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第3話 【成瀬くん(大学生)】 - 1

「ルイ君、今日のクライアントは大学生でしたね?」 先生が白衣(はくい)羽織(はお)りながら、奥の部屋から出てきた。 「はい、先生。ボクと同じT大生だそうですが、彼は工学部だからT市キャンパスですね。会ったことはないと思います」 「そうですか」 「先生、予約時間までもう少しあるから、ピアノ()いていいですか?」 「もちろん、どうぞ」 ボクはT大2年。都心の人文学部のキャンパスに通っている。 この恋愛セラピーの相談所は六本木にあり、ボクの通うキャンパスから割と近い。 雑居ビルの地下にあり、夜は先生が趣味でやっているバーになる。店には小型グランドピアノが置いてあり、時々弾かせてもらっている。この、木調のインテリアに囲まれた一番奥の小さなスペースが、ボクはとても好きだ。 ピアノは、子供の頃から中学二年まで週に一度レッスンに通っていた。やめてからは気が向くとたまに弾く程度。上手ではないけれど、ボクはピアノを弾くのが好きだ。 持ってきた新しい楽譜を見ながら、地道に音譜をたどって鍵盤をたたいた。 新しい楽譜なんて久しぶりだ。 『ジャズピアノ入門』という本で、たまたま久しぶりに寄った楽器店で見つけたのだ。自分で楽譜を買うなんて初めてかも。たいていはピアノの先生から渡されていたから、自分で買うことなんてなかった。 楽譜だけではない。ボクが自分で何かを買うって、ノートなどの文房具か、コンビニで買うちょっとした食べもの以外ほとんどない。洋服や日用品やほとんどのものは姉や母が選ぶ。それが当たり前だと思ってきたが、たまに自分で洋服は選びたいなと思って、それでバイトを始めたのだ。バイト代での最初の買い物は、この、新しい本、ジャズの教本となったんだけどね。 最初の10ページほどは簡単なのに、その次あたりから急に難易度が上がってきた。 ……んん、難しいな…… 「ルイ君、新しい曲の練習?」 「はい、ジャズを弾いてみたいなと思ってたんです。でも難しいですね、クラシックとは全然違う。指がもつれそうです」 「新しいことに挑戦するっていうのは良いね」 「全然うまく弾けないんですけど」 「ははは 最初はなんだってそうだよ。だから面白い。 それに、挑戦するって、それだけで素晴らしいことだよ」 熱心に譜面を追っていると、ドアが開く音がした。 カラン カラン… あ、もうそんな時間か。 ボクは譜面をそのまま置いて、入口に急いだ。 「セラピーへ、ようこそ。 お待ちしておりました。奥へどうぞ」 今回のクライアントは、成瀬 達也(なるせ たつや)という大学生。 きちんとアイロンのかかったボタンダウンのシャツを着て、髪はカラーもパーマもしていない黒い短髪。背はボクと同じ170センチくらい。同じ大学2年だというが、高校生といってもよさそうな印象。小さめの目と整えられていない太い眉がそう思わせるのかな。

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