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第5話 2

僕がこの家で暮らし始めてから、もうすぐ一ヶ月になる。その間に年を越して、正月を二人で祝った。 祥吾さんは、どこの誰かもわからない僕を追い出したりしないで、名前までつけて優しく接してくれる。 最初、「香月さん」と呼んだ僕に渋い顔をして、「祥吾って呼んで」と言った。さすがに命の恩人に呼び捨ては出来ないので、「祥吾さん」と言い直すと、「祥吾でいいのに…」とブツブツと言いながらも、少し嬉しそうにしていた。 「無理に思い出そうとしなくていい。いい記憶かどうかもわからないだろ?雪が出て行きたいと思うまで、ここにいればいい。というか、俺はずっといて欲しいと思ってる…」 僕が目覚めて三日経ち、早く自分が何者かを思い出そうと唸っていたところ、祥吾さんが僕の隣に来て、髪の毛を撫でながら優しくそう言った。 「え…いい、んですか?僕、あなたに迷惑かけてしまってるから…早く思い出して出て行かなきゃ、って…」 「いい。もう一度言うが、俺は雪に傍にいて欲しい」 祥吾さんの言葉に、どうしてかわからないけど胸が締めつけられて、ポロリと涙が零れ、自分でも驚いて頰に手を当てた。 「え?雪?どうしたんだ?俺、何かひどいこと言ったか?」 「ち、違う…。自分でも、わからない…けど、なんか、キュウ…って苦しくなって…。たぶん、嬉しいから…と、思う…」 祥吾さんが躊躇いがちに、僕の頭を胸に抱き寄せる。もう片方の手を僕の背中に回して、そっと撫でた。 「そうか…。なら、ずっとここにいて、俺の世話や仕事を手伝ってくれないか。俺は一人が好きで、こんな辺鄙な所に住んでるんだが、雪を初めて見た時から、離したくないって思った。きっと、一目で雪を好きになってしまったんだな。…と、こんなキモいこと言うおっさんとは暮らせないか?」 「ううん…、大丈夫。僕も、本当は祥吾さんの傍にいたい。祥吾さんといると、胸があったかくなって安心するの…。僕も、たぶん祥吾さんが好き…」 「雪…」 祥吾さんが更に強く抱きしめてきて、僕の耳に唇を寄せる。 「雪、今日から二人の記憶を作ろう。俺は、雪がどんな人間だろうと、今目の前にいる雪が好きだ。ずっと一緒にいて欲しい。もちろん、この家にこもりっきりじゃなくて、雪が学校に行きたいとか仕事がしたいとか言うなら、協力する。でも、必ずこの家に帰って来てくれ。ここはもう、俺と雪の家だから」 「い、いいの…?ここは、祥吾さんと…僕の、家?」 「そう、二人の家だ。ダメか?」 「ありがとう…祥吾さん。出会って間も無い僕を、受け入れてくれて。すごく嬉しい…っ。ありがとう…」 「ふっ、雪、敬語が取れてる。すっごく可愛い。もう絶対に敬語は使うなよ?」 「…あ!ご、ごめ…ん。…いいの?」 「いいの。あー、俺今すげー幸せだわ。あの日、寒くて面倒くせぇと思いながらも、取材の写真を撮りに出かけて良かった。雪に会えた」 「僕も…祥吾さんが見つけてくれて、良かった」 見上げて微笑んだ僕に微笑み返して、祥吾さんの端正な顔がゆっくりと近づく。 僕がそっと瞼を下ろしたと同時に、唇に少し冷たい祥吾さんの唇が触れた。

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