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 窓の外は平たい筆で塗りたくったように黒一色に沈んでいる。風光明媚、美しい地方であると聞いていたがこれでは全く見えない。そもそも景色よりも、向かいに座った男の、窓の桟に肘をかけうとうとと微睡む姿のほうが暁の目を愉しませた。  褥の中でセシルの寝顔を見ることは少なからずあった。だがこのようにうたた寝をする姿は珍しい。吸血鬼のくせに夜は眠くなるなんて、とひっそり腹の中で笑った。  夜汽車は暗闇の中をひた走る。もう日付が変わった頃だろうか。明かりを落とした車内、小窓のついた扉で仕切られた向こうの通路を通る人影は、とんと見当たらない。暁の喉がコクリと鳴る。誰も通らない。そう思うと、そして目の前で舟を漕ぐ美しく無防備な寝顔を見ていたら、我慢などできなかった。  揺れに気を付けながら座席から腰を浮かせ、床に跪く。起こさないようにそうっとセシルの衣服に手をかけ、前を寛げさせた。現れたものは当然だが力を失ってくたりとしている。劣情からわずかに震える手で掴み上げて、先端を舌で舐め上げた。 「ぁ……っ」  興奮から声が漏れてしまう。先端ばかりを何度も丹念に舐め回せば、程なくしてむくりと持ち上がってくる。小さな口を思い切り開けて、愛しいその屹立を思い切り頬張った。 「う、ん……ふ、あ」  扉があるとはいえ通路からも中の様子は多少見えるのだし、いつ誰が通るかもしれない車内で。眠っているセシルに、一方的に。状況の全てが余りに倒錯的で、背徳的で、暁をこれでもかと昂らせる。十分に硬く自立しているそれを支える必要がなくなったので、左手で己の欲望を慰める。触れる前からしっとりと濡れそぼった芯を掴み上げ、ゆっくりと擦る。それでいて口ではセシルの欲望を、まるで至高の美味とでもいうようにうっとりと味わった。 「ん、ふ……」  声が抑えられない。セシルの熱芯は先端から期待の証を溢れさせ、今か今かと解放のときを待っている。芯を奥まで咥えたまま、口中で先端を舐る。舌の腹を強く押し付け、窪みをえぐり、最後に少し引き抜いてその膨らみだけを強く吸ってやれば、ビクリと痙攣して熱いものを暁の舌に吐き出した。 「は、ぁ……」  口中に出された、という事実だけで暁も達してしまった。えぐみのあるその味を舌で何度も確かめ、唾液と絡めて飲み下す。満足して、男の脚に頭を乗せてしばらく蕩けていれば、そっと髪を梳かれた。 「……寝込みを襲うとは悪い子だね、暁」  うふふと笑い、剥き出しの内股に小さく口づけた。 「起きていたくせに」 「途中からだよ」 「本当かなあ」  手をお出し、と言われて、己の欲望に塗れた左手を差し出す。セシルはその手をとると、身をかがめて白濁を舐めとった。まるで先程の暁の口淫をなぞるかのように、手のひら、指の股、指、と見せつけながら汚れを舐めていく。その度に暁の背はぞくぞくと震えた。せっかく落ち着いた熱がまた再燃してしまいそうだ。  夜汽車は暗闇の中をひた走った。空が白み始める頃には、暁もその心地よい微睡みに身を委ねた。  会合は湖畔の小さなホテルの一室で行われた。ホテルといってもひとつひとつの部屋が独立したロッジになっており、暁たちが宿泊するのもその中にある。  建物は二階建てで、十二畳ほどの一階はリビングとキッチンが一体化している。深緑や黄土色などの落ち着いた色彩の調度品は、安らぎと温かみを与えた。吹き抜けになった天井から吊り下がるような形になっている二階部分は、背の低いベッドをふたつ並べたらいっぱいになってしまうほど狭い。天井も近く、二階というより屋根裏といった趣だ。  セシルが戻るまで二時間はある。若草色のカバーがかけられたソファに横になって、亡くなった助教授の部屋から拝借してきた芥川の英語版を読んだ。熟知した話であるのに所々意味を図りかねる部分があり、なるほど翻訳とは大変な仕事だと感心する。