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第4話

 一体なにが起こっているのかはよくわからない。  が、兎にも角にも脱出を試みなければなるまい。  別キャラならばまだしも、なんぼなんでも「シア」はまずい。  そんな思いに突き動かされ、目覚めるや身支度もなしに教会を飛び出した。  季節はやはり冬のようで、視界のはるか先、連なる山々は真っ白に染まっている。吹き抜ける風も身を切るように冷たい。  そんな中、何故箪笥の中に防寒着がなかったか……理由は簡単。穴担当のシアにコートなんぞ必要ないからだ。  回収できるスチルの中、シアがまともに服を着ているものはほとんどない。よければ半裸、悪ければ全裸、尻だけをむき出しにしているものもあれば神父服を裂かれめっぽう憐れな姿になっているものもある。 「同じ服ばっかりだったのも、そういうことか……」  さくさく砂利道を進みながら、ぽつりと溜息がもれた。  シアに防寒着は必要ない。  なぜなら彼はこの「ヴィラージュ」においてただの「穴」役でしかなく、分厚いコートを羽織るどころかむしろ肌を晒すことが仕事だからだ。  代わりに、同じ神父服はたくさん要る。  なぜなら破かれたり裂かれたり剥ぎ取られたり、とにかく消費が半端ないからだ。まさに消耗品。いっそ使い捨て。  パンツがない理由もわかった。ぱっと剥いてさっと犯すためだ。ひどい。  そもそもなぜ「ヴィラージュ」なのか。  というより、本当に本当にこんなことが起こりうるのか。  見知ったキャラクターの中に自分の意識だけが入り込むなんて、そんな馬鹿なことが。  根本的な疑問が晴れず、ずっと頭の中がもやもやしている。  大好きなゲームの世界に……というのは、ゲームが好きな人間なら一度は考えたことのある夢だろう。  何時間も費やし育て上げた渾身のキャラクターに実際に会ってみたい。気に入りのあのキャラを直接口説いてみたい。剣と魔法の世界でばりばり活躍してみたい……等々。  オレ自身はあまりゲームをする方じゃないが、愛好家たちがそんな夢を見る気持ちはなんとなく理解できる。  そう。最大の疑問はここだ。  好きなゲームの世界ならまだ理解できる。  が、オレはこの「ヴィラージュ」にすこしの思い入れもない。なんなら苦い記憶しかないくらいだ。  まったくもって興味のない男同士の恋愛狂想曲を、心を無にし見守り続けた。  いけ好かない奴だと思いながらも、甘い言葉で口説き落とした。  すべて莉緒ちゃんのためだ。 「おにいちゃん、スチル集め手伝ってよ」  ある日、ノックもなしに部屋に入ってきた莉緒ちゃんがそういった。  莉緒ちゃんがノックもしないのは今に始まったことではなかったし、八つも年の離れた妹となればもう喧嘩の対象でもない。  無理難題に辟易とさせられることはあるが、基本的には可愛い妹だ。  そんな莉緒ちゃんが差し出してきたのが「ヴィラージュ」だった。  パッケージの表紙だけでは内容がわからず、ひっくり返し裏面を確認し度肝を抜かれた。そこには、プレイヤーの購買意欲をそそる悩ましげな絵がわんさと載っていたからだ。  このときは「スチル」という単語もまだ知らなかった。  肌色多め、モザイクまみれの裏面に絶句、こんなパッケージのゲームを莉緒ちゃんがどこかで購入してきた事実が受け入れられなかった。 「り、りおちゃ……これ、レジ……え? じ、自分で買ってきた、の……?」  こわごわ訊ねあっさり首肯され、目の前が真っ暗になった。  いくら莉緒ちゃんの頼みとはいえ、十八禁のボーイズラブゲームはさすがに難易度が高すぎる。オレには無理だ。  最初は一生懸命断ったし、最後は涙目で懇願したが……莉緒ちゃんの「お願い」を退けることはできなかった。  顔を傾け上目遣いでお願いしてくる莉緒ちゃんは本当に可愛いので、基本的にオレには勝てない。  かくして、莉緒ちゃんが彼氏とデートしている休日、恋人のいないアラサーの兄貴はひとり部屋にこもってイケメンたちとくんずほぐれつ、しこしことスチル集めに励んでいたのだ。  げんなりとしながらもなんとかかき集めた画像は、実に百枚超。  攻略サイトでカンニングしようにも、当時「ヴィラージュ」は発売したばかり。そもそも攻略者自体がまだすくなかった。  だからまあまあ自力でがんばった。  なにげない台詞の中にフラグやヒントが紛れ込んでいることに気づくと、容赦なく飛ばしでいたキャラクターの台詞も舐めるように読むようになった。  字幕と音声が違う箇所があることにも気づくと、ヘッドホンをつけイケメンたちの甘い囁きにも耳を澄ませるようになった。  バッドエンドなんかは特に、攻略対象が手荒くヤンを犯しながら一体どこで選択肢を間違えたのか教えてくれることが多かった。  字幕には出てこないので、音を切っていたら一生気づけないところだった。  男の喘ぎ声に真剣に耳をそばだて、修正箇所とおぼしき場面まで舞い戻り、再び親睦を深めていく……思い返してもしんどい日々。  未回収スチルもあと二枚、どうにかこうにかそこまでたどり着いたが……結局その最後の二枚だけはどうしても手に入らなかった。  キャラクターは全員攻略したし、全員落とさなきゃみられないという極めつけのエンディングも見た。それなのに二枚だけ埋まらない。どうしても。  ネットでくまなく検索してもそれらしい情報はなく、メモを取りながらあれこれ試行錯誤してみてもなにひとつうまくいかず。  はたしてその二枚がどのキャラクターのイラストだったのかすらわからぬままに時間だけが過ぎた。  時間だけが無駄に過ぎ……やがて、オレより先に莉緒ちゃんが飽きた。  もういいよとお許しの言葉をいただき、やっとオレは「ヴィラージュ」から解放されたのだ。  取りそこねた二枚のことは多少気になったが、それでも解放感のほうが勝った。  これが、ほんの一年ほど前のこと。

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