12 / 13
第12話 小さな、約束
香野が通う都内の職場と自宅アパートは、通勤電車で40分程度の距離にある。ありがちな首都圏のベッドタウンは、小鳥遊と香野の地元でもある。
海のない東西に広い土地は、なんとなく地域のつながりが薄い。そのおかげで、結婚もしない幼馴染の男同士が二人で歩いていても、取り立てて文句を言うご近所さんもいない。
そんな気楽さを幸いに、二人は休日を遠慮なく一緒に過ごしている。
平日は、しっかり働く。金曜日の晩に枕を並べて眠って、土曜日は飽きるまで触れ合ったり話しをしたりする。夕方には連れだって、夕飯の買い物に出たりする。そして、日曜日の朝にはわかれるのだ。
そんな週末を何度も繰り返していくうちに、小鳥遊と香野は、未来の夢のようなことを、雑談のネタにするようになってきた。
先のことを、互いが傍に居ることを前提として、話せるようになってきた。
香野は、それがとても嬉しい。小鳥遊も、自分がとても安定してきていることに、ほっとしていた。
今も、部屋着で食卓に差し向かいで座って、朝のお茶を片手にのんびりとおしゃべりをしている。
「いつかさ、アパートの隣同士に住んだりしたら、いいんじゃね?」
「ベランダ伝いに往復したりして」
「それかー、宝くじ当てて、広いマンションを買う!」
「悪くない。2LDKで、それぞれ8畳くらいの個人の部屋があって、LDKが15畳くらいあって」
「きれいなキッチンと広い風呂があるんだ」
「ベランダが広いと、いいな」
「ポトスは、家ん中だろ?鉢植え、増やしたい?」
「場所があればね。植物、面白いよ?上手く世話できれば丈夫に育つし、合わないことすると、てきめん弱る」
「そんなもんかぁ。がんばって世話すればいいってもんでもないの?」
「種類によって、合うやり方があるんだ。毎日ざぶざぶ水を欲しがるやつもいれば、ほとんどいらないのもいるし。肥料のタイミング間違えると、枯れるしね」
「へー。あいつら、何にも言わないのにな。俺は、実がなるのがいい」
「ミニトマトとかキュウリは簡単だけど、果物は難しいぞ?あとベランダがジャングルになる」
「マジで?それは、困る」
ええっ!?と香野が眉を下げると、小鳥遊は半分冗談だと笑っている。
にこにこと、未来の話を楽しそうにするその姿は、今までになくリラックスしている。身構えてもいないし、屈折した物言いもしない。素直にこの時間を楽しんで、香野を好きだという目をしている。
「冗談はさておき、二つ並びの部屋、どっかに借りて引っ越さねぇ?」
「うーん。引っ越し続きだからなぁ。あと、駐車場は必須だし、お前は駅まで遠いのだめだし」
「そうだよなぁ」
「今だって、うちからここまで歩いて5分くらいなんだから、十分近いよ」
「そうだけど…家の中で倒れてても、わかんないじゃん」
「もう、前みたいに適当に暮らしてないよ。大丈夫」
そう言われたら、香野も引きさがるしかない。これでは、一緒に住むなど、遠い未来の話しだ。それならばと、話題を変えることにした。
「んー。じゃ、どっかお出かけしよう」
「えらく、話が飛んだな。この間は、銀座か……。ドライブ?」
「乗っけてってくれんの?」
「うん。今からなら、海より山かな」
「おー。いいね。紅葉?行こうよ。晴希」
「そうだな。車なら、人目もあまり気にしなくていいし」
「そんな不用意に、ちゅーしたりしねぇよ?」
ほんとかよ?という目をして、小鳥遊が立ち上がる。何?と香野が首を傾げると、食卓に手をついてぐっと顔を近づけた。
「したくなったら、困るだろ?」
小鳥遊は、香野の頬にちゅっとキスをした。
香野は、目尻を赤く染めながら、すぐ目の前の小鳥遊を睨むように見つめている。その目が、捕まえたと言っている。小鳥遊は、ぞくぞくと背中に痺れが走るのを感じながら、香野の手を待っている。
「……晴希、ずるくね?」
香野は、食卓についた小鳥遊の手首を掴んで、唇にかみついた。ゆっくりとその唇をなめ上げて、隙間に舌をさしこめば、小鳥遊が応える。
がたっと大きな音がした。
香野が立ち上がった時に、椅子が大きく動いた音だ。でも、そんな事は気にしない。その音に集中が途切れそうになった小鳥遊の舌を、強く吸ってこっちを向けよと香野がねだる。
ちゅっと唇を離しても、香野の目が小鳥遊を離さない。
「なぁ、しよ?」
「……あ…」
ためらうように、小鳥遊が目を伏せる。
「な?」
小鳥遊は、小さく息を吐いて、食卓をまわって香野の首に腕を回した。
そして、耳元で囁いた。
「あんま、がんばんなよ。立てなくなると、困る」
「それ、頑張れって言ってるのと、同じじゃね?」
