
「今の君は不機嫌な猫みたいだ」
「シエラ様なら隣の部屋で酔いつぶれて眠ってるぞ?」
全く会話が噛み合わない。自覚はないがシルヴァも完全に酔っ払っている。
「君もあまりアルコールには強くなさそうだね。こんなに明るいうちから飲んだの?」
「あんたが居ないからだろうが!」
急に立ち上がり、シルヴァは両手で強くガーランドを後ろに押した。必然的にベッドに座ることになったガーランドの胸倉をグッと掴み、シルヴァが自分の方に引き寄せる。
「おい、本当はああいう長身で、すらっとした美女が好きなのか?」
勢いのままに言葉を吐き出していく。
「彼は男だよ?」
「俺だって男だ! あんた、俺のことが好きって言ったじゃねぇか! それなのに、あんな奴に……! 俺のこと、あんたは好きって言っ――」
「もしかして、無意識に嫉妬してる?」
「なっ」
はっとなり、シルヴァはみるみるうちに耳まで真っ赤になった。酔いが回っていても今の発言はおかしいと自分でも理解出来た。それでも、自分を止めることが出来ない。
「……ス、したのか?」
「え?」
「あいつとキスしたのかって聞いてんだよ?」
手に力を入れて、さらにガーランドを引き寄せる。
「まさか、してないよ。君に出来ないのにするわけがない」
「本当か?」
ガーランドの言葉を怪しむようにシルヴァが黙って魅惑の虹彩を見つめる。そして、何を思ったのか、ふっと笑った。
「……してやっても、いいぞ?」
ゆっくりとふらつきながらガーランドに跨るようにベッドに膝を着き、彼の身体を押し倒していく。
「え、ちょ、ちょっと本気?」
「今更、俺のことが嫌いとか言ったら許さないからな? 二度とあんな奴に引っ掛かるんじゃねぇぞ」
酔っ払い特有の少々舌足らずな喋り方でシルヴァがガーランドに近付き、唇と唇が触れ合いそうになる。
「あれ?」
しかし、既のところで動きが逸れ、シルヴァはガーランドの横のシーツに顔を埋めることになった。体重が全てガーランドに掛かる。
「あんたは……、俺のもん……」
耳元でぼそりと呟いて、まるで動力が切れたようにシルヴァはガーランドの上で動かなくなった。
「あ~~っ、もう……!」
もどかしくなってガーランドはシルヴァをぎゅっと強く抱き締めた。
「不可抗力なんかじゃないよ」
あの夜、僕はシエラ様に催眠術を掛けた。
きっと君は怒ると思うけれど。
どうしても、君を抱きたかった。
君は怒っていると思うけれど。
君はいつも素直じゃない。
いつもなんだよ。
ごめんね、僕は君に隠し事をしている。
大きな隠しごとだ。
ただ、僕からは何も言えない。
何も出来ない。
今の君には何も通用しない。
「このまま、ずっと君のそばに居られたら、どんなに幸せだろう」
――記憶は忘れても、感情までは奪えない。
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