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幼馴染み×異世界×新事実
鈍い痛みのあと、全身に強い衝撃を受けて覚醒する。
「へぶっ」
「いつまでぐーすか寝てんだ。起きろ」
不機嫌丸だしの圭太の声に脳内がクリアになった俺は、勢いよく体を起こした。途端に甦る、気を失うまえの記憶。
俺たちはバルコニーから飛び降りた。
普通に考えて、あんなところから落ちて無事なわけがない。ということはここは――――。
「天国……?」
「バカか」
泣きそうになりながらつぶやくと、間髪入れずに圭太からツッコミが入る。
「っだってお前……!」
「とりあえず落ち着け。そんで状況をよく見ろ」
なにを悠長にと思いながらも、現在自分が置かれている状況を把握するために辺りへ視線をめぐらす。
「ここは――――」
まずはじめに目についたのは、大人が三人くらいは余裕で寝れそうなほど大きなベッド。
このベッドの近くで床に転がっていたことと、意識が戻る直前に感じた衝撃。そして、鈍く痛みを訴える身体。それらを総合的に考えた結果、どうやら俺はここから落ちたらしい。
いや、十中八九圭太に蹴り落とされたんだろう。起こすんならもうちょっと優しく起こそうよ……。
腰のあたりにまだ蹴られた感覚が残っているのを擦りながら確認して、今度は別方向に顔を向ける。
今俺がいるのは、シンプルながらも質の良さがうかがえる調度品が置かれ、落ちついた色味で統一された部屋。どう見ても知らない場所。
だけど、不思議とどこか馴染みがあった。なんでだろう、似たような空気感の部屋を知っているような?
「ここって……」
「俺の部屋」
「!」
言いたいことを察した圭太が、あっさりと答えた。
「こっちの世界 での、な」
驚きから両目を見開き、口があけっぱなしになっている俺を、圭太はどこか面白そうに眺めて笑みを深める。
「まさかお前をここに連れてくる日がくるなんて思わなかったけど」
「……」
「おい、聞いてんのかよ」
「いふぇい!」
なにも反応することができずに固まっていると、焦れた圭太に頬の肉をひっぱられる。
心底呆れたようにため息を吐く幼馴染みを上目で窺いながら、俺はおずおずと言葉の意味を問う。
「なにそれどういうこと?」
こっちの世界ってなんだよ。世界にあっちもこっちもないだろう。
だいたいここが圭太の部屋なんて言うのもおかしな話だ。こんな金持ちが住むような場所が、なんで圭太の部屋なんだ。こいつの家は俺ンちと同じで、ごくごくありふれた一般家庭のはずだ。
目は口ほどにものを言うというけれど、俺が不服に思っていたことはしっかり圭太に伝わったらしい。
「お前全然分かってなさそうだから言うけど、ここ日本じゃないからな」
「……」
いや、それはなんとなく気づいてるけど。じゃあどこなんだという話だ。口を挟むと怒られそうなのでそのまま大人しく圭太の話を聞くことにする。
「さらに言うと、地球でもない」
「はい?」
「別の世界。異世界っていうのか」
さらっとそんなことを言ってのけた圭太を凝視したまま、俺は数秒もの間固まった。
復活後、勢いよく跳ね起きて圭太に飛びつく。
「はあああ!?」
「やかましい」
「イテっ」
肩を掴んで叫ぶと、耳元でかしましく騒ぐなと引きはがされてデコピンされる。
本当に相変わらずなやつだ。まあ昔からこうだし、ぞんざいに扱われることにも慣れてるけども、もうちょっと優しさが欲しい。
両手を床について泣きまねをしていると、上からため息が降ってきた。
「いくら頭の回転の鈍いお前でも、少しはおかしいと思っただろ」
「そりゃ……」
思ったけど、い、異世界って。そんな発想自体俺の中にないよ。
バルコニーで見た光景や、王家や魔法などとファンタジックなことを口にしていた男の人のことを思い出す。
突然風呂の底がなくなり溺れた、あの底無しのようなお湯の世界。聞いたこともない言葉に、ブレスレットひとつで魔法をかけたようになくなってしまう言葉の壁。
まるで宮殿のようにきらびやかなお宅。加えて、かなりの高さから飛び下りたというのに現在生きている事実やら、とにかく不思議なことのオンパレード。
ここが地球じゃないと言われればそうなのかもしれないと思うくらいにはいろいろあったけど、それでも、非現実的すぎる。
そう。非現実的だし、そんなことあるわけないって否定したい。
でも見聞きしてきたことが幻なんかじゃないことは自分が一番よくわかっていた。圭太も、こんなつまらない嘘をつくようなやつじゃない。
そしたらもう、信じる以外になかった。
「……異世界……」
そう認識した途端、全身からどっと血の気が引いていく。腹の中が不安という文字で埋めつくされる。得体の知れない世界にいいようのない恐怖を覚えた。
どうして、こんなことになったんだ?
