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第6話 最初の半歩

香野が玄関を開けると、嗅ぎなれないスパイスの匂いがした。 ただいまと中に入ると、お帰りと返事が返ってきた。小鳥遊晴希の声だ。 「遅くなって、ごめん」 小鳥遊は、いやと首を振る。食卓の椅子に座って、片手に酒、片手に本を持って鍋の番をしていたらしい。 「仕事してれば、普通。金曜日に飛んで帰ってこようってほうが、間違ってるよ。ほら、風呂行け」 抱き着こうと思っていたが、先に風呂に行けと言われてしまった。 ……どうしようかな。 香野は、部屋に荷物を置いてスーツを脱いだ。部屋着を着て部屋を出ると、変わらずに小鳥遊はそこにいた。 通りすがりに、髪にちゅっとキスを一つおとして、風呂に向かった。 「…っなっ!」にをするんだと、小鳥遊が文句を言おうと顔をあげた時には、香野はもう風呂場の前にいた。 仕方がないなと苦笑いを浮かべて、小鳥遊は酒を一口飲んだ。 本に目を落としたけれど、その口元が緩んでしまうのは、仕方がない。 そして、風呂で髪を洗っている香野も、顔がにやけて仕方がない。互いに、落ち着くまで顔を合わせなくて済んで、丁度よかったようだ。 香野は、湯船につかりながら思い出していた。 小鳥遊は、酒を片手に本を読んでいた。部屋着はいつもと変わりなく、自分の布団を部屋の隅に畳んで置いてあった。 あの布団は、後で俺の部屋に持ち込もう。酒は、俺も少しもらおう。それから、少し話しができたらいいな。 風呂は気持ちがいいけれど、腹もへった。不思議な香りの鍋の中身は何だろう。きっと旨いに違いない。 そうとなれば、長居は無用だ。ざばざばと湯船から出て、体を拭き始めた。 居間に戻れば、鍋は温められていて、ポトフのような温かいスープがいつでも食べられるようになっていた。 「晴希、すっごい旨そうなぁ」 「本当に、何を作っても旨そうに食べるんだから。たいした才能だよ」 小鳥遊は、呆れたようにそう言いながら、フォークやスプーンを食卓に出した。 「いっただっきますっ!」 手をぱちんと合わせて、香野は食べ始めた。 「…っあっつっ」 「ほら、慌てると危ないから」 小鳥遊が、水の入ったグラスを目の前に寄せた。 ありがとうと口の中でもごもご言いながら、香野は水を飲んだ。 「はー。危なかった。やけどする。あ、何飲んでんの?」 「ウオッカの水割り」 「そんな、酒強かったっけ?」 「まぁ、一応…」 「ちょっともらおうかと思ったけど、それは無理だな」 「水割りにしてるから、そうでもないよ。ちょっと舐めてみろよ」 ほらっとグラスを手渡される。香野は、恐る恐る舐めてみた。 確かに、飲める。強い焼酎の水割りのような、そのくらいの感じだ。それにしても……。 「まさか、こんなに晴希のことを、知らないとは思わなかった」 「家で飲むようになったのは、一人になってからだしね」 「あ……」 「謝んなよ」 「……はい」 神妙に返事をすると、にやりと笑った小鳥遊が、よしっと頷いてくれた。 「今週も、ゆっくりしていけんだろ?」 「……あ、ああ。その、勇也が、よければ」 微妙に照れるのか、小鳥遊はグラスに口を付けて、目をそらしてしまう。 「居てよ」 てらいなく、香野は答える。隙あらば、晴希が必要だと訴え続けることにしている。 「んでさ、もっと晴希のこと、沢山教えて」 「んー。何かある?」 「あるだろ?酒にしたって、煙草にしたって、知らなかったし。口が悪いとことか?趣味とかないの?子どもの頃は、一緒になって恐竜図鑑見たりしたけど」 「…懐かしいなぁ。やっぱり今も、恐竜は気になる。TVで特集組んでれば見るし、最新の記事を見つければ、読む」 「そういうとこは、変わんないんだ」 「……でも、少し忘れてたかも」 「どうでも、よくなっちゃってたから?」 「かな」 小鳥遊は、グラスに残った酒をぐっと飲み干した。 「冷めるぞ」 あっと慌ててスプーンを握りなおすと、香野はしばらく食事に集中した。胃に重たくないのに、スパイスが効いてパンチのあるスープは、あっという間に無くなった。 ごちそうさまと手を合わせると、香野は皿を台所に下げて、洗い始めた。 