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第32話
さあさあと通されたヤンの部屋は、教会の自室ともアサドの部屋ともまったく違っていた。
まあ豪華。さすが主人公。
床にはふかふかの絨毯が敷かれているし、机や洋服箪笥もお洒落。ベッドは天蓋付き。掛け布団は多分羽毛。ふわふわ。豪華。
「はへぇ……」
突如変わった世界観についていけず、ぽかんと口を開いて室内を見回す。が。
ぱたんと背後で扉の閉じる音がした。
その瞬間、思考が現実に戻ってきた。びくりと震え上がり、そっと背後を振り返る。いる。
あんなに拒否ったのに、赤毛の羊飼いはまんまと一緒についてきていた。気まずそうな顔はしているが、なかなかに図々しい。
図々しいといえば、さっきだってそうだった。
人の信頼を裏切っておいて、いいわけくらいさせろと怒鳴られた。
なんでオレがアサドに怒鳴られないといけないんだ。被害者なのに。
「とりあえず……そっちいけよ」
扉の前にじっと立ち尽くしているアサドを、部屋の奥へと促す。出入り口を塞がれているようで嫌だったからだ。
呼びかけられ顔を上げたアサドは、おとなしく室内へと踏み込んだ。
遠巻きにそれを眺めながら、一定の距離を保ちつつ自分は扉の方へ向かう。いざというとき逃げ出せるように。
「もっと。もっとそっちだよ。ベッドの、ほら、向こう側」
「え……遠くない?」
広い部屋の片隅にあるベッドの、更に奥へと命じれば……ものいいたげに振り返る。それをギリッと睨みつけると、肩を落としつつも男はそれに従った。
とてもしおらしい顔をしている。でも油断してはいけない。
こいつは味方じゃなかった。それを忘れてはいけない。
「そっから絶対出てくんなよ」
低く命じると、困惑顔のアサドは溜息を落とし、それからヤンのベッドに腰掛けた。ふかふかのベッドなので長身の男の身体がゆっくり沈み込むのが見えた。
背中をこちらに向けて座ったので、すこしだけ肩から力が抜けた。
こちらも、扉を背中に座り込む。膝を抱え、顎を乗せる。
いいわけしたいらしいし、なにか喋り始めるかとしばらく待ってみたが……ずっと項垂れたままだったのでこっちから話すことにした。
「お前は……他の奴らとは違うと思ってた」
「……それは、ごめん……」
ぽつりと恨み言をもらすと、同じくぽつりと謝罪が返ってきた。
自分が「シア」にとって他の村人とは違う存在だったという自覚はあったようだ。
おそらく、それを利用しシアのそばにいた自覚も。
「助けてくれてるんだと思ってた」
「一応……助けてるつもりでは、いた……」
自分じゃ触れないなんて謎ルールに縛られている「シア」を、助けてくれているんだと思っていた。
純粋に親切心で。下心なんて微塵もなく。それこそ仏のような心で。
けどそうじゃなかった。
意にそぐわぬ快楽で身悶える姿にすら、この男は欲情していた。めそめそ泣くシアを憐れむどころか、自分も同じようにしたいと身体が反応していたのだ。
「……いつも、あんなだったのか」
「それは……ッ」
ぽつりと訊ねる、眉根が勝手に寄るのがわかる。おかしな質問をしてしまった。答えなんて聞きたくない。
そうだと肯定されても腹が立つし、違うと否定されてもすんなり信じることはできない。
そんな直接的なことを聞かれるとは思っていなかったのか、アサドはぴょんと顔を上げ、ベッドに手をつき肩越しに振り返ってきた。
そのまま飛びかかってこられたらと一瞬身構えたが、それ以上動かなかったのでこちらもほっと息を吐いた。
「それは、違……いや、どうかな……ごめん、なんともいえない」
イミフ。全然答えになっていない。
けど、どちらとも取れるしどちらとも取れない返事でよかった。お陰で信じる必要も疑う必要もない。
俯くアサドの顔が赤く色づいている。
自分のシモの話を赤裸々にするのは恥ずかしいんだろう。困り果て、しょげている。肩を落として、可哀想なくらいに。
「お前を……うちに連れ込んで、安心してたんだ。ほら、お前よく、あれ、その……そういう目に遭うだろ。うちにいたらもう大丈夫だって思ってた」
ぽつりぽつりとアサドが語る。
それじゃあまるで、自分は他の奴らとは違うといわんばかりだ。同じだったのに。また眉根が寄ってくる。
拗ねた子供のように、気づけばむっつり頬を膨らませていた。
「けど実際はそんなことなくて、全然で……抱いて眠らないと安心できなかった。ずっと近くで見張っていたかった。し、下心は、その……な、いや、ないとはいわないけど、でも、力尽くでどうこうしようなんて考えたことは、一度も……いや、一度もってことは」
要は、下心もあったしあわよくばどうこうしたいとも考えていたということだ。素直な男だ。
あんまり素直に語るもんだから、頭の中に築き上げていた朗らかでやさしい、頼りになるアサド像ががらがら音を立てて崩れた。砂礫。砂。さらさら風に吹かれて跡形も残らない。
「けど、無理矢理はしたくなかった。これは本当だからッ、その、そりゃしたかったけど、絶対にしたくなかった。しないって決めてたから、その」
「の割にはギンギンにしてたじゃん」
「それは……ッ」
また顔を上げた。けどすぐ俯いた。しおしおと項垂れたアサドが、半ばベッドに突っ伏す。
それをひどく冷静な気分で見ていた。
皆と同じ欲望を持ってはいたが、皆と同じようにはしたくなかった……中二病ってやつだろうか、なんて。だが。
「好きな子が目の前で悶えてたら……どうしたって反応するだろ」
「へえ……、は?」
思わず声がひっくり返った。
よれよれの声で、アサドはたしかに「好きな子」といった。
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