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魔法で消えた過去の記憶

~六年前~ 「出てけって、そんな急には無理だ! どうやって生きていけと言うんだ? なあ!」  シルヴァの目の前で無残にも貴族の土地へと続く門は固く閉じられた。門に彫られた気品ある装飾たちが全て顔に見え、シルヴァを笑っている。そんな幻覚さえ見えるほどの失望感。 「そんな……」  暫く、シルヴァは門の前で立ち尽くしていた。  シルヴァが十九歳になった年、彼の母親が亡くなった。貴族の土地はオメガの物、アルファだったシルヴァは突然、何の前触れもなくその土地から追い出された。母親の葬儀が行われる前日のことだった。  所持金も持ち物も何もない。まるで、死ねと言われているようだった。しかし、シルヴァの性格は意地でも生きてやると吠えた。  ショッテンパードで一番栄えた中心の町に辿り着いてから、シルヴァは必死に仕事を探した。だが、アルファらしくない身体では力仕事も碌に出来ず、オメガなのではと疑われどこに行っても雇ってもらえなかった。  最終的にシルヴァは自分の身体を売ることにした。 「なあ、あんた俺を買ってくれよ」  暗い夜道で、他の人間がやっているように見様見真似で見知らぬ男に声を掛ける。 「お前、オメガだろう?」  スーツを着た割と金を持っていそうな中年の男にそう言われた。 「違う、アルファだ」 「どう見てもオメガだ」 「違う!」 「子供を孕まれたら困るんだよ!」 「っ……」  勢い良くど突かれ、シルヴァは地面に尻餅を着いた。  金を持っている人間は子供をネタに脅されるのを恐れ、オメガの男娼を避けているのだった。 「くそ……」  悔しさから地面に拳を打ち付ける。そんな自分の腕さえ見ていると苛々してきた。 「くそ……! え?」  もう一度打ち付けようとして、腕を上げたところを誰かに掴まれた。そのまま、グッと引っ張られシルヴァは立ち上がる。 「大丈夫かい?」  目立つ赤毛、不思議な色の虹彩がシルヴァの顔を覗き込んできた。紺色のスーツを着た、少しだけ身なりの良い若い男だった。 「れ、礼は言わないからな?」  ここに来てからまともに口を利いてもらったのは初めてで、戸惑い、シルヴァは男から離れようとした。しかし、男はシルヴァの腕を再び掴んで呼び止めた。 「ねえ」 「んだよ?」  苛立ったようにシルヴァが振り返る。 「君を買わせてくれないか?」 「は?」 「僕が君を買う」 「あんたが、俺を?」 「そうだ」 「……え、あ……こ、こっち……」  何もかも初めてで、教える人間がいるわけでもない。シルヴァは他の娼婦や男娼が入っていく宿に男を連れ込んだ。彼にはそれが精一杯だった。 「何もしなくて良いよ」 「そんなわけにはいかない」  シルヴァは男をベッドに押し倒し、服を脱がそうとした。    「だって君、初めてだろう? 震えてる」  これだけで良いから、と男はシルヴァの手を掴んで自分の方に引き寄せる。ベッドの上で、ただお互いの身体に腕を回すだけ。 「名前は?」 「シルヴァ」 「そうか、僕はガーランド。君を助けたい」  そっと優しく漆黒の髪を撫でる。 「なんで?」 「分からない。どうしてかな?」 「可哀想だから?」  虚しそうな青い瞳がガーランドを見上げた。 「いいや、それとは違う」 「じゃあ、な……んっ」  それは、ただ触れるだけのキスだった。 「これが答えかも」  魅惑の虹彩は何の悪ぶれもなく、にっこりと笑う。 「なっ」  唇を手で隠しながらシルヴァは一瞬で耳まで真っ赤に染めた。その反応を見て、初心だなとガーランドは思った。守りたいとも思った。 「シルヴァ、お願いだから、僕以外に買われないで」  約束は出来ないと言われ、ガーランドは毎日シルヴァに会いに行った。毎日、彼を買った。何をしている人間なのか、シルヴァはまだ知らなかった。 「僕以外に買われないでくれって言ったじゃないか」  二か月ほどして、シルヴァが他の人間に買われそうになったところをガーランドは止めた。 「そんなんじゃ生きていけない。あんたに頼ってたら駄目だ」 「駄目じゃない」 「駄目なんだよ」 「違う、駄目じゃない。僕は君に一目惚れしたんだ。君が好きなんだ」  去って行こうとする華奢な腕を掴み、改めて告白をする。 「何言って……」 「シルヴァ、一緒に暮らそう」 「……」  あまりにも真っ直ぐな瞳で見つめられ、視線が迷子になる。何を言えば良いのか分からなくなる。 「嫌?」  