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その後のいじわる社長と愛されバンビ1
「あー、そいつ」
「えっ」
後ろから聞こえてきた声にぎくりとして、万里は反射的に読んでいた雑誌を閉じた。
別にいかがわしい雑誌とかではない。どちらかといえば一般向けの経済誌だ。万里は将来父の会社を手伝うことになった際何かの役には立つかと(その頃は他にしたいこともなかったため)経済学部へ進んでいるので、持っていても不自然ではないだろう。
ただ、買った動機が純粋な情報収集ではなかったため、突っ込まれると後ろめたいのだ。
そんな万里の気まずさなど気付いた様子もなく、友人である片山は、表紙に書かれている『久世昴インタビュー』の文字を指差す。
「この間テレビ出てたの見た」
「そ、うなんだ?」
毎日のように会ってはいるが、そんな話は聞いたこともない。
「不動産関係のニュースのコメンテーターとしてっつってたけど、俳優みたいな感じだったな。女子アナなんか話しながら目えキラキラさせちゃってさ」
「……買った雑誌にたまたま載ってただけで、そんな有名なんて知らなかったけど」
綺麗な女子アナに鼻の下伸ばしてた(決めつけ)なんて、けしからん。
というかあの男はそんなに表社会への露出が多くて大丈夫なのか。
「つーか、行かねえの?」
一人もやもやしていると、片山は顎で教室の入口の方を指す。
「あっもう時間か」
今日は、クリスマス兼忘年会兼万里の復学祝いなのだ。
万里は立ち上がると、コートを羽織った。
時間はまだ夕方だが、駅前の居酒屋は人でいっぱいだ。
テーブルを軽く見渡すと、一年の頃からなんとなく集まって遊びに行ったりしていた面子が揃っている。
雑談をしている間にそれぞれ頼んだ飲み物も行き渡り、乾杯をした。
頼んだコークハイを呷ると、『SILENT BLUE』で飲むものとあまりにも違って少し驚く。
まあ、常に理想の味を探究し、値段に糸目をつける必要もない厨房で作られるものと、チェーンの居酒屋のものを比べる方が間違っているのだが。
絶対的な味の差はともかく、食には雰囲気も大事だ。
こういう場所で、友達とバカみたいな話をしながら飲むには程よいとも思う。
チープなカクテルをしみじみ味わっていると、突然隣に座る上田に軽く小突かれて、慌ててグラスを持ち直した。
「ったく、お前ほんと最近はすっかり付き合いが悪くなって」
乾杯の一口で酔った……というよりは、元々こういうノリの奴である。
不義理をしている自覚はあるので、万里も素直に謝った。
「ごめんって。バイトもあるし、忙しくてさ」
「ねえねえ、万里のバイト先遊びにいきたいんだけど」
向かい側の女性陣に強請られて、はは……と乾いた笑いを漏らしつつ、困って頭をかいた。
最近、女子からこんな風に言われたり、遊びに誘われたりすることが増えた気がする。
以前の万里なら喜んだだろうが、既に恋人がいるため、ふらふら遊びに行くわけにもいかない。
バイト先に遊びにきてもらう……というのも、『SILENT BLUE』はサービスは健全でも経営者や関係者や客はグレーだ。
料金も、ホストクラブ程度の価格帯ですらなく、オーナーである神導月華の許可のないものは入店できないという規制まであり。
親しい仲間にはメンキャバのようなところで働いていることを軽く伝えたものの、このダークサイド感溢れる詳細を話すわけにもいかないので、波風をたてない断り方を一生懸命考える。
「うーん……うちの店長本気で怖い人だから、みんなが来たら動揺してミスる可能性あるし勘弁かな」
「それじゃ仕方ないか~」
店長が本気で怖いのは本当である。
歩いているときの指先からグラスの置き方まで、フロアに出ている時は本当に気を使う。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、退店時間となったため、会計して店の外に出た。
解散するか、それともカラオケでもいくかという話になり、万里が「俺はそろそろ帰る」と切り出そうとすると。
「万里」
甘い声に耳元で名前を呼ばれ、万里は飛び上がった。
慌てて振り返ると、この場所にあってはならない人物が立っているではないか。
「!?!?!?!?は?な、なんっ……」
「あんまり遅いから、心配で迎えに来たぞ」
そう言う久世の目は笑っていて、どう見ても心配していた顔ではない。
面白そうだからが本音だろうと、万里は心の中で久世に腹パンする。
「なあ、万里、その人……」
「大学の友達かな?うちの万里と仲良くしてくれてありがとう」
久世はにっこり笑って、片山の言葉を封じた。
自分の顔面偏差値を理解しきった笑顔だ。
効果は抜群で、女子の目はキラッキラのハートになっている。
これで万里のバイト先のことなんてどうでもよくなって、今度は久世に会わせろと言われそうで内心げっそりした。
「ほら、行くぞ、万里」
ぽかんとする男性陣と、うっとりなっている女性陣を置き去りに、万里は強引に連行された。
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