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第9章
あれから1週間ほど経っても、私はこの村を離れられないでいた。というのも、あの酪農家の子から話が広まり、うちの畑の芋が端から掘り返されるのを何とかして欲しいだの、暖炉の火が点いてもすぐ消えてしまうから調べて欲しいだの、学者というよりも便利屋のように扱われるようになってしまったからだ。
しかし、レーイム・ローラ《潜りリス》の体毛やターン・ビタ・マッドマッシュ《火食いトカゲ》の粘膜など"隣人達"の痕跡を採取することができたり、礼として食糧や燃料を貰えたりするのは有り難かった。
今日は羊飼いの家に呼び出された。刈り取った羊毛に何か小さな生き物が包まっており、確認すると姿は見えず羊毛が毟られている、と。
「大したことじゃねえんだが、子どもやカミさんが気味悪がってね、悪りぃな、学者先生」
私と同じくらいの歳の、この家の亭主が言った。大らかな人柄で、私の友人に少し雰囲気が似ている。羊毛を保管している小屋の中は快く見せて貰えた。耳鳴りがし始めるほど集中し、五感を研ぎ澄ませる。
羊毛にじっと目を凝らす。小屋の外で烏が一声鳴き、そちらに一瞬気が逸れた。足下を気配がすり抜けていく。私は足先を少し浮かせ、小さな生き物を足裏で床に縫い止めた。
『乱暴にしてごめんよ』
ブーツの下からそっと掌で掬いとる。
一見して掌に収まる羊だった。しかし、尻から長い裸の尻尾が伸びている。
『カーライト・ラッチ《羊ネズミ》か』
体毛が無いネズミの様な姿で、寒くなってくると羊毛や綿花を集めて毛の代わりに身体に纏うのだ。
私は羊毛からちょこんと出したネズミの顔を確認した後、地面に下ろした。素早い動きで、あっという間に茂みに隠れてしまった。逃してよかったのかと亭主は狼狽えたが、人間に害はなく、群ごと暖かい地域に移動するので自然といなくなる、と伝えるとほっとした顔をしていた。
「なあんだ、ただのネズミの仲間だったのか。俺にはわからなかったよ、学者先生はすげえなあ」
礼に、となんとエールの小瓶を押し付けてきた。私は何もしていないのに貰いすぎだ、と言えば、珍しいもん見せてもらったからな、と歯を見せて笑っていた。
「俺ァこの村から出たことがねぇんだ。何にもないとこだと思っていたが、あんな面白ぇもんが住んでいたなんてな」
子どもの頃は見えていなかったのかと聞けば、遊び呆けていた記憶しか無いと笑い飛ばしていた。
私は欲が出て、エルフやフェアリーは見たことがなかったか尋ねた。
「さあな、森に怪物が出るって話は聞くが」
ふむ、ソラスはよほど上手く隠れているようだ。
私には気になることがあった。連日''隣人達"に関する相談を受けているが、"取り替え子"を擁するトラフィー家から声がかかることはなかったのである。村人からも、子ども達からもその話題が出ることはなかった。
他に困り事を抱えている家はないか訊ねた。
トラフィー家の名を口にすると、先程まで豪快に笑っていた男は途端に無表情になり、私はどきりとした。
「・・・あそこにちょっかい出すのはやめときな」
その表情を見て、この気さくな男もこの村という社会の一員であり集合体の一部なのだと悟った。
油断は禁物だ。閉鎖的な社会に生きる人間は、ちょっとしたきっかけで外から来た人間に対して過敏な反応を示す。
「ちょっかいだなんて。乗り掛かった船というものだ」
私は笑って見せた。
「あそこの家にゃ弟が世話になってんだ。
下手な真似してクビにされたくねえしな」
男が言うには、トラフィー家の亭主が都会に木材を卸すようになってから林業が盛んになり、仕事が増えて村が少し潤ってきたらしい。トラフィー家に雇われている者も多く、解雇されたら食うに困る者が沢山いると。
トラフィー家の亭主は村長の婿養子となっている為一家言を持つのは村長だが、実質的に村長より力を持っていると言える。トラフィー家は、この村の産業の元締めのようなものなのだ。
私はそんなトラフィー家の門を叩いた。
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