詩人が自らの命を儚くしたところで飽いて、そのまま本を胸に伏せた。大きな窓から差し込む陽光に誘われるままに、目を閉じる。ひどく疲れている感じがした。半刻も経たぬうちに暁の意識は沈んでいった。  目が覚めたときには、ソファの横にしゃがみ込んだセシルによってくちづけられていた。小さく濡れた音を立てながら小鳥のように啄み、乾燥した唇を舌で潤す。あまりに緩やかで優しい口付けに戸惑い、薄っすらと目を開けて男を伺う。陽の高い午後のまばゆい陽射しがセシルのグレイの髪を透かしているせいで、白銀に見えた。なんて美しい色なのだろう、と見蕩れていれば、髪と同じグレイの睫毛をふるりと震わし、セシルが目を開ける。 「……寝込みを襲うとは悪い人だね」  セシルの口調を真似ていえば、そろりと頬を撫でられた。冷えた肌が微睡みからの覚醒を促す。 「君ほどじゃあないよ」  全くだ、と笑い、促されるままにロッジを出た。  湖に行こうというので、湖畔を並んで歩いた。冬の気配が強くなってきた水辺は大いに冷える。時折風でぱしゃりと跳ねる水面を見ながら、何をするでもなくただ歩いた。そういえば昼食がまだだ。セシルは会合で何か食べて来たのだろうか。腹が減った、と自覚した頃、ようやくセシルが口を開く。 「美しいところだね」 「うん」  零れんばかりの陽光が水面に反射し、金剛石を散りばめたかのようにチカチカと瞬いている。木々は、針葉樹なのだろう、この時季においても青々としており、力強い生命を感じる。水芭蕉のひとつでもあればさぞ絵になることだろう。さて水芭蕉は英語で何というのだろうか。 「貴方にも景色を愉しむ心があったなんてね」 「心外だな。私は美しいものならすべからく好きさ」 むっとしたように言い、横合いから突然暁の腕を引くと、腰を抱いて引き寄せた。 「暁、君も」  よしてくれ、と笑って押しのけようとするが、びくともしない。セシルは笑ってはいなかった。褐色の瞳が痛いほど真っ直ぐに射抜いてくる。何、と尋ねようとしたが、声が出なかった。 「どうしてだろう。なぜ私はこんなにも君に魅せられるのかな」  冗談を言っている様子はない。なぜ空は青いのかと尋ねる子どものようなひたむきさで、暁の黒い瞳を見据えるばかりだ。 「私にとって君は籠の中の鳥だ、暁。その美しさを眺め、血によって私を愉しませてくれる愛しい小鳥。そのはずなのに、なぜこんなにも君に心乱される?」  怖い。セシルの言葉が怖い。  彼はいつでも暁を見下ろし、虐げる、残酷な存在でなければならない。自分などに惑わされてはならないのだと、暁は身震いした。 「薄闇の中で苦痛に喘ぐ君は美しい。なのに、こうして陽の光の中で屈託なく笑う君はもっと美しい」  聴きたくない。耳を塞ごうとする手は、セシルによって阻まれた。 「どうして? 君にもっと酷いことをして、切り刻みたいという欲望は確かなのに。同時に慈しみたい、守りたいと思うこの衝動は、何だ?」 「いやだ、セシル、聞きたくない」  ようやく喉が震えて声を発する。しかしセシルは暁の声など全く聞こえなかったとでもいうように頭を振るぱかりだ。 「ああ、暁。君はなんと孤独な()をしているのだろう」 「やめて、セシル、もう……」 「君はこんなにも多くの男に求められながら、この世の誰よりも孤独だ」 「やめてっ!」  強く腕を突っ張ってその冷たい体を引き離した。  いつの間にかゼエゼエと息が切れている。呼吸がうまくできなかった。セシルは表情の読めない無感動な顔で、そんな暁を見据えている。そして、湖の水音に負けそうなほど小さな声で確かに言った。  私が傍にいるよと。  暁は耳を塞いで座り込んだ。聞きたくなかった。見たくはなかった。セシルのこんな言葉は、姿は。  愛されたことなどなかった。父は暁を母の腹に残し、母国へと消えた。母の心にはいつも、二度と還らない父しか居なかった。