「晴希」 「ん?」 「一緒に寝ようよ」 「は?」 「だからさ、晴希の布団を、俺の部屋に持ち込んで並べて寝ようよって言ってるの」 洗った皿をかごに伏せて、蛇口をきゅっとしめた。台拭きで水はねを拭きとって、くるりと振り返ると、小鳥遊晴希は耳の先を赤くして、固まっていた。 「晴希?」 「いや、その…勇也は、そう、したい?」 「うん。せっかく晴希がいるんだから、寝る時も一緒がいい。顔、見えるし」 あっけらかんと答える香野を、小鳥遊が複雑な顔で睨んでいる。 怒っているのか、悔しがっているのか、困っているのか、照れているのか、わかりにくい。でも、手がグーパーしているところを見ると、困って照れているのだろう。 「嫌じゃなかったら、だよ?」 「嫌、な、んてことは、ない」 「良かった。じゃ、動かしとく」 わかりにくい表情の真相は、照れていたのと狼狽えていたのが混ざったものだったらしい。顔より、手の方が正直だ。 そんな小鳥遊を放っておいて、まるで中学生の合宿で布団を並べるような気安さで、香野は小鳥遊の布団を自分の布団の隣に敷いた。 熱くなってぼうっとする小鳥遊に、遠くから「ちょっと狭いけど、いいよな」という香野の声が届いている。 でも、それに返事ができない。 酒を飲み過ぎて、酔っているのではない。香野に、少々振り回されているのだ。というより、香野の言葉や行動に、一喜一憂しすぎているのだ。 ……一緒に、寝よう、だなんて! 小鳥遊は、触りあった日の事を、思い出さずにはいられなかった。あの時、自分の体はちゃんと反応した。その事に、心底ほっとした。 その上、自分とその先もしたいと言っていた。自分は、そんな香野に離婚の理由を、伝えるべきだろうか。 それとも、過去のことは何も説明せずに、一度寝てみようか。 香野は、小鳥遊が説明しない限り、詮索してこないだろう。 一度失敗した人間が、また誰かと愛情を持って、肌を合わせることができるだろうか?黙ったままでいても、いいのだろうか? ぐるぐる悩み続ける小鳥遊の傍に、いつの間にか香野が戻ってきていた。 さらりと髪を撫でられて、はっと顔を上げたら、そこに香野がいた。 「晴希、無理しなくていいんだ。俺は、晴希が好きで、一緒にいたいだけ。平日は会えないから、一緒にいられる時にくっついていたいだけ。まぁ、ちゅーくらいはできたら嬉しいけどね」 そのまま、肩や背中を撫でて、心配ないよと香野は笑う。 小鳥遊は、こわばっていた体の力をぬいた。 説明は、後にさせてもらおう。それよりも、今は香野に触ってもらいたい。自分は、居ていいよと教えてほしい。 「勇也。お前、俺とやれる?」 「いいの?」 「できたら、してほしい。勇也の傍に、居てもいいなら」 香野は、小鳥遊の手を引いて立たせると、力の限り抱きしめた。 「自分なんかどうでもいいと思ってるなら、嫌だよ?」 「そうじゃない。自棄になってるんじゃないんだ。勇也とできたら、何かわかるかもしれない。それに、してほしいのも本当」 「なら、だめって言っても、やめないよ?」 「そうしてくれ。俺だって、初めてなんだ。怖くなるかもしれない」 「できる限り、優しくする」 「頼む」 香野は、腕をゆるめて小鳥遊の額にキスをした。 ちょっと待っててねと言って、部屋に消えた。 ☆ 「晴希」 部屋の中から、小鳥遊を呼ぶ声がした。呼ばれて寝室の戸を開けると、部屋の照明は薄暗く落とされていた。 「勇也?」 「ここ」 一歩入って声の方を向けば、ちゃんと香野はいた。ほっと小さく溜息をこぼすと、香野がその頬をするりと撫でた。 目を合わせて、互いに少し忍び笑う。 香野は、ばさりと上衣を脱いだ。それを見て、小鳥遊はも脱ごうとすると、香野がその手を止めた。 「え?」 「脱がすとこから、やっていい?」 「……お前、意外と段取り踏みたいほう?」 「ロマンだろ?」 しょうがないなと笑った小鳥遊は、香野の裸の胸に抱き着いた。 「勇也、やっぱりダメだと思ったら、無理しないでくれ」 「無理なんてしないよ。もう、わかってるだろ?俺がどんなかなんて」 確かに、立ったまま抱き合っているうちに、小鳥遊の足には香野の熱が確かに感じ取れる。 