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水の微精霊×謝罪×無邪気
初夜、と言葉の意味を確かめるように唇を動かす。そのあと少しの沈黙を挟んでから、ちらりとオーギュスタンを窺う。
「夫婦が初めて共に過ごす夜のことだ」
「……」
だよな、初夜ってそれしかないよな。一瞬同じ響きの別の言葉があるんじゃないかと期待してしまった。やっぱりまちがいないらしい。
改めて初夜と繰り返すと眩暈がした。
いやいやいや。いやいやいや! なに言ってんのこの人、まだ寝惚けてんの。そもそも結婚ってそこも込みでの結婚だったの? 名前だけじゃなくて? え、え、えええ。
無理だろ。
「いや……あの。今までどおり別々に寝よう?」
俺たちは、肌を晒しあったら結婚なんていうとんでもない掟で結婚することにはなったけど、恋愛感情は微塵もない。
さらに言えば男同士で子供ができるわけでもない。俺たちが一緒に寝たところで誰も、本人ですらなにも得をしない。つまりどう考えても一緒に寝る意味はない。
わかりきっていることだ。なのに。
「伴侶とは共に寝るものだろう」
至って真面目に返されて、脳みそが一時的に思考を放棄した。数秒後ようやく回りはじめた頭を両手で抱えこむ。
待て待て待て。一般的に考えて夫婦がひとつのベッドで寝ることは自然だと思うよ。新婚なら余計にな。けど俺たちはそこに当て嵌まんないから!
俺は好きな相手がいるにも拘らず、オーギュスタンに脅迫されて仕方なく結婚を受け入れた。甘酸っぱいあれこれどころか、酸っぱさしかない関係だ。
「俺は絶対に嫌だからっ」
寝起きになんの了承もなくキスしてきたことだって、俺は怒っている。そういうことは好きな相手としかするつもりがなかったのに。
だけど俺の気持ちは、オーギュスタンにとってどうでもいいことらしい。
「私がそう決めた。お前に拒否権は与えられていない」
抑揚のない声でそれだけ言うと起きあがり、ベッドから下りてしまう。
その傲慢さに呆れて言葉を失っているあいだに、オーギュスタンの背中は別の部屋に繋がる扉の向こうへ消えてしまった。
「……っ」
ドアの閉まる虚しい音が響いたあと、俺は勢いに任せてクッションをひっつかみ、扉に向かって投げつける。
「なんなんだよ。この、バカ王子!」
そうだオーギュスタンはこういう奴だった。人の話を聞かない勝手なやつ、それを改めて思い知った。
『ハルト』
不貞腐れてシーツにくるまっていると何者かに名前を呼ばれる。声はオーギュスタンのものじゃない。もっとずっと可愛らしい子供のものだ。
「……?」
どこから聴こえるのだろうと、もぞりとシーツから顔を出してキョロキョロと辺りを窺う。
『こっち』
するとぐっと声が近くなって、今度は耳のすぐ側から聴こえた。
この声は最近まで俺にべったりくっついていた水の微精霊のものだ。小さな客人の来訪に俺は首を傾げる。今は俺一人でオーギュスタンの姿はない。ということは俺に会いにきたのか?
「どうしたんだ? まさかもう帰れる準備ができたとか」
早すぎるとは思いながらも、だけど他に水の微精霊が自分に会いにくる理由が見つからずに尋ねる。するとやはり水の微精霊はちがう、と問いかけを否定した。
『準備は、まだ。今日はハルトにごめんなさいしにきた』
「え?」
『勝手にこっちにつれてきて、ごめんなさい。おとうさんにも、ハルトがかわいそうだってとても怒られた』
しょんぼりと気落ちした声で水の微精霊が謝罪をしてくる。
そうだった。俺をこの世界に連れてきたのはこの水の微精霊だ。
俺が生まれ育った世界とこちらを行き来できるらしい水の微精霊になぜか俺は見初められてしまい、オーギュスタンの伴侶としてこちらに連れてこられた。
『いま、おとうさんのお手伝いをしてる。ハルトがはやく帰れるようにがんばる』
どうやらオーギュスタンとくっつけようとするのは諦めてくれたらしい。本当にいい迷惑だったけど、帰れるとわかっている今なら許せそうだった。本人も反省してるみたいだし、もういいや。
ただひとつだけ気になることがあったから、この機会に聞いておくことにした。
「なあ。なんで俺だったんだ?」
ずっと気になっていた。だってあっちの世界にはもっとオーギュスタンに似合いそうな相手がいると思うんだ。なにも幼馴染みに片想いしている俺を選ぶ必要はなかったはず。
だから、水の微精霊がどういう基準で俺を選んだのかが知りたかった。
『ハルトが、ブランの風の守護者のことずっとすきだから』
「!」
突然圭太のことを出されて赤面する。事実でもそうはっきり口にされると恥ずかしい。
だけど、どうしてそれが俺を伴侶に選ぶ理由になるのかはわからなかった。
撰んだ理由が圭太のことを好きだからってどういうこと? しかも、なんでずっと好きだって知ってんの? え、微精霊はいつから俺のこと見てたの?
そんな疑問が次々に湧いてくる。
『黒の王子のことも、おなじようにすきになってくれたらいいと思った』
そのあと続けられた内容にも、首を捻ることしかできない。
「ちょっと待って。それおかしくない?」
要するに、水の微精霊は俺が長年圭太のことを想っているのを見ていて、同じようにオーギュスタンのことを好きになればいいと思ったってことだよな?
でもさ一途なところがいいって言いながらそこで別の相手に心変わりしたら、一途じゃないんじゃないか。だめだろ。
どういうことだ?
理解に苦しんでシーツを頭から被ったまま唸っていると、水の微精霊がさらに説明を続けた。
『ブランの風の守護者、ハルトのこと大切におもってる』
「!」
大切、という言葉に心臓が跳ねあがる。好きな相手からそんな風に思われてると教えられて、嬉しくないわけがない。火照る頬を手の甲で押さえながら、湧き上がる幸福を噛みしめた。
けど舞い上がっていた俺の気持ちは、次の瞬間にはどん底まで突き落とされる。
『でもハルトとおなじすきじゃない』
衝撃的な内容に頭のなかが真っ白になる。
『ブランの風の守護者は、ハルトとまじわらない。だから黒の王子がもらってもだいじょうぶ、思った』
「…………」
え?
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