香野は、小鳥遊の腰から背中を撫で上げた。抱っこできないのが、残念だと思いながら。
☆
休日の昼間、外から聞こえる音は、時折通る車の音と風の音くらいだ。二人のいる薄暗い室内には、吐息と水音と衣擦れの音が混ざりあっている。
小鳥遊は、近頃自分の体が、少し柔らかくなったような気がしている。足とは、こんなに大きく開くものだったろうか。背中とは、こんなに過敏に反るものだったろうか。ただ、香野のしてくれるあれこれに、体が勝手に応えているだけなのに、どんどん自分が変わっていく。そして、手も指も、香野を思えば自在に動いて、愛しい男を撫でさする。どうしようもなく好きなのだと、唇と舌がその体に吸い付いてしまう。
「晴希、可愛い。やらしい晴希、すげー可愛い」
「かわ…いく、ない…」
反論すれば、しょうがないなと苦笑いを浮かべて、香野は小鳥遊の中心を強く擦りあげる。
びくびくと体がはねて、膝がゆれて、足先で香野の背中をなぞってしまう。まるで、続きをねだるように。
「晴希、ゴム取って」
小鳥遊は、頭の近くに散らばっているゴムを、逆手で探って香野に手渡す。香野は、片手と口で器用にパッケージを開けると自分と小鳥遊につける。小鳥遊は、自分でしてもいいのだけれど、一度手が震えて上手くいかなかったことがあってから、香野がやけにやりたがる。嫌ではないので、好きにさせている。なんとなく、大事にされているような気もする。ふっと過去の記憶が、目の前に浮かびそうになる。まさか、ゴムを付けていて相手に怒られるとは思わなかった。小鳥遊は、瞬きをしてその映像をかき消した。今は、自分をひたすらに可愛がろうとする男の腕の中だ。それならば、自分も同じようにしても、許されるだろう。小鳥遊は、そろそろと香野の中心に手を伸ばした。ローションと、薄いゴムの向こうに、確かに硬いものがある。ゆるゆると撫で上げたり、形を確かめるように指でたどったりする。その手に、素直に反応してくれるのが嬉しい。今度、口でしてみたらどうだろうか。この指が、舌だったら。その想像に、小鳥遊の中がひどく濡れる。
香野の手に応えるように、小鳥遊の腰がはねて、膝が高くあがる。香野は、もういいだろうと、切なげに小さく開いたり閉じたりしている入り口をそろりと撫でる。香野は、この時の小鳥遊の顔を見るのが、好きだ。趣味が悪いと怒られそうだから、本人には内緒にしている。苦し気に眉根を寄せて、どこか遠くに視線がとんで、そのうち焦点もあわなくなって、睫毛が色っぽく揺れる。唇が薄く開いて息を吐くと、声をこらえるように下唇を噛む。少し鼻にかかった小さな声が、どうしようもなく漏れる。小鳥遊の体中が、強張ったり緩んだりしながら、少しずつ香野の指を飲み込んでいく。
香野の、欲と衝動と好きだという気持ちを、まるごと許してくれているようだ。
指を増やして、大きくゆっくり撫でまわす。小鳥遊の腕が、香野の首を引き寄せようとする。はっはっと浅い呼吸を繰り返す唇は、香野に触れたいと待っている。
頬に首筋にキスをして、ようやく小鳥遊の甘い舌を吸う。ああ、もう……がまん、できない。
「入れて、いい?」
目を合わせて問いかければ、小鳥遊は小さく頷く。
ローションをたっぷり増やして、香野は小鳥遊の奥へ自分をゆっくり沈めていく。
「ん…んあっ…っく…はる、き、息、はいて、力、ぬいて…」
「んんん。ふっ…はっあっ…」
じわじわと力が抜けて、二人はぴったりと一つになった。香野が、小鳥遊の頬や肩を撫でさすると、小鳥遊の足が香野の背骨や脇腹をなぞる。
「晴希、苦しかったら、言えよ?」
やっぱり言葉はなくて、涙目に笑みを乗せて小さく頷くばかりだ。
そうして香野は、目に見えない体の奥の様子を、粘膜や呼吸や筋肉の具合で推し量る。どこをどの加減でどうしていけば、小鳥遊は気持ちいいのだろう?傷をつけないように、苦しめないように。ただ、気持ちよくなってくれと念じながら、自分の欲求とも戦いながら。
一方小鳥遊は、不思議なことだと思っていた。自分自身を入れていた頃よりも、こうやって多少の無理をしながら香野を受け入れているほうが、気持ちいい。
つまり、嬉しくて、幸せだ。
そして、そんな自分の心に従うように、本来職務をいったん放棄した自分の体の奥深くは、柔らかく開いて香野を包んでいる。
自分は、変わってしまったのだろうか。ずっと昔に戻ったのだろうか。それとも、無自覚だっただけで、元々こういう男だったのだろうか。
ふわふわと、まとまらない言葉の端切れが、頭の中を舞う。その間も、大きく足を広げて、ゆるゆると腰を揺らしている。
「もうちょい、いける?」