「俺が、していいんだな?」 「して、欲しい」 「晴希こそ、無理しないで。苦しかったり辛かったりしたら、すぐ言えよ。大丈夫だから」 香野は、小鳥遊の顎に指をかけた。その小さな力につられるように、肩に押し付けていた顔をあげると、二人はゆったりとキスをした。  それは、始まりのキスだ。 丁寧に、ゆるやかに、その中を味わって、互いの気持ちを交換した。 香野の手が、小鳥遊の背中を大きく撫でさすり、その腰をなでおろす頃には、香野の吐息が甘くなる。 そっと、布団に横たえると、小鳥遊は香野を迎えるように両腕を伸ばした。 香野は、何も言わずにすぐ傍に膝をついた。それから目尻にキスをした。 小鳥遊の手は、香野の肩や背を撫でる。たまに脇腹や肩甲骨をくすぐる。小鳥遊なりに色々しているつもりなのに、香野は平気な顔であちこちに唇を落とす。 額や頬は、照れ臭くて嬉しいのに、耳や首になると妙に恥ずかしい。 鎖骨や肩先は、もう皮膚がぴりぴりして、ついでに遠く離れた足先にきゅっと力が入ってしまう。 「晴希、好きだ」 腹筋を下から上になめ上げながら、香野は小さく囁く。 小鳥遊は、ぞぞぞと腰から背中に何かが走り、喉の奥でかすかに答えることしかできない。 もう、どちらも何も身に着けていない。香野の唇と手が、小鳥遊のあちこちに触れる。そのたびに、ぴりぴりしてびくびく跳ねて、熱くなるのに力ばかりが入る。 こんな事では、とても最後までなんてできない。 小鳥遊は、そっと香野に手を伸ばしてみた。熱くて、硬くて。それは、まるで心臓のようだ。 「…っんっ…はるき」 目を細めて、睨むように小鳥遊の手を見つめて、香野が熱い息を吐いている。気持ちよくなってくれているだろうか。 「ゆうや、どうしたら、いい?」 「ん?いいよ。気持ちいい。そのまま、いじってて。俺も、触らして」 香野は、どこに置いてあったのか、ジェルをとりだして手の平で温める。 その手で小鳥遊のものを握ると、にゅるりと緩い液体の感触ごしの香野の手の平がいやらしい。 「あっ…な、んだよ、なんか、へん」 「少しずつね、これにも慣れたほうが、楽だから」 香野の手の動きに合わせて、液体も全体にまとわりついて、そのまま足の付け根を濡らしていく。皮膚ばかりが敏感になるのか、下腹部を覆う香野の手と液体の二つの感触が入り混じる。 小鳥遊は、思わずぎゅっと目を瞑った。いつの間にか、小鳥遊の手は動きを止めて、握っているだけになっている。 香野の手や指が、自分のものをいじっているその感触に溺れそうだ。はくっはくっと荒い息を吐きながら、その熱を中心に集めていく。手足の力が抜けて、たらたらと垂れる潤みと液体の区別もつかない。 「……っ!」 小鳥遊の体が、きゅっと縮こまった。 香野の手が、するりと入り口を撫でたのだ。その瞬間に、緩んでいた小鳥遊の体に、また力が入ってしまった。 「あっ…のっ、いや、勇也、その、ごめん」 「大丈夫だから。急に触って、びっくりしたよな」 小鳥遊は、申し訳ないと泣きそうな顔をしている。 香野は、ゆったりと笑いかけた。そして、小鳥遊の腕を引っ張って起こすと、そのまま抱きしめた。 「声かけた方が良かったな。大丈夫だから、な?」 少し腕を緩めて、目を合わせれば、小鳥遊は狼狽えている。 「でも、俺が…」 「そうだけど、初めてじゃん。それに、まぁ、なんていうの?するようには、できてない場所だし。怖いよな?」 「やめないでくれって頼んだのに」 「うん。だから、もう少し撫でさせてよ。入れないから。で、慣れてこうよ」 「勇也……」 小鳥遊の大きな目が、潤んでいる。元々少したれ目気味なのだが、泣きそうな時は、はっきりとたれ目になる。 香野は、目じりにキスをした。 「泣きそうな晴希もきれいだけど、気持ちいい時は、すげー可愛いよ」 「っなっ!バカかっ!」 「元気になったじゃん」 してやったりというところか。香野は、大きく笑って小鳥遊を強く抱きしめた。 「怖く、ないだろ?」 「うん」 「じゃ、再開」 香野は、ゆっくり小鳥遊を押し倒した。 ☆ 小鳥遊は、深呼吸をして香野の手を待った。 香野は、安心させるように唇にキスをして、それから手を伸ばした。 