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第4話 言うなれば、内弁慶
土曜日の昼間っから、いちゃついた代償とでも言うべきか。
シャワーを浴び終えた晴希は、「ちょっと、限界。寝る」と言って、俺の布団に倒れ込んで寝てしまった。
自宅の荒れた様子と、煙草、5年分の気持ち、実は口が悪いということがばれて、耐久力が0になってしまったらしい。
汚れた部屋着は、洗濯機が洗っている。さて、これからどうしたものか。
同じように今日二度目のシャワーを浴びた香野は、ベランダ近くで煙草を吸っていた。
優しくて、しっかりしてて、穏やかなお兄ちゃんだった小鳥遊晴希は、可愛い可愛い俺の男になった。
なってくれたはずだ。
あの口の悪さは予想外だったけれど、ちょっとしたギャップ萌えが楽しめる。
もっとやらしい事をして、もっと追い詰めたら、どんな事を口ばしってくれるだろう。嫌だやめろといいながら、抱き着いてくれるのだろうか。
ちょっと過ぎた妄想に苦笑いをこぼして、香野は、煙草の灰を落とす。
危ないと注意されて以来、ちゃんと灰皿を手元に置いている。
鉢植えの隣で吸って、この葉っぱは萎れたりしないだろうか。それとも、悪い空気を浄化してくれるのだろうか。
小鳥遊が持ってきたものなら、浄化してくれそうな気もする。もしかしたら、そのうちアニメよろしく鉢植えが喋りだして、叱られるかもしれない。それも、また楽しそうだ。
社会人になったばかりで、右も左もわからずうろうろしていた自分に、小鳥遊は押しつけがましくないアドバイスをくれた。
愚痴にも何度も付き合ってくれた。
部屋に来てくれるようになってからは、あんまり汚れているのもと、自分でも気を遣うようになった。
料理をしてくれる小鳥遊が困らないように、冷蔵庫の中身も、腐らせないように見るようになった。
全部、小鳥遊晴希が自分に手と目をかけてくれたからだ。じゃなかったら、こんな風に気を付けたりしない。
もっと味気ない、仕事しかないような生活だったろう。
でなければ、悪いやつにひっかかっていたかもしれない。
これまでの、数年間を思い返すほどに、あの荒んだ部屋には帰したくない。
なんとかして、理由を聞くか?
いや、理由を無理して聞く必要はない。ただ、自分が小鳥遊晴希を大事にしているんだという事を、伝え続ければいいんじゃないか。
大事にしている、大切に思っている。だから、できたら、晴希にも自分を大事にしてもらいたいんだよと、伝え続けていこう。
☆
シャワーの後、布団に倒れ込んだ小鳥遊晴希は、ほかっと目が覚めた。
どのくらい寝てしまったかと、時計を探すけれど見当たらない。
自分の姿を確認すれば、パンツ一枚しか身に着けていない。なんでだっけ?と思い出せば、部屋着を洗濯機に放り込んだことを思い出して、顔が熱くなる。
なんとなくきまり悪くて、気恥ずかしい。タオルケットを肩にひっかけたまま、ずるずると布団から這い出して、居間に顔を出してみた。
香野は、こちらに背を向けて座って、テレビを見ていた。
「あ……」
「ん?起きた?」
香野が、くるりと振り返る。テレビ画面には、遠い異国の景色と猫が映っている。
そんな穏やかな風景と同じくらい優しい目をして、香野はこちらを見つめている。ためらわずに、自分に向けて手が伸びてきた。
小鳥遊は、四つ這いでのそのそと部屋から出ると、応えるように手を伸ばしてみた。
すると、ついと引っ張られて、タオルケットごと抱き寄せられた。
「平気?」
「ん。ちょっと眠くて。でも、もう大丈夫」
ふふっと笑って、香野は小鳥遊の額にキスを落とす。
「当たり前みたいに、するなぁ」
「したいから。いいだろ?」
「だめったって、するんだろ?」
しょうがないなと笑って、小鳥遊も香野の頬骨あたりにキスをした。