ガーランドが顔を覗き込むが、シルヴァからの返事はない。   「無理にとは言わない。また、明日来るから」  華奢な腕を解放し、背を向けた時だった。 「え?」  一歩踏み出したと同時に釣り糸に引っ掛かったように後ろから服を引っ張られた。そろりと振り返る。 「……っ」  釣り人が目を逸らし、ガーランドの裾を掴んでいた。 「君は素直じゃないな」  路地裏で、そんな会話をした。それから二人で暮らし始め、シルヴァはガーランドが手品師であるということを知った。どこで披露しているのか、詳しく聞いたことはない。    しかし時折、部屋でガーランドがシルヴァに新作の手品を見せることがあった。 「ねえ、シルヴァ? こんな手品は、どうだろう?」  ガーランドがそう言うと大きな赤い布が床に落ちた。見ると、それを被ってそこに立っていたはずの彼の姿がない。一瞬で消えてしまった。 「おい、ガーランド? どこに消えた?」  シルヴァは赤い布を拾い上げて、キョロキョロと辺りを見回した。どこを見ても手品師の姿はない。 「ガーランド? おい、ガーランド!」  必死にガーランドを探す声が部屋の中に響いた。 「ここだよ」  声のする方を見ると部屋の扉の前にガーランドが立っていた。 「何をしたんだ? 悪魔に魂でも売ったのか?」  別の意味で心配しながら慌ててシルヴァが駆け寄る。 「床に穴を空けたんだ。驚いた?」  ガーランドが持ち上げると床板は、いとも簡単に外れた。 「あんた、最低だな」  ほっとしながらも眉間に皺が寄る。本当に悪魔に魂でも売ってしまったのかと思った。 「君はこういうのが好きだろう?」 「嫌いだよ」  布をガーランドに投げつけ、シルヴァはベッドに転がった。布をキャッチしたガーランドが、その横に腰掛ける。 「じゃあ、何が好き?」 「何って……、他に何が出来る?」 「トランクからハトを出す。何もないと見せかけて花弁を散らす。あとは催眠術で人を操る……とか」 「まさか、俺に催眠術を掛けてるんじゃないよな?」  この気持ちは本物か?  これは夢なのか?  あんたは本当に存在しているのか?  頼むから、まやかしではないと言ってくれ。  これが夢なら覚めたくない。 「君に? 掛けてるわけないじゃないか」  君は気付いているだろうか?  今、自分がどんな顔をしているか。  複雑な気持ちになる。  君にそんな風に悲しそうな顔をされては。 「怪しいぞ? その顔」  じっと見つめる青い瞳に笑い掛けるとそんなことを言われた。 「酷いな、いつもと同じ顔だよ。そんなこと言う子はこうしてやる!」  大きな両手を広げて、ガーランドはシルヴァの脇腹を擽り始めた。 「ちょっ、おい! 擽るとか、卑怯だぞ!」 「うわっ」  負けるものか、と飛び付くと二人でベッドから転がり落ちた。シルヴァの下にガーランドが居る。 「痛てて……分かったよ、僕が悪かった。降参だ。――シルヴァ?」  打った頭を手で摩りながら顔を上げるとシルヴァと視線が合致した。 「あんたの瞳……、不思議な色だな」 「君の青い瞳は透き通る空と海を混ぜたみたいで、とても美しいね」 「うるさいぞ」 「キスしていい?」 「……俺に催眠術は掛けるなよ?」 「掛けないさ」 「……ん」  唇と唇が触れ合うものから、徐々に深いものへと変わっていく。 「ガーランド……っ」  シルヴァとガーランドは自然と身体を重ねるようになっていた。お互いがお互いを求めた結果だ。 「君を愛してる」  毎回、ベッドの中でガーランドは愛情をはっきりと言葉にした。 「何言ってんだ」  シルヴァは、いつも真っ赤になり愛の言葉を返さない。だが、ガーランドはそれが好きだった。 「君はやっぱり素直じゃない」  二人の愛は確かなものだった。それでも、ずっとシルヴァはガーランドが何をしているのか知らなかった。何の仕事をしているのか、聞くこともなかった。  いつも話すのはシルヴァの方ばかりで、母親のことを話したこともあった。その時ガーランドは「きっと、会いに行けるよ」とシルヴァを強く抱き締めた。  とても好きだった。  とても愛していた。  ずっとそばに居てほしかった。  ずっとそばに居たかった。  だが、出会って一年が経った頃、事件は起きた。 「ガーランド、俺たちから奪った物を返せ」  町の広場で手品を披露した後、部屋に戻ると、どうやって入ったのか一人の男がベッドに足を組んで座っていた。  黒いスーツ、鋭い眼光、良い人間じゃないことは確かだ。それにガーランドには心当たりがあった。  