潤みを纏わせた二本の指が、足の付け根から入り口を繰り返し撫でては中心を掴んで扱きあげる。体の熱が戻り、小鳥遊はまた甘い息を吐くようになってきた。 首や、鎖骨や胸を吸う香野の髪を撫で、背中を撫でた。 ……ああ、気持ちいい 小鳥遊は、気が付けばふーっと息を吐いていた。その瞬間、緩んだ入り口に香野の指がひっかかった。 「っと、ごめん。わざとじゃなくて」 「…そのまま」 香野の、喉が鳴る。小鳥遊の、足の間に移動した。 太ももに手をかけて、外に押せば足が開いた。香野は、手探りだった場所を、初めて正面から見た。 ……これが、さっきの。 自分にも、誰にでもあるはずの場所なのに、今は自分のために柔らかく開こうとしている。なんだか、いじらしいような、可愛いような……。 「いつまで、見てんだよっ」 照れくさいのか、小鳥遊が悪態をつく。 香野は、それならばと指を揃えて入り口周辺を丸く撫でてみた。ぴくぴくと反応する入り口が、やけにそそる。 もっと、触ってみたい。もっと、もっと、してみたい。 二人の中心にゴムをつけると、目の前にさらされた内腿にキスをした。小鳥遊の膝がぴくりと動く。香野は、改めて指をゆっくりと進め始めた。 縁を撫でて、少し指先を沈めると外向きに力をかけながら円を描く。 小鳥遊の小さな吐息が聞こえる。足先が、ぎゅっとシーツを掴んで、時々香野の体を撫でていく。 ……エロくてかわいくて、最高なんだけど。晴希、俺、止まんなくていいの?ほんとに? 胸の内で問いかけてみても、手はどんどん進んでいく。気が付けば、柔らかくてせまい中に指が一本入ってしまった。 くにっと中を緩く押せば、小鳥遊の中心が小さく震える。 「はるき、気持ちいい?」 「んんん…多分、きもち、いい…のか…なんか、へん…」 初めての感触に、うまく言葉にならない。でも、小鳥遊の真ん中は勢いを持ったままだ。きっといいはずだ。 香野は、そのまま中を探って少しずつ指を増やしてみた。 圧迫感を細かい息で逃そうとして、たまに小鳥遊の呼吸が乱れる。 「や…な…ちょっと、待っ…て」 「痛い?」 「…くは、ない、けど」 「ん」 香野は、ゆっくり指を抜いた。 「え…っ、あ…」 「無理しない。こっちはまだいけるみたいだから」 香野は、自分のものを小鳥遊の熱に重ねてゆっくりと動いて見せた。 小鳥遊は、情けなく眉を下げていたのに、そのままぼわんと赤くなって顔を両手で隠してしまった。 「な…そ、れで、お前、い…いの?」 「いいよ?こうやって一緒にこすると、ちゃんと気持ちよくなれるよ、ほら、な?」 ジェルの助けも借りて、二つ一緒に擦り合わせれば、まるでしているかのように熱がたかまる。 小鳥遊は、両手で口を押えて必死で声をこらえる代わりに、大きな目じりに涙をためた。恥ずかしくて、気持ちよくて、嬉しい。 「晴希、俺の、はるき、すきだ…」 「んん、んんんっ……!」 果てたのち、二人はしばらく抱き合っていた。 香野は、そうすることで、小鳥遊が不安にならないといいなと思っていた。 小鳥遊は、そうすることで、自分の喜びが香野に伝わればいいなと思っていた。 「ゆう、や…」 「ん?」 「なんか、ちゅうとはんぱで、ごめ」 「謝らない」 「……」 「心配しなくても、俺は諦めない。だから、晴希も俺を諦めないで。そのうち、ちゃんと気持ちと体が一緒になるよ」 「諦めない……?」 「そう。二人で、ちゃんと色々できるようになる。それに、してもしなくても晴希を好きなことに、変わりはないよ?」 「勇也、勇也……」 小鳥遊は、まるで子供のように香野の胸に自分の額をすりつけた。その背中を、香野はゆっくりと撫でおろした。 その手のひらは、「好きだ」という気持ちを、塗りこめていくようだった。 その後、二人はあまりしゃべらなかった。 シャワーの時も、寝る前も、言葉の代わりにキスをした。キスをすればしただけ、気持ちが伝わるような気がした。 布団を並べて眠れば、二人一緒に大きな繭に包まれるような、緩やかな安心感に満たされた。 二人でいることを、何にも邪魔されないような、そんな気がする始まりの夜だった。

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