「なぁ、晴希」
「ん?」
「俺んことだけじゃなくて、自分のことも大事にして」
「自分ねぇ」
いささか懐疑的に、小鳥遊晴希は視線を投げてよこした。
「別に、それほど雑に扱ってるつもりはないよ。ただ、良くしようとも思ってなかっただけ。でも、勇也がそう言うなら、少しは気にするようにする」
「そうして。あんな部屋、辛くて帰せない。このままここに居てくれてもいいけど、それじゃ、晴希が困るだろ?」
「困る?」
「ずっと二人で顔突き合わせてるの、苦手じゃなかった?」
小鳥遊は、苦虫をかみつぶしたような顔で、目をそらした。
……ああ、そうだった。そういう事も、勇也なら気が付いててもおかしくない。
「子どもの頃もさー。晴希はいい子担当だから、みんなと仲良くってやってたけど、一人になるとほっとしてたじゃん」
「……かも、しれない」
「一人の時間が必要なんだから、いきなり一緒に暮らすのは無理でしょ。でもさ、ここにも来てほしいし、俺が行ってもいいし」
「いや、俺が来るよ」
「……来てくれんだ。よかった」
香野は、にこにこと笑って小鳥遊を抱き寄せる。
その腕の力のやさしさは、小鳥遊の自由を奪わない。小鳥遊を閉じ込めたりはしない。
ただ、そっと手を広げて、いつでもおいでと言ってくれているようだ。
香野は、小さく溜息をつく。
「ごめんな。内弁慶のろくでなしで」
「内弁慶ってのは、わかった気がするけど、ろくでなしって?」
「上っ面だけいい人ぶって、本当は人間関係を築こうなんて気がないんだ」
「そう?俺のとこには、来てくれたじゃん」
「それは……」
はっと顔をあげた小鳥遊と目をあわせると、しゅわしゅわと赤くなって、眉が下がる。
「それは?」
「それは、その、勇也だから……」
「ほんとに?嬉しい。でも、晴希はちゃんとできるよ。外でだって、必要があればちゃんと関係性は作っていける。沢山は必要ないってことだろ?」
「あの…、うん。そういう風に、言えなくも、ない」
大丈夫、大丈夫と香野は小鳥遊の肩を、撫でる。
「あとさ、晴希は気が付いてないかもしれないけど、晴希は案外優しいんだよ?」
「嘘だ」
間髪いれずに、反論が返ってくる。香野は、大げさに溜息をついて、肩を落としてみせた。
「やっぱり。伊達に何度も仕事の相談してないよ?困ったお客さんの対処の仕方とか、すごく参考になったし」
「そういう風にしたほうが、結果として、自分に都合がよくなるからだ。別に優しいわけじゃない」
「でも、都合よく仕事が回るようにって言いながら、目の前の人の事情をじっくり聞くんだろ?それって、相手にとっては、十分頼りになる市役所の職員さんなんじゃないの?」
「……さすが、営業。口がうまい」
「強情だなぁ。あんまりがんばると、襲っちゃうよ?」
「その手にのるか」
香野の腕からぬけだそうと、手をつっぱって後ずさる。
小鳥遊を抱き寄せていた腕は、逆らわずに力を緩めた。それでも、まるでめげていない顔で、香野は小鳥遊の足首を掴んだ。
「はーるき」
「……なんだよ」
「好き」
「蓼食う虫も好き好きだな」
「破れ鍋に綴蓋だよ」
小癪に言い返した香野は、足にからむタオルケットをよけて、昨日のあざを撫でた。
「痛そう」
「押すとな。触らなければ、たいしたことない」
大丈夫だと言い返すと、香野は上目遣いでにやっと笑った。
「……なんだよ」
「いや?」
なんでもないと言うくせに、香野は膝に手のひらをあてて丸く撫でる。
「くすぐったい」
「そう?」
膝に乗せた手が、そのまま足を撫でおろす。
「やらしい触り方すんな。何がいいんだよ」
「だって、可愛いじゃん」
香野は気楽にそう言って、最後に膝にキスをした。
小鳥遊は、香野が何かするたびに、顔が熱くなって困っている。
自分ひとりで、勝手に思いを募らせているとばかり思っていたのに。香野は、自分を好きだという。自分自身を、大事にしてくれと言う。