これまで暁を抱いてきた男のどれも、暁の深いところに迫ろうとはしなかった。それでよかった。  こんな感情を向けられたことなどない。優しさなど。慈しみなど。知らない。知らないものは怖い。  光溢れる湖畔で暁は泣きじゃくった。絵に描いたかのように美しい景色の中、世界が壊れていく音を聞いた。  今宵は月が出ない。明かりのない部屋は濃い闇に閉ざされていた。何もかもが真っ黒に沈む中、覆いかぶさってくるセシルの肌と髪だけが白い。 「ん、んん……」  口内をセシルの熱い舌が這い回る。形を変え、上下を取り替え、濡れた音をたてながら二つの舌が絡まり合う。男の大きな右手は暁の手首をゆるく押さえ、左手は秘められた隘路を探っている。そんな風に丁寧にそこを解されるなんて、初めての交わり以来かもしれない。 「ふ、あ……セシル、もう……」  口づけの合間に懇願する。指の緩い刺激では物足りない。もっと熱く、乱暴な楔で穿たれたい。その頼みは聞き入れられ、程なくセシルの欲望が侵入してきた。 「は、あああ……っ」  奥まで一気に貫かれ、背が弓なりにしなる。挿入の悦びに打ち震える余裕は与えられず、セシルはすぐさま抽挿を始めた。快楽のボルテージが一気に引き上げられる。 「暁……」  熱い吐息とともに掠れた声が耳に吹き込まれ、毒でも盛られたかのように体が痺れた。体も、容貌も、声も、髪の一本に至るまで、セシルは美しすぎる。彼にこんな風に求められて、酔い痴れない人間などいない。その身に己の血が流れていることが誇らしくもあり、恐れ多くもある。 「あ、ぁっ、セシ、……っ」  右手にぷつりと皮膚の裂ける痛みがあった。然程強いものではない。縫物をしていて針で突いてしまった、という程度の小さなものだ。見れば、男の尖った爪が小さく皮膚を傷つけていた。セシルはぷくりと珠玉の浮かぶその指を持ち上げると、赤い唇でむしゃぶりついた。  まるで赤子が母親の乳首を吸うように、小さな傷口から血が吸い出される。指に伝わるセシルの濡れた舌の感覚と、止まることなく突き上げられる臓腑と。両方の感覚に酔わされる。だが、まだ足りない。本性をむき出しにしたセシルは、もっと浅ましく獣のようであるはずだ。 「は、ぁ、セシル、もっと、もっと激しく、いつもみたいに、皮膚を喰い破ってよ」 「……暁」  指をセシルの唇から引き抜き、己の首に宛がう。セシルの愛しい体液とともに、いつも彼がその鋭い犬歯で噛み千切るところへ塗りたくった。いやらしく舌なめずりをしながら、見せつけるように、白い首筋へ紅を刷く。 「ねえ、痛くして、お願い」 「……ッ」  セシルの眉間に皺が寄る。下唇を強く噛み締め何かを堪えていたようだが、そんな顔をされては暁のほうが堪らない。その表情だけで暁の熱芯は欲を放っていた。それに伴って内部はセシルの雄を何度も締め付ける。それが彼のなけなしの自制心を取り払った。  次の瞬間には、暁の皮膚は喰い千切られていた。  雨の匂いで目が覚めた。外はまだ闇に沈んでいる。  セシルは窓際に凭れて、空を見ていた。何ひとつ瞬くことのない澱んだ空である。その横顔はどこか憂い気で、そんな顔は見たくないとばかりに暁は頭から布団を被った。  あの湖畔での出来事以来、セシルはどこかおかしかった。いつも通り美しく、不遜で、妖艶で。だけれどこれまでは容赦なく暁をいたぶっては愉悦に酔っていたあの酷薄さは、幾分か衰えて見える。意図して押し殺している風ですらある。  セシルにはセシルのままでいてほしかった。残酷な彼のままでいてほしかった。与えられるものは単純なほうがいい。痛みと苦痛。それらに喘ぐ暁を悦んでくれるならば、どれだけの苦痛でも耐えてみせるのに。曖昧なもので結ばれた繋がりは脆い。そんな正体の掴めないものよりも、暁は苦痛を選びたかった。

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