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第65話

 久世は立っていられなくなった万里の体を手早く洗い流し、ベッドで待っていろとタオルを押し付けて浴室から解放した。 「歩けなければそこでしんなりしてていいぞ。運んでやるから」  あんなことをされた挙句立てなくてプリンセスホールドで運ばれるなど、恥死する。  万里は半ば意地で立ち上がり、何でもないように体を拭いて、よろめく足を叱咤しながら寝室へと向かった。  廊下を抜け、リビングの奥にあるドアを開けると、ブラウンを基調とした落ち着いた色味の室内が万里を迎え入れる。  だが、先に寝室に到着したらしたで、一体どんな風に久世を待っていればいいのかで頭を悩ませることになった。  タオル一枚なのが心もとないが服を着こむのも変だし、布団に潜っていればいいのだろうか?  シャワーを浴びている恋人を待つ間どんな風にしているのか…などということを、聞ける相手がいないことが悔やまれる。  大学の友人とは下品な話もあけすけな話もするが、これを聞くのは何か違うような……。  桜峰あたりは話を聞いてはくれるだろうが、参考になる意見が聞ける気はしない。  一瞬にして色々考えてしまったが、そんなにびくつくことはないだろうと万里は自分の鼓動を諫めた。  慣れたというほどの回数はこなしていないとはいえ、初めてではないし、久世は酷いことはしない。  …………………………。  嫌だと言っても恥ずかしいことはするか。あと、苦しくなることもする。  …………酷いことは、されているような気がしてきた。 「どうした。立ち尽くして」 「わあっ!?」  悲鳴を上げて振り返ると、驚いた顔の久世が立っている。  せめてドアを閉めてから思考すればよかったと後悔しても後の祭りだ。 「は、早すぎるだろ」 「そんなに時間がかかるタイミングでもなかっただろ。何かサプライズでも仕込もうとしてたのか?」  そんな企画はないが、いつも翻弄されっぱなしで面白くないことは確かだ。  何か久世が驚くようなことをしてやりたい。 「お、俺も、する……」 「何?」  声が小さいせいで、久世には聞こえなかったようだ。  万里は声を張った。 「俺も、するから……、そこへなおれ!」  そこへなおれ 「(なんか変なこと言った俺ーーーー!?)」  てんぱって謎の一言が出てしまった…。  しかも、あったのは意気込みだけで、なおられたところで何をするかなんてノープランだ。 「す………、座れば、いいか?」  今こそ自然なツッコミが欲しかったところだというのに、普段万里の失言をからかってくる久世が、口元を押さえて肩を震わせている。 「笑いたければ笑えば!?」 「いや……真剣なお前に水を差してはいけないと思ってだな」 「その気遣いは今はいらないですから!」  久世は笑いながら、顔を赤くして吼える万里をベッドに座らせ、まだ濡れた髪をかきあげる。  怒っていたというのに、セクシーな動作にドキリとした。 「まあそう怒るな。何をしてくれるつもりだったんだ?」 「うー…もうなにも言わない」  万里はこうやってすぐに子供のように宥められて、久世ばかりかっこよくて面白くない。  こういうところが子供っぽいのだとわかっていても、他にぶつける相手がいないので久世本人に愚痴るしかないのだ。  ぷりぷりしながら文句を言うと、久世は万里の頭を抱き込むようにして、髪をぐしゃぐしゃにした。 「ちょっ、」 「心配するな。俺の方が振り回されてるから」 「っ……そんな風に見えないし」  適当なことを言って誤魔化すなと、巻き付く腕を外そうとするが、久世は優男風なくせに意外と力が強い。 「本当だ。がっついて怖がらせないように必死だ。また逃げられたら大変だからな」 「も、もう逃げない…っていうか、別に逃げたわけじゃ」  『SILENT BLUE』を辞めたときのことなら、潔く身を引いただけだ。  万里だって、久世の傍にいたい。 「その言葉、後悔するなよ」  言葉にしなかった想いが伝わってしまったのだろうか。  至近の久世がニヤリと口角を上げる。  そういう顔をするから逃げたくなる、とは、逃げないと宣言した後では口にできなかった。

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