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第30話
夜が明けると男の姿はなくなっていた。
それに気づいて、すぐに部屋を飛び出した。
うかうかしていたらまた戻ってくるかもしれない。どこかで待ち伏せしているかもしれない。罠を張って、シアが飛び込んでくるのを今かと構えているかもしれない。
結局窓辺で眠ってしまい、身体のあちこちが痛んだが……そんなものは気にならなかった。
とにかくどこかに逃げないと。
その一心で村の外に向かいかけ、すぐに踵を返す。
村を出るのは最初にもう試した。駆けても駆けても出られなかった。それを思い出したからだ。
通りを駆け抜け、広場に踊り出る。
ちいさな噴水の周りには子どもたちが集まっており、そこにはアンジェーニュの姿もあった。
「あ、おはようございます神父さま」
ふわりと愛らしい笑顔で挨拶の言葉を投げてくる。
問答無用でひとの口にナマコを突っ込んだことはもうすっかり忘れているようだった。
アンジェーニュのいる噴水周り、その対角線上の向こう側にはシャオメイがいる。
いつも背負っている楽器を器用に爪弾き、歌を歌っている。
「あ、シア! よかったぁ……昨夜ね、忘れてったんだよ。これ」
こっちに気づいてにこにこ近づいてきたシャオメイは、両手にひとつずつ忘れ物を乗せてくれた。卵だ。
アサドと一緒に食べる予定だった月見うどん。
驚かせようと思って、今日は家から出ないと嘘をついた。あいつが日中家に戻ってこないよう仕向け、卵を買いに外に出た。
それがこんなことになろうとは。
男の正体を暴くきっかけとなったのが月見うどんて。ちょっとお洒落感が足りなさすぎる。和風。ゲームタイトルはお洒落にヴィラージュ。なのに。村じゃなくてヴィラージュなのに。うどんて。
「ちょ、え、なんでッ? シア?」
じっと両手に乗った卵を見つめていると、ふと涙が落ちた。
驚いた様子のシャオメイがさっと手を伸ばし頭を抱え込んできた。めそめそ泣き始めたところを他の村人から隠してくれたんだとわかった。
普通なら、それにかこつけ物陰に引き込まれる場面だ。慰めてあげると甘く囁き、着衣を乱し喘ぐ展開になる場面だ。
なのに、抱き寄せてくるシャオメイの腕から性的な意図は感じられなかった。
だからというわけじゃないが、お陰で「まずい」とも思わなかった。逃げなければとも。
「あー……なんでぇ……? よしよし。よーしよしよし」
シャオメイの手が髪を掻き回してくる。
泣きやめ泣きやめと念じる姿が可笑しくて、しくしく泣いていたのにすこしだけ笑ってしまった。
「大丈夫」
告げ、そっとシャオメイの身体を押し離した。両手に持っていた卵は、シャオメイにやった。もう必要ないからだ。
赤毛の羊飼いと月見うどんを食う未来は、もう来ない。
シャオメイと別れ再び歩き出す。無防備に出歩いているのに、不思議とこわくはなかった。
村人すべてが敵だと感じていたのに、どういうわけか今日はまったくこわくない。
向けられてくる視線が、かけられてくる言葉が、どういうわけかいつもと違う。
一体なにが変わったんだろうか。
頭を捻りながらも当て所なく歩いていると、村長の家が見えた。
パツキンツンデレ息子ライアの暮らす家だ。
そこらの村人の家に比べると、格段にでかい。門だってある。突然の豪邸。門の前には馬車が止まっている。
その馬車の傍らに、人が立っている。
誰だろうかと思いながらも近づいて……ぎくりと足が止まった。初対面の主要キャラだったからだ。
街からやってきた都会っ子ヤンの執事。
銀縁眼鏡がインテリジェンスな銀髪男。
のどかな村の景色にまったくそぐわぬ黒タイ燕尾の……レフィだ。
たしか本名はレフィなんとかかんとかどうのこうのと長い名前だったが、男の正式名称が出てくるのは最初の一回だけで、以降はずっと「レフィ」で通っている。
レフィは、主であるヤンをシアが誑かしたと誤解してシアを犯す。まあまあひどい奴だ。
ほら、貴方の好きなちんぽですよ、美味しいですかと冷めた目をしてシアを蔑み、違うと泣いて訴えたって耳を貸さない。
神父のくせに恥知らずな奴めと罵りながらも、そんなシアに三回戦目まで挑むザ・おまゆうブーメラン野郎。それがレフィだ。
今まで出会ってきた主要キャラは、もれなく手を出してきた。
レフィもなんだかんだこじつけて、どこぞに引っ張り込もうとしてくるかもしれない。まずい。
今日初めて覚えた危機感に、背筋がひやりとした。
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