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第11話 屋根付き止まり木、大家は愛しいあの男

 抱きしめすぎないように。束縛しないように。閉じ込めてしまわないように。 香野は、小鳥遊の自由を尊重することが、一番大事なことだと思っていた。ところが、実際には、それは一番重要なことではなかった。 まず、とにかく小鳥遊を思い切り抱きしめて、ここが帰る場所だよとわかってもらう事が大切だった。 お前は俺のものだと力の限り叫んでも、そんな事で、小鳥遊の心の自由は奪えない。 それよりも、その自由を恐れずに、できる時にできるだけ可愛がりまくればいいだけだった。そうすれば、迷いなく小鳥遊は自分の手元に戻ってくる。  一方、小鳥遊は、自分が少し情が薄いと思っていた。 好きだからといって、その人だけに全てを捧げるような事はできない。自分の仕事、自分の時間、自分を取り戻すために考える時間。そういったものが、必要だった。 香野と一緒にいる時は、丁度反対の自分になる。全ての時間とアイデアと気持ちと体を、香野のために使う。香野が、受け取りたいと思える形で、差し出したい。そうして全部を相手に差し出すと、小鳥遊の中身は空っぽになる。 決して、香野が受け取りっぱなしで何もくれないわけじゃない。それどころか、あふれる愛情で溺れそうなくらいだ。でも、そういう事ではないのだ。上手く説明できないけれど、その愛情は、自分を包むものであって、自分自身の中から湧き上がってくるものではない。小鳥遊は、いったん満足するとともに使い切った気持ちを、一人の時間に充填する。 香野は、「一人の時間が、必要だろう?」と言って、すんなり受け入れてくれている。そっけない態度を責めもしない。小鳥遊は、自分の態度を変えられないならせめて説明できないだろうかと、思った。 二人で過ごす夜が何度か続いた頃、この気持ちのサイクルを説明してみようと思った。  寝室に敷き述べられた布団の上に、二人はごろごろと横になっている。 昼間、たっぷりと触れ合ったので、夜寝る前には穏やかな空気が漂っている。 「なぁ、勇也」 「ん?」 手にしていたスマホから目を離して、香野は返事をした。 「勇也は、昔から付き合ってる子とはずっと一緒にいたい派?」 「うーん、どっちかっていうと。一緒にいたい派」 「それって、どんな感じ?傍に置いとかないと不安とか?過剰に束縛する風にも見えないけど」 「いや、よそ見すんなとかそういう事でもなくて、一緒の空間にいるだけで何か嬉しいし、いい事あったらすぐ言えるし、困ってたらすぐ聞けるじゃん?」 「……お前、やっぱり普通に女の子と付き合って、結婚したほうがいいかもしれないぞ。きっといい旦那になる」 「あのね……」 まるっきり感心したような小鳥遊に比べて、香野は眉間にしわを寄せて苦虫をかみつぶしたような顔をしている。 「晴希、誰とでもそういう事したいわけじゃ、ないの。わかってる?」 「……あ、うん」 煮え切らない様子で返す小鳥遊に、香野は少々いらだって身を起こした。 「あのさ、俺は晴希と一緒にいると、嬉しくて楽しいことばっかりでえっちも気持ちよくて最高なの。平日にくれるメールもすげー楽しみにしてんの。取引先に文句言われても、上司にねちねち言われても、あと何日で金曜日だなっつって!」 わかってんのかと、香野が乱暴に小鳥遊の髪をぐしゃぐしゃかきまわす。 「ちょっ…手!」 「しょうがねぇなぁ。ちょっと、起きて」 香野は、小鳥遊の腕をとって引っ張り起こした。 それから、正面を向きあって座った。 「何か、あった?」 「いや、じゃなくて、ちょっと聞いてもらいたいことがあったんだけど、その前ふりにお前はどうなのかを聞いたら、思いのほか盛り上がっただけ」 「ああ…じゃ、晴希の話、どうぞ?」 「うん」 小鳥遊が、言葉を探して目を泳がせている。その間に、香野は推理をする。一体何の話をしようというのだろう。昨日の夜、帰ってきた時には小鳥遊はぐっすり眠っていた。自分は、隣でおとなしく寝たつもりだ。髪を撫でたり、額にキスをしたりしたけれど、多分小鳥遊は気が付いていない。