その上、当たり前のように抱き寄せて、キスをして、髪や体を優しく撫でる。
まるで、まるで、とても好かれているみたいじゃないか。
一体、この世はどうなってしまったのだろう。
人間が、苦手だ。はっきりと、嫌いだと言える場合のほうが多い。
にも関わらずと言うべきか、だからこそと言うべきか、人見知りはしない。人当たりが良いとすら、言われる。
子どもの頃からの事だ。年季が入っている。
沢山の中に自分を溶け込ませ、周囲を不快にせず、面倒は引き受けて、自分のペースで事を進める。
数名からは感謝され、数名からは、あいつにやらせとけばいいんだという誹りを受けながらも、公には自分の言うことを聞いてもらうという理屈がたつ。
こういう処が、ろくでもないという所以だ。
香野は、そういう小鳥遊をずっと見ていたはずだが、子どもにとっては「頼りになるお兄ちゃん」というところだろう。
大人になって、ふたを開けてみれば、なんてことはない。ただの、利己主義者だったというわけだ。
まったく、こういうのも悪食の一種なのではないかと思う。
そういえば、「破れ鍋に綴蓋」だと言っていた。
「破れ鍋」の自覚はあるから、ちょうどいいのかもしれない。あの、ゆるやかに広げられた腕が、ちょうどいい蓋になるのかもしれない。
小鳥遊が、ぐるぐると自分の考えにふけっていると、ぱさっと何かが膝に乗せられた。
何だろうと広げてみると、香野のTシャツとハーフパンツだ。
「とりあえず、それ着てて」
小鳥遊は、言われるままにTシャツを頭から被った。服を借りるのは初めてだ。小さい頃は、ずっと貸す側だった。長い時間をかけて、またこうやって出会ったのだと思うと、ほわりと胸が暖かくなる。
タオルケットを畳んで、寝室に置いて戻ると、香野は台所に立っていた。
冷蔵庫をがさがさと漁り、扉を閉めてはぶつぶつなにやら思案気だ。
「どうした?」
「や、夕飯どうしよっかなと思って。何か作れるかなーって」
ああ、そういう事かと小鳥遊は破顔した。
「何か食べたいものある?作るよ?」
「俺でも作れそうなのあったら、教えてよ。たまには、俺も晴希になんか食わしてやりたい」
「そうだなぁ。じゃ、今日は時間もあるし、一緒に餃子包もうか」
「あー!確かに、包む手間かかるもんなぁ」
「準備は簡単だよ」
小鳥遊は、勝手知ったる他人の家とばかりに、文房具のまとめて入っている引き出しを開けると、ペンとメモ帳をとりだした。
ちゃぶ台で何か書き始めたので何かとのぞくと、餃子のための買い物メモだった。
「こんなに色々入ってるんだ」
「好きなものを入れればいいんだ。基本はキャベツだけど白菜でやる人も沢山いるし」
「白菜!?へー!」
香野は、初めて聞いたとばかりにしきりに感心している。その横顔を見ながら、小鳥遊はふといたずら心が湧いた。
「勇也」
「ん?」
「したい?」
呆気にとられた香野は、小鳥遊を見つめたまま動きを止めた。目は丸く、口も開いたままだ。
「そんな、驚く?」
「や、だって、その、おいおい、相談って、でも、あの…」
赤くなって、おろおろしている香野は、口がうまく回らない。でも、ここで逃してはならない。すかさず、小鳥遊の腕に手を伸ばした。
「したい。晴希としたい。いっぱい、触りたい」
「わかりやす」
くくくと肩を揺らして、小鳥遊は笑っている。
「自分で聞いといて、笑うなよ」
「そうだよね。ごめん。いつか、近いうちに、できたらなって、俺も思う」
「ほんと?」
「嘘ついて、どうすんだよ」
小鳥遊は、にやりと笑って香野の首に腕をまわした。
勇也だって可愛いよと思いつつ、驚いたままの唇に甘くて深いキスをしたのだった。
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