異世界なんてわけのわからない場所に来ちゃって、これからどうしたらいいんだろう。家には帰れるのか? まさか、このまま一生ここで過ごすことになる、なんてことはないよな?
いろんな不安が混じりあって知らず自分を抱くようにして小さくなっていると、唐突に圭太に手を掴まれた。
「っなに?」
「ちょっと来い」
「……うん」
そうやって手を引かれて連れてこられたのは、部屋の隅に立てかけられていた姿見の前。
鏡を見ろってこと?
もしかして俺寝起きで頭が爆発してるとか? みっともないから直せとか、そういう意味……?
そんなことを考えながら鏡に写し出された自分をまじまじと観察してみるけど、髪も服装も寝起きで少し乱れている程度で大きな問題はなさそうだ。
圭太が俺になにをさせたいのか理解に苦しんでいると、なぜか掴まれていた手を鏡へと誘導された。
鏡に手のひらが押しつけられて、ひんやりとした感触が肌に伝わってくる。
「やっぱり無理か」
「なんの話?」
「……」
首を傾げている俺に圭太はちらりと視線を寄越すと、掴んでいた手を離して今度は自らの手を鏡へと伸ばす。
躊躇いなく向けられた手が鏡とぶつかると思ったとき、圭太の手はぬるりと鏡の中へ消えてしまう。
「!? ててててて、圭太の、手がっ!」
「この鏡は俺のあっちの部屋の鏡と繋がってる。俺はここを通じてこっちとあっちを行き来してるんだ」
「!」
「けどこの通路はお前には使えないみたいだな。まあ俺専用だから当たり前といえば当たり前なんだけど」
俺の知らないあいだに圭太が異世界を行ったり来たりしていたなんて事実にもびっくりだけど、今はそれよりも自分だけが帰れない現実に泣きそうだった。
俯いていると、ふいに頭に温もりを感じる。それは遠慮ぎみに髪を乱すと動きを止めた。
「温人 」
名前を呼ばれて顔をあげる。
「……?」
「大丈夫だ。お前のことは俺が帰してやる」
俺から顔を逸らしたまま、圭太がぶっきらぼうに言う。
「圭、太?」
「おそらくこの世界のどっかにお前をこっちに引きこんだやつがいるはずだ。その相手さえ分かれば、あとは俺がどうにかしてやる」
いつもは澄ました顔で暴言ばかりを吐く口が今は少しだけ優しくて、さっき俺の頬をひっぱっていた手も、今は宥めるように髪を撫でてくれている。
さっきまで感じていた不安や焦り、心細さといったマイナスの感情がすうっと消えていく。圭太がそう言うなら本当に大丈夫な気がしてきた。
それに俺は一人じゃない。隣には圭太がいる。そう気づいて、すごく救われた気持ちになった。
――――ああもう、ずるいよなぁ。
口は悪いし、すぐ手が出るし、いつもは優しい言葉なんて絶対かけてくれないくせに、俺が本当に困ってるときはいつも助けてくれる。
今回だってどうやってかは知らないけど、俺を捜して迎えに来てくれた。今も俺の不安を一瞬で取り除いてくれた。
これがもう十年以上も続いてるんだ。好きにならない方がおかしいだろ。
幼馴染みへの気持ちを不本意ながら再確認していると、頭に感じていた重みがふっと軽くなった。
「そいつがノワールにいるのはまちがいない。調べてやるからお前は大人しく待ってろ」
なにがどうなってるのか謎だけど、圭太には心当たりがあるらしい。
俺から離れて踵を返した幼馴染みは、そのまま部屋の外へと繋がっているのであろう扉へと向かう。
「あ、圭太っ。どこに行くんだよ」
慌てて呼びかけると、圭太は一度足を止めてから振り返る。
「お前はトラブルメーカーなんだから、俺がいいって言うまで勝手にうろちょろするなよ。ここにいろ。いいな?」
一方的にそれだけ言って念を押すと、圭太はふたたび歩みを進めて部屋を出ていってしまった。バタリとドアの閉まる音がする。
「……」
最近、こういうパターン多くないか?
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