今日は昼間にいちゃいちゃしたけれど、無理はしてないはずだ。だんだん反応が良くなってくるところを、しばらく狙っていたのがまずかったか?いや、でも、この感じはそういうエロ方面の話しじゃなさそうだ。 そういえば、話の初めに何を聞かれたんだっけ……?「ずっと一緒にいたい派か」だ。 香野は、なんとなく話の方向性がわかってきたような気した。 一方、小鳥遊は、焦りが顔に出ているのに、うまく言葉が出てこない。正座した膝の上に置いた手は、案の定握っては開いて膝を掴み、また握っては開きの繰り返しだ。 香野は、その肩に手をおいて、頬にキスをしてみた。 小鳥遊は、目を丸くして驚いている。 「え……?」 「ちょっとリラックスできた?」 小鳥遊は、一瞬きょとんとして、それから気が抜けたように笑った。 そうだ、そうだった。香野は、見た目よりもずっと大きくてあまり揺るがないから、まずはぶつかっていけばいいんだった。 「あの…、っわっ!」 話し始めようとしたら、肩を押されて横向きに布団に倒れ込んだ。思わず瞑った目を開くと、目の前には香野の顔があった。 「はいはい、力抜いて。深呼吸はいっ」 小鳥遊は、言われるままに息を吸って、吐いて、それから香野の手を握った。 「ちょっと、手、貸せ」 「いいよ。じゃ、どうぞ」 そう言って、香野は小鳥遊の鼻の頭にちゅっとキスをした。 「いや。さ、だから、俺がちょっと情が薄いなって話で」 ん?と目に疑問を浮かべつつ、香野は黙って聞いている。 それから、小鳥遊は言葉を選びながら、説明を始めた。 香野は、いつでも一緒にいたい派だと言う。でも、小鳥遊の場合は、少し違う。 二人の時間にお互いを与えあうと、小鳥遊の神経は少し疲れて、スカスカになる。スカスカになった気持ちは、一人の時間にまた満ちる。次に香野に会った時、ああしてみたい、こうしてみたいと一人で思う時間があることで、会いたいという気持ちが、また満ちる。 「……だから、一緒にいる時間は大切だけど、いつもかって聞かれるとそうじゃない。やっぱり情が薄いってことなのかなとか。気持ちが足りないのかな、とか……」 小鳥遊の眉間の皺は深く、だんだんと目が伏せられていく。 「なんかわかんないけど、また一人で申し訳ながってることは、わかった」 香野は、小鳥遊の背中に腕を回すと、手のひらでポンポンとたたいた。 「つまり、晴希が自分をちょっと冷たいんじゃないかと思ってるってことだろ?だったら違うよ。どんなに気持ちがあったって、一気に使い尽くしたら疲れるに決まってる。スカスカっていうと、何か悪いみたいだけど、そうじゃなくて、用意してたものを惜しみなく全部使ったってことだろ?そこからまた新しい気持ちが湧いて、そんで一杯になるのに少し時間がかかるって感じ?うーん、温泉みたいな?」 「温泉?」 「そう、湧き水の天然かけ流し。源泉の地下水が貯まんないと、湧いてこないだろ?そういうイメージじゃないかな」 「そ、ういう風に、思っても、いいのか?」 「いいんじゃない?゛好き”にも表し方が色々あるってことだよ。もっと一緒にいる時間が長くなったら、その気持ちを穏やかに少しずつ使って、湧いてくる水と使う水の量が同じになるかもよ?そしたら、スカスカって悩まなくてもよくなる」 「勇也、お前、天才か?」 「営業ですから」 「口が上手いのも、役に立つ」 気持ちが足りないから、スカスカになるんだと思っていた。でも、そうじゃないよと教えてくれた。あるだけ全部、使い切ってしまうだけだよと。 ああ、そうだったのかと、小鳥遊は大きく深呼吸をした。自分の有り様を、受け入れることができるような気がした。 香野は、抱き寄せた小鳥遊の背中や髪を撫で続けていた。ほっと深呼吸が聞こえて、納得してくれたようだとこちらも安心した。香野にしてみれば、一緒にいてもいなくても、ずっと自分のことを考え続けてくれているというのなら、否やはなかった。実際、メールは頻繁に届くし、週末は必ずと言っていいほど、一緒に過ごしている。一緒に居られない時も、連絡がなかった事はない。