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第82話

 水温もさほど低くは無い真夏だから出来る事だが、泳げない事は知っているから、唯人はすぐに手を伸ばし、暁の細い腕を取った。 「うっ……アァッ!」 「暁、浅いから……足着くよ」 「っ!……ゆい、なんっ……で」  相当驚いたのだろう。苦しそうに咳込みながらも途切れ途切れに聞いてくる暁を、もう一度……水の中へと沈めると、今度は激しく抵抗した。  抵抗というよりも、泳げないから懸命に足掻(あが)いているといった様子だが、彼の感じる恐怖はかなり大きなものである筈だ。 「ぐっ……う゛ぅっ……」 「びしょ濡れだ」  時間にしたら一分くらいの出来事だったが、脇に手を入れ引き上げた時、先ほどまで色づいていた肌は蒼白になっていた。 「そろそろ朝食の準備が終わる。中に入ろう」  何事も無かったかのように声を掛けてから立ち上がるけれど、暁はそこから動かない。  ウッドデッキに蹲る彼はガタガタと震えていて、その周りには、服が含んだ水が溜まりを作っていた。 「……かんない」 「何?」  咳の合間に小さく漏れた呟きに、唯人は優しく返事をする。震えているのは寒さではなく、混乱と恐怖によるものだろう。 「わかんない。唯が……何考えてるか……からない。どうして、こんな、こんなっ」 「暁、風邪を引くといけないから……」 「や、あっ……ああっ!」  彼の言葉を聞き流し、心配そうな表情を作ってその身体へと腕を伸ばせば、思考が限界を超えたようで、拒絶はしないが瞳を見開き悲鳴じみた声を上げた。  そんな姿を見下ろしながら、頃合いだ……と、唯人は思う。 「工藤、彼を中に運べ」  玄関から室内へと入った執事が、テーブル上に食事を並べているのは視界に入っていたから、振り返りもせず命じると……すぐに姿を見せた工藤が暁に近づき膝を折る。 「服、脱がせておいて。着替えてくる」 「承知しました」  先程暁を引き上げた時、自分も濡れてしまったから……着替えなければならないし、色々と準備も必要だった。 (分からない……か)  それは至極当然の事で、理解してもらう必要はないと唯人は常々考えていた。  こちらだけが暁の全てを知っていればそれでいい。

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