香野の問いかけに、え?と返事をする間もなく、角度をつけた中心にぐいっと奥をこすられた。
「……っ!」
背筋をばちんと強い衝撃が走って、声もでない。なのに、もっとそこをこすられたい。もう一度、強く突かれて大きく喉を晒して反りかえってしまう。
「あああっあっ、あっ……っ!」
「ここ、いい?」
小鳥遊は、答えられない。中心に熱が集まって、あと数回擦られたら達してしまいそうだ。
だめだと思うのに、体は香野の動きに合わせて、少しでもいい場所に当てようと動いてしまう。
「はるき…いい顔、してんなぁ」
「い…あ、も、だめ、だ、って、……だめっあっあっ……!」
香野は、最後に小鳥遊の体を強く強く抱きしめた。そのおかげで、小鳥遊の嬌声は香野の肩に吸い込まれていった。
「こん、なに、した…ら、だめ、だっ…つの」
まだ荒い息を吐きながら、小鳥遊は香野に苦情を言いたてる。
「がんばれって言ったじゃん」
そんな事を言っても、本音はお見通しだと、香野が甘く囁く。
「言ってねーしっ。……ったく、愛されてんなぁ、おれ」
「そう。好き、大好き、俺の、晴希。俺の…」
「勇也……」
小鳥遊は、とろけるような顔で香野の名を呼んだ。香野は、答えの代わりに、胸の粒をちゅうと吸った。
ばかばかやめろと言われながら、香野はさっさと第二ラウンドを開始したのだった。
☆
小鳥遊は、一度シャワーを浴びてから、また布団に転がっている。正確には、香野に寝ているように言われたのだ。
本当は、夕飯を作るつもりだった。でも、体も頭もうまく動かない。
シャワーに行くときも、香野の肩に捕まって歩いた。風呂場では、手元が怪しくて、シャワーヘッドを取り落とした。その音で、一度は風呂場を出た香野は、すぐに戻ってきて小鳥遊を洗った。
小鳥遊は、抵抗する気も失せていて、香野のするにまかせていた。ぼんやりしたまま、香野の髪にキスをしたり肩に頭をもたせかけたりして、さっきまでの熱の名残を洗い流されているのか、また熱くさせられているのかも、よくわからなかった。
シャワーの水が止まると、頬に手が添えられて顔を持ち上げられた。目の前には、香野の顔があった。しょうがないなと甘やかすように笑って、また体を支えて立たせてくれた。
そういうわけで、小鳥遊は布団の上で転がっている。
額と目を覆うように、濡れたタオルを乗せられている。遠くで、台所の音がしている。部屋の戸を、開けておいてもらったので、香野がそこにいるのがわかる。
小鳥遊は、ぼんやりした頭で、ドライブの行き先を考えている。
香野は、どのくらいの距離を想定しているだろうか。片道4時間弱と言ったら、渋い顔をするだろうか。
小鳥遊は、北関東のある山を思い浮かべていた。
昔火山だったその山は、頂上に大きな火山湖がある。小鳥遊も、まだ行ったことはない。白緑のような、水色のような、不思議な色をした湖だ。火山だから、きっと硫黄の匂いがするだろう。
標高の高い山までの道は、冬季閉鎖になってしまうから、スケジュールを早く考えなければ。もしかしたら、もう間に合わないだろうか。
でも、今は。
まだ、頭が働かない。細かい段取りなんて、考えられない。
頭の中にあるのは、いつだったかに見た湖の写真だけ。理由はよくわからないけれど、なんとなくあの湖を、二人で見てみたいような気がした、
ひょこっと、香野が顔をのぞかせた。
「飯、食える?」
「うん」
小鳥遊は、にっこりと笑ってゆっくり体を起こした。
香野が、その背に手をあてる。
「晴希の目ってさ、普段は大きくてすっきりしてるけど、嬉しいなって時は、ゆるくなって目じりがぐっと下がって、可愛くなる」
「……っば!…」
赤い顔をして、何かを言いかけた小鳥遊は、口を噤んで俯いてしまった。
あれ?と香野が首を傾げる。いつものように、照れ隠しの罵倒が飛んでくると思っていたのだ。
「どした?」
「何でも、ない」
「いやいや、何でもなくない。何?嫌、じゃないんだよな?」
「ない。なくて。その、俺は俺を可愛いなんて、思ったことはない。けど、お前がそう思うんなら、それはそれで、まぁいいかって。いちいち、反論しなくても。いいかなって」
頬も耳も赤くして、小鳥遊はなんとか言い終えた。俯いてしまった頭を少し持ち上げて、上目に香野の様子を伺えば、真顔で自分をまっすぐ見つめていた。
「勇也?」
「うん。あのさ、晴希、ありがと」
「え?」
「いや、うん、なんか。ありがと。ほら、飯食おう」
そういって、香野は小鳥遊の手を引いてゆっくりと立たせた。小鳥遊は、いつもより少しだけ甘えたように、香野の肩につかまっていい匂いのする方に、歩き始めた。
ともだちにシェアしよう!