14 / 36
第14話
「アンジェーニュ? どうしたんだよこんなところで。広場でちびたちが探してたぞ」
不思議そうに問いかける声が近づいてくる。予想通りの低音にじわりと視界が滲んだ。
アサドだ。
「やあアサド。神父さまにちょっと話を聞いてもらっていたんだ」
ひょいと身を起こしたアンジェーニュは、それまでの憂い顔はどこへやら……にこやかに答える。答えながら、椅子の陰でややおとなしくなったナマコをしまった。
一回吐き出したにしてはあまり大きさが変わっていない。このままでいけばナマコ汁おかわりになっていたかもしれない。
乗り上げていた椅子から降りたアンジェーニュが軽く伸びをする。
「お陰ですこし、すっきりしたよ」
すっきりしたのはお前のナマコだろう。
そう突っ込んでやりたかったが、そこまでの元気は残っていなかった。アサドが現れほっとした、その次にきたのは絶望みたいな空虚だった。
顔面に散ったナマコ汁に茫然自失。なんでオレがこんな目に。
「シアに?」
「ああ。じゃあねアサド」
鼻歌でも歌い出しそうなアンジェーニュの声が足音とともに遠ざかっていく。
それとすれ違ったアサドが不思議そうに小首を傾げ……足を止めた。椅子の陰に「シア」が転がっているなんて思ってもいなかったんだろう。
ぎょっとして一歩退き、唇を「シ」の形に開いた。が、言葉は出てこない。
反射的に逃げた足が、そろりと再び近づいてくる。
「シア、おま……」
顔射……違う、強制ナマコ汁浴後だということはいわずともわかるだろう。わかってしまうだろう。
「大丈夫か」
顔の脇にかがみ込んだアサドが、多少ためらいを見せつつも頬のナマコ汁を指で拭う。
他人のナマコ汁なんて触りたくもないだろうに……そう思うと、とうとう目尻から熱いものが流れた。
改めて「シア」の扱いの酷さに絶望した。
「あッ、わ、悪……大丈夫なわけないよなッ」
大の男がめそめそ泣き始めたらそりゃ驚くだろう。
わかりやすく狼狽えたアサドが、きゅ、と親指で涙を拭ってくる。いや、拭ったのは涙ではなく睫毛に引っかかったナマコ汁だったのかもしれない。
「シア、あの、あれ……ッ、そうだ、風呂入るか!」
いいことを思いついたとばかりにアサドがすっくと立ち上がる。身を翻しそのまま駆け出していってしまいそうな勢い。
その上着の裾を思わず掴んだ。ほとんど無意識だった。
今アサドがここから離れたら、また誰かがやってくるかもしれない。
平然として、今度は口じゃなく尻を犯されるかもしれない。
「置いていくな……」
なんとも弱々しく懇願すると、アサドは困惑顔で振り返り、しばらく気まずく沈黙した。
本当に置いていかれたくないのなら、立ち上がり自分でついていけばいいだけのことだ。
口の中をかき回されはしたが、下半身……どころか、首から下は一切触られていない。乗られていただけで性感を刺激するようなことはされていない。立ち上がれないはずがない。
なのに、どういうわけか身体が動かなかった。
股間の奥がわずかに疼く。たったそれだけで四肢が鉛のように重い。
精神的なショック、与えられた刺激がダイレクトに身体にも影響する「設定」なんだろうか。
選択肢を盛大に間違えると、ヤンは裏通りで暴漢に遭う。
着衣を裂かれ、むき出しになった尻をいやというほど犯される。
未開通の尻を精液まみれにされたヤンは、暴漢が去った後、呑気にその場に転がったまましくしく泣いていた。
泣きたい気持ちはわかるが、とにかくその場を離れろ。連中が戻ってきたら……別な誰かが通りかかったらどうする。それが助けてくれる相手とは限らない。ダメ押しでやられるかもしれないんだぞ。と。
人目もはばからず不幸に酔うヤンに焦れ、モニターを睨みつけた記憶がよみがえった。
案の定、その後複数の竿要員が現れ、ヤンは再び輪姦された。自力で閉じることができなくなるまで。
田舎に追いやられ内心傷ついていたヤンは、それによりなけなしの自尊心まで折られ……月の綺麗な夜、滝壺へと身を投げる。
花の季節。花弁で桃色に染まった湖に浮かぶヤン。プレイ時間最短にして一番最初のバッドエンド。
ファンの間では「オフィーリアエンド」と呼ばれている結末。
あのときのヤンの気持ちがすこしわかった気がした。
もしかしたらヤンも、逃げ出すに逃げ出せなかったのかもしれない。そういう「設定」だったので、身体が動かなかったのかもしれない。
当時歯がゆくモニターを睨んでいた自分を脳内で平手打ち、強姦おかわり待ちかよ、と悪態をついたことを半魚人像に懺悔したい。
あのとき、傷ついたヤンの元にこの赤毛の羊飼いが来ていれば……奴もまだ生きていたかもしれないのに。
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!