だから、シルヴァが夕飯の買い物に行っている時で少しだけほっとした。 「何のことだい?」  バレているはずがない、予想で自分だと決めつけているのだ、と知らないフリをする。 「お前、俺の部下を騙して金と手帳を奪っただろう?」 「僕じゃないよ、証拠はあるの?」 「お前だって噂があるんだよ」 「単なる噂だろう?」  分かるわけがない。いつも記憶も証拠も残さない。  話している間に同じようなが男が四人ほど増えた。広くない部屋の人口密度が上がり、緊張感が増す。  早めに催眠術を掛けて帰ってもらおう、と思った時だった。 「白を切るのは良いが、後悔するのはお前だぞ? ――おい、連れてこい」  リーダー格の男が指示すると扉を開け、もう一人男が入ってきた。無理矢理に誰かを引っ張ってくる。 「んー、んんー!」  口を布で塞がれ、両手を後ろで縛られたシルヴァだった。 「シルヴァ!」  まだ買い物に行っていると思っていた。何故、こんな時に限って……。 「こいつは、お前が可愛がってるオメガだろう?」 「彼は関係ない!」 「んんんっん!」  オメガじゃない! と塞がれた口で主張する。だが、「奪った物を返さないとこいつを殺すぞ?」と首元にナイフを突きつけられ静かになった。 「分かった、分かったから待ってくれ。手帳ならここに」  両手を上げながら、シルヴァの方に近付いていく。 「おい」  ガーランドの動きに警戒して、シルヴァの首元のナイフが軽く肌に触れる。 「ここなんだ」  床を指差しながら、さらに進んでいく。シルヴァと視線が合った。 「シルヴァ……以外、眠れ」  視線を外さずに真っ直ぐな声で、そう言った。瞬間、男たちは魔法に掛かったように立ったまま動かなくなり、カクンと首を垂れた。 「僕が一度指を鳴らしたら、遠くに行って君たちは殺し合う。最後に残った奴は自殺しろ。一人残らず殺せ」  ガーランドがパチンと指を鳴らすと何もなかったかのように男たちは動き出し、黙って外に出ていった。  静かな空間に残されたのはシルヴァとガーランドだけ。 「ごめんね、僕が悪かった。君を巻き込むつもりはなかったのに」  シルヴァの手と口を解放しながらガーランドが複雑な表情をする。ほっとしたような、悲しいような……。 「今のは何だったんだ? あんたは一体、何者なんだ?」  先程までの恐怖を引き摺り、微かに震えている指先がガーランドの肩に食い込む。 「言えない。今日で君とはお別れだ」 「どういうことなんだ?」 「言えないよ。僕のことは忘れて」  お別れと言いながら、ガーランドはシルヴァを抱き寄せた。まさか、と思う。 「ガーランド、俺に催眠術は掛けるな。ガーラン――」 「眠れ」  ガーランドの腕の中で、シルヴァは力なく倒れた。その身体を抱き上げ、ベッドに横たえる。 「僕が一度指を鳴らしたら、君は次に目覚めた時、僕との記憶を忘れてる。僕らはお互いを知らない……、っ」  一度言葉を止め、ぐっと自分の胸元を鷲掴む。 「君はずっと僕の情報を集めていた。捕まえるためだ。ショッテンパードの国家組織、ポラリスと所属の取引をして僕を捕まえに来て、待ってるから」  ポラリスなら安定した生活も出来て、権力が君を守ってくれる。 「シルヴァ……」  愛しい寝顔を見つめて呟く。  もっと早くにこうしておけば良かった。でも、一緒に居たかったんだ。どうしても離れられなかった。 「お別れの前に、もう一度、君に触れたかった」  分かっているけれど、本当は確かめたかった、お互いじゃないと駄目なんだってことを。 「さよなら」  パチンと弾ける音がした――。  次の週、シルヴァはポラリスと共にガーランドを捕まえに来た。ガーランドの心情を現すかのように今にも雨が降り出しそうな時だった。 「ガーランド」  ちゃんと僕を見つけてくれたね。 「どこかで会ったかな?」  嘘だ、君のことを忘れるはずがない。 「あんたを逮捕する」  君にならされても良い。 「僕を?」  僕のこと、ちゃんと忘れてくれた? 「そうだ」  ねえ、また僕の名前を呼んでよ。  何度だって呼んでほしい。 「面白いね、良いよ」  また君を揶揄いたい。 「抵抗すんなよ?」  君にもう嘘は吐けないんだ。 「抵抗なんてしないさ、もう疲れたんだ」  君に嘘を吐き続けることなんて出来ない。 「確保!」  これで良い、これで良かったんだ。  さよなら、シルヴァ……。  ごめんね、愛してる――。

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