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第10話 - 3

僕の実家は普通のサラリーマン家庭です。 大学で東京に出て来てからは狭いアパート暮らしで、そういった意味でも新しい世界に触れさせてもらえて、すごく楽しいです。 海外旅行に行くようになったのも、勝利さんのすすめです。 僕が海外への憧れを話すと 「なぜ行きたいのに行かないの? 理由はお金? それなら、今は格安ツアーがたくさん出ているのだからぜひ行くべきだね。そのための休暇ならぜひ取ってよ。出来る限り応援するから。 例えばプレゼンテーションで、パリのカフェがコンセプトだと説明するとしよう。 たった1度、1時間でも実際にパリのカフェに行ったことのある人間と、1度も行ったことのない人間の言葉は、説得力が全然違うんだよ。経験ナシかあるかは、ゼロと百。実際に見て経験するということは、それくらい違うんだよ」 なんて言ってくれて。 それで僕は早速この1年間に、短いながらも海外に3回行きました。 海外旅行なんて、大学の卒業旅行で初めて行って以来です。二度と海外旅行に行けるなんて思ってなかったのですが、自分で意識すれば機会は作れる、本気になれば何だってできるんだという自信がつきました。 勝利さんのおかげです。 でも、勝利さんがアメリカから戻って来たのは、基本的には悪化している親会社の業績立て直しのためで、ベテラン社員のリストラも含まれていました。僕が入社以来お世話になっている、親父や祖父のような先輩社員も対象でした。僕は胸が痛みました。 勝利さんも 「ウチの会社で、2代、3代に渡って働いてくれた人たちに解雇を言い渡すのは辛い」 と言っていました。 けど総務の話だと、勝利さんは単にクビを切るだけでなく、すべての社員に次の職場を探して斡旋しているそうです。 勝利さんのそういう姿勢にも胸を打たれました。 一方でIT部門を強化するために、新しく入ってくる社員もいました。 僕はその新しく転職してきた社員のケアをするよう言われました。 新しくIT営業として入ってきたのは、藤本さんという男性と、吉田さんという女性です。 2人とも30代前半で、大手外資系からの転職でした。 吉田さんは明るい人柄で他の社員と馴染むのも早く、僕にも親しく話しかけてくれて、良いお姉さんという感じです。 問題は、藤本さんの方です。 入社してから分かったことですが、藤本さんはウチに入る前、しばらく精神的に落ち込んで引きこもっていた時期があるということでした。 藤本さんは入社して間もない頃から、ウチの社内でも癖のある社員とつるむようになってました。 早い時間から直帰で出かけてそのまま飲みに行ったり、オフィスより喫煙所で過ごす姿の方をよく見かけるようになりました。 先日、吉田さんと藤本さんに飲みに行こうと誘われました。打ち解けるのにちょうどよい機会だと思って誘いにのりました。 会社近くの居酒屋だったんですが、僕が少し遅れて店に入った頃には藤本さんはすっかりできあがっていました。 そしてやたら僕に絡んできたんです。 多少の事でしたら、今までも先輩たちからいじられることもありますから気にしないのですが、どうにも不快な絡み方でしたね。 そのうち、僕と勝利さんがつきあっているに違いない、なんて言い出したんです。 「おい拓海! お前、勝利とつきあってるだろう!?」 って。そうなんです、僕のことも勝利さんのことも、いきなり名前を呼び捨てですよ。 すごい剣幕で、恐くなるほどでした。 何回否定しても、 「つきあってんだろ!? 正直に言えよ!」 と、とにかくしつこい。 あまりにもしつこく、どんどん大声になって絡むから、吉田さんも心配顔になるし、店内の注目も集まるほどになっていました。 酒癖が悪いとは聞いていましたが、そこまでとは思いませんでした。

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