35 / 120
第35話
伊達の『ほとんど買い物をしたことがない』というのは、万里の想像力の限界を超えていた。
以前桜峰のことを深窓の令嬢かと思ったことがあったが、電車やバスに乗ったことがないとか、コンビニやスーパーに行ったことがないというのは、一体どんなお生まれなのか…。
そのような方に場所だけを教えて「行ってくれば」で放り出すのは心配なので、近所でよければ付き合いますよと申し出ると、伊達はことのほか喜んでくれた。
翌日が店休日だったため、買い物に行こうということになったのだが……。
「万里、今日は付き合ってくれてありがとう」
綺麗な人ににっこりと微笑まれて、何故か顔が赤くなる。
……美しいものに男女の差はないのだなと思う今日この頃。
店を出て、戦利品を大切そうに掲げて見せた伊達は、スタンドカラーのワイシャツにチノパン、ベージュのトレンチコートという、昨今のビジネスシーンであれば問題なく通用しそうな、きちんとした服装だ。
待ち合わせ場所(『SILENT BLUE』の入るビルのエントランスだ)に現れた伊達を見て、猛烈に己のカジュアル感しかないウェアを着替えたい衝動に駆られたが、そもそも釣り合うような服装は持っていないし、似合わない自信がある。
こういうところがバンビちゃんなどとからかわれる所以だと、万里もよくわかっていた。
伊達に「買い物に行かないならどこでそういう服を買ってるんですか?」とリサーチしてみたが「服は服屋さんが持ってきてくれる」だ、そうだ。
何の参考にもならなかった。
ともあれ。
付近にはいくらでもプレゼント用になりそうな、気の利いたキッチン雑貨の売っているような店がある。
最寄りの駅ビルに何軒か入っていなかったかと思い足を運ぶと、当たりだった。
キッチン雑貨ということは色々なものが陳列してあるわけで、伊達の転倒だけが心配だったが、無事に納得のいくものを買えたようだ。
「万里がいてくれてよかった。僕一人だったら、諦めていたと思う」
「それは流石に大袈裟ですよ。えっと…俺もちょっとグラスが見たかったので、来られてよかったです」
一応、嘘ではなかったのだが、「万里は優しいんだね」と気遣い認定されてしまった。
苦笑すると、ちらりと覗き込まれる。
「少しは元気になったかな」
「あ……。もしかして、俺のために……?」
「ううん。僕がやらかして落ち込んでたのは本当。それから、こんな風に贈り物を買いに来るなんて初めてで、すごく嬉しかったのも本当」
もう一度お礼を言われたが、そんなこと、と首を振る。
こんなことは普通のことだ。
万里こそ、普通に生きていたら確実に出会わなかったであろう伊達と、おこがましいかもしれないが友達のように出掛けられたことが嬉しかった。
「優しい万里には、これから先、素敵なことが沢山あるよ」
「そ……そうだと、いいんですけど」
上機嫌な伊達はそんな風に言ってくれたが、先は……見えない。
万里が言葉に詰まると、
「僕は未来が見えるから、わかるんだ」
伊達はごく普通の口調でそう言った。
それが、彼にとってはごく当たり前のことのようで。
ぽかんと口を開けて、思わず足を止めてしまった。
それに気付き、伊達も立ち止まる。
「なんて、信じた?」
「え。あ……ちょ、ちょっとだけ信じました。もう少し冗談っぽく言ってもらわないと」
「冗談が下手、はキャストとして致命的かなあ…」
冗談だったのか。当たり前だが驚いた。
それくらいのことはできるのではないかと思わせてしまう伊達が恐ろしい。
それからすぐ、迎えの車が来て、伊達は帰っていった。
来た道を歩きながら、少し寂しいような気持ちの万里は考える。
伊達の言ったとおり、素敵なことが沢山あったらどんなにいいだろう。
そのためには……やはり、父の会社のことが片付かなければならないのだろう。
そういえば、大竹はどうしているだろうか。
あの時の彼は、久世の前に現れた勝又という男のように、身持ちを崩している風ではなかったが、勤めていた会社が人手に渡り困っているのではないだろうか。
今更かもしれない。それでも唐突に心配になり、スマホを取り出すと渡されたメモの番号にかけた。
電話は、すぐにつながった。
『ああ、万里君。ありがとう、電話をくれて嬉しいよ』
「あの……あれから、どうしてるかと思って……」
『それが……少し困ったことになっているんだ』
「え……」
そんな。…やはり。
鼓動が大きくなり、胸の中に暗い不安が広がる。
『今……会えるかな?もしかしたら、君がいれば事態が変わるかもしれない』
「大丈夫です。どこに行けばいいですか?」
手短に待ち合わせ場所を決めると、万里は駅へと取って返した。
ともだちにシェアしよう!