その上、小鳥遊の心と時間の自由を約束すれば、二人でいる時には、それこそかけ流しの温泉のように、惜しみなく愛情を注いでくれるのだ。なんの文句があるだろう。 香野は、こういう愛情の表し方もあるんだと知って、それを受け入れられる自分が少し大人になれたような気がした。 引き寄せていた体が、少し身じろぎをした。 腕を緩めると、小鳥遊と目があった。どうした?と目で聞いてみた。 「天才には、お礼をしなくちゃな」 小鳥遊は、ついと小鳥のように、香野にキスをした。香野は、小鳥遊の背中に腕を回して、苦笑いを浮かべながら抱き合った。 ☆ 二人で寄り添って眠るようになって、もうどのくらい経つだろう。 エアコンが必要なくなって、昼間爽やかに拭いていた秋風が、ガラス戸を軽くたたいている。 ひとしきり話しを聞いてもらった小鳥遊は、気持ちが軽い。もう遅いから寝ようと部屋の電気を消しても、顔はなんとなく笑ったままで、隣に横になった香野のシルエットを目でなぞってしまう。 小鳥遊は、体の向きを変えると香野の枕に手を伸ばして、そこからそっと髪を撫でた。 ふふっと、香野のくすぐったそうに笑う声が聞こえた。 「悪い」 「触っててもいいよ?俺、気持ちよくてすぐ寝ちゃうかもしんないけど」 「うん。もうちょっと寄っても?」 「もちろん」 小鳥遊は、枕を自分の敷布団の端まで寄せて、香野のすぐ近くに体を寄せた。 「土曜日は、こうやってずっと晴希とくっついて、ごろごろしてて、猫みたいだな」 「……猫に怒られそう」 「怒んねーよ。あいつらだって、一日中うとうとしてるか遊んでるか、食ってるか寝てるかだろ」 「寝るのが二回混ざってる」 小鳥遊が、なんだそれと明るく笑った。 香野は、心の中でよしっとガッツポーズをした。そうだ、こうやって笑っているのが一番いい。 「晴希は、安心して行ったり来たりしたらいいんだよ。俺だって、平日はまるであてになんないんだし」 「うん……わかった」 小鳥遊の目じりが、ぐっと下がる。さっきキスをしてくれたばかりの唇が、色っぽく光って見える。 「もちろん、淋しくなったり困ったりしたらいつでも来ていいし、呼び出してくれてもいい。ちゃんと抱っこして色々し……って!」 調子に乗ってしゃべっていた香野の額に、小鳥遊の手のひらがぴしゃりと当たった。 「ったく。平日に色々されても、困るだろっ」 「抱っこくらい、いいじゃん」 「それは、そうだけど…」 「晴希、背中向けてみ?」 えっとかあっとか言いながら、小鳥遊はもぞもぞと体の向きをいれかえた。 すると、香野の腕が、小鳥遊の腹と、首の下を通って肩に回された、ぐいっと後ろに引っ張られた。 「え?」 「抱っこ」 「いや、あ、の」 「ほら、もうちょっとこっちにずれて」 言われるままに体を後ろにずらしたら、小鳥遊の背中に香野の胸がぴたりとくっついた。首筋には、香野の唇が当てられている。 「ちょ、お前、寝るんだろ?」 「んー、そうなんだけどさ、ちょっとさ…」 「ちょっとって…」 「明日は、まだ日曜日だから寝坊してもいいだろ?」 「寝坊はいいけど、動けないのは困る」 「承りました」 「はっ?何を……っ!」 小鳥遊の腹をゆるゆると撫でていた手は、するりとパジャマの中に入ってきた。下着の上から、中心をすっぽりと手で覆われて、体がかっと熱くなる。 「ゆうや……?」 「触るだけ」 「だけって、そんな・・・」 却って辛いだろとも言いにくい。かといって、積極的に「では、やりましょう」というわけにもいかない。小鳥遊が、どうしようと困っているあいだに、香野は手をゆるゆると動かして、耳元で囁く。 「俺んとこに来てくれてる時は、晴希の中では俺が優先になってるってことでいいの?」 それは、間違いない。小鳥遊は、力強く頷いた。 「嫌な時とかダメな時は、ちゃんと言える?言っても、俺が機嫌悪くしたりしないって、もうわかってる?」 「わかってる…それに、できない、時は、できないし…」 香野が、指を下着の裾からいれて、ゆるゆると内腿をなでる。小鳥遊の体が、ぴくぴく震えて少し息が乱れる様を、欲を浮かべた目で見つめている。 小鳥遊は、どうにも言葉が出てこない。でも、香野のこの手は受け止めたい。