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第144話

 ***  小泉と別れマンションへと帰った時には、午前0時を30分程過ぎていた。  いつものように部屋の前で工藤に一言礼を告げると、カードキーで玄関を開け、物音を立てないようそっと靴を脱ぎリビングへ向かう。それは、眠っているかもしれない唯人を起こさぬようにとの配慮だったが、実際彼が先に就寝していた事はこれまで一度もなかった。  それでも、もしかしたらと思うから、アルバイトで遅くなる時には、いつもなるべく静かに入る。  今日も暁がリビングのドアを開けると、予想したとおりまだテレビがつけられていた。 (フランス映画?)  照明を落とした暗い部屋。  フランス語は専攻外だが、聞こえた言語の響きから暁はフランス映画と推測した。  正面に見える液晶画面は、モノクロームの映像を映しだしていて、唯人はフランス語も出来るのだと暁は密かに感心する。 「……ただいま」  小さく声を発してみるが、それに答える言葉は無かった。  彼の座るソファーは自分に背を向けている格好だから、もしやと思い近づいて見ると、唯人は座った格好のまま、俯き加減で瞼を閉じている。 (初めて……見た)  相当疲れているのだろうか?  彼の足元、毛足の長い絨毯へと暁が静かに膝を付き、眠ってもなお彫刻のように整った顔を覗き込んでも、唯人は全く気づかない。 (息、してる?)  少しのあいだ見惚れていたが、急に不安になってきた。それと同時に、強い衝動が暁の心の中を満たす。 (キス……したい)  眠っている間になんてしてはいけないと思いながらも、そうでなければ出来ないのだから、してしまえと心が囁く。  事実、暁の傷が癒え、通常通りの生活を取り戻して以降、彼は一度もキスをしない。  そればかりか、必要以上のスキンシップもとらなくなった。  とうとう飽きられたのかもしれない……と、思った暁は、自分のアパートに戻る提案をさりげなく彼にしてみたのだが、それにつていは軽く却下され、何故か警護を増やされた。  態度はいつもと変わらない。  優しく、いつも側にいて、いろいろと暁の世話を焼く。  バイトも解雇されないように連絡を入れてくれていた。 (感謝してる。けど……)  そうされればされるほど……暁の心は切なく痛む。  すでに傷が癒えた今、彼が暁を側に置くのは、贖罪(しょくざい)の意味しかないと言われているようで、精神的に辛かった。

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