それならと、自分の腰を香野の体に押し付けてみた。そこに硬さを見つけて、背中をぞくぞくと波が駆け抜ける。 「ゆっくり、触るだけ」 香野は、言い含めるように囁いて、小鳥遊の耳たぶをちゅっと吸った。 「触る、だけ…」 「そ」 香野は、体を起こして小鳥遊を仰向けにした。暗い夜の闇の中でも、小鳥遊の目が優しく自分を見つめていることがわかる。その目じりにキスをして、額や頬やこめかみにもキスをした。 「勇也」 少し甘えたような声がして、小鳥遊の腕が香野の首に巻き付いた。そのまま、そっと引き寄せられて、深く唇を重ねた。 香野の舌は、やっぱり穏やかにゆっくりと、小鳥遊の口内を撫でていく。 小鳥遊は、ゆるゆるとした刺激が、物足りない様な気もしなくもない。でも、ゆっくりと頭の芯が蕩けて、体の力も抜けて、すっかり香野に全部を預けてしまっているような気もしていた。 「俺も、触っていい?」 「いいよ」 香野は、小鳥遊の頬にちゅっとキスをして体を起こした。ほうっと小鳥遊が脱力している間に、するりとパジャマと下着を脱がせるると、小鳥遊と自分に手早くゴムを付けた。 「ゆっくり、触りっこすんのも、きっと気持ちいいよ」 「ん」 照れくさそうに目を伏せて返事をした小鳥遊は、香野の中心に手を伸ばす。 ……どきどきしてる。 されていたように、ゆっくりと撫でさすると、香野の喉奥から小さな声が漏れる。 「晴希、一緒に」 改めて、向かい合うように座って、キスを繰り返しながら互いの熱を触りあった。ほかほかと体中が暖かくて、肩に引っかかっていた上衣も脱いでしまった。 ローションを撫でつける手のひらが熱くて、くびれをなぞる指の動きに背筋を反らす。 「晴希、可愛いなぁ」 香野が、いたずらをしかけるように、小鳥遊の胸の粒をちゅっと吸った。 小鳥遊は、ぷるっと肩を震わせて、思わず握る手に力が入る。 「そっちは…、だめ」 「なんで?」 「……したくなるから。だめ」 「晴希、すっげー可愛いなぁ」 蕩けた目をして、香野が小鳥遊の頬に手を添えて、また深くキスをする。 角度を変えて、何度も重ねて、下唇をちゅうと吸い上げていった。ぽてっと揺れる唇と、潤んだ瞳がたまらなくセクシーだ。 「晴希……」 「ん……、キス、も、ちょっと…」 小鳥遊が、香野の背中に両腕を回して、力を込めてぐっと体を近づけた。 「いいよ、じゃ、そっちまかせる。こっちは俺が」 そう言って、香野は二つを一緒に手の中に包み込んだ。小鳥遊は、精一杯色っぽく香野を見つめて唇を重ねた。差し入れた舌で、香野の歯先をなぞって、口内を嘗め回す。 香野は、その舌を受け止めながら、大きく手を動かし始めた。 「……っんっ、んっ、あっあっ……んっ」 キスをしていたかったのに、大きく体が揺れて唇が離れてしまったことを、小鳥遊はとても惜しいと思った。それでも、もう両腕で、しがみついていなければならなかった。 しっかりしがみついて、香野のくれる刺激を一緒に感じたかったのだ。 熱を放った後の幸せな浮遊感の中で、二人はしばらく互いの体をもたせ掛け合っていた。そうして、ゆるゆると背中を撫でたり、髪にキスをしたり、くすぐったがったりして忍び笑いを交わした。 そっと体を離して、香野の顔を見ると甘い目で小鳥遊を見つめてくれていた。 小鳥遊は、なんだか照れくさくて嬉しくて、ごまかすように深呼吸をしてみた。その瞬間、あっと何か思いついてすぐに苦笑いを浮かべた。 「何?」 「いや、触るだけなら、ゴムなくても良かったかなって一瞬思って、でも、ダメに決まってんじゃんって思っただけ」 「ダメ?」 「いや、だって、汚れるし」 「まあ、そう、だなぁ。……じゃ、触るだけの時は、風呂いったらよくね?」 「声が響くから、嫌だ」 「うーん、わかった、何か考える」 考えるって何をだよと、小鳥遊はひとりしきり笑った。 そうして、今度こそ心身ともにリラックスして、二人で並んで眠った。 後日香野が、何か便利グッズはないかと検索していたことを、小鳥遊は知らない。

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