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王子様×伴侶×お願い
室内に静寂が訪れ、俺は手持ちぶさたにそわそわと室内に視線を巡らせる。なんとなく気まずくて、でもどうしたらいいのかもよくわからず、オーギュスタンから少し距離を置いた場所から動けずにいた。
「ハルト」
さっきよりも幾分か和らいだ声に呼ばれて、反応する。
「! な、に?」
「こちらに来い」
手を差し出されて、少しばかり躊躇いながらもソファに座るオーギュスタンのもとへ歩み寄った。
目線よりも少しだけ下にある黒曜石の瞳。伸ばされた指が目元に触れ、かさついた指先が確かめるように薄い皮膚をなぞった。
顔を洗ったことで冷えた肌にじわりと熱が移る。
「ええと……オーギュスタン?」
難しそうな顔で、少しばかり赤くなっているそこを繰り返し撫でるオーギュスタン。動くに動けず、目の置き場にも困ってしまう。そして無言なのがまた落ち着かなかった。
「…………あのっ、あのさ」
「なんだ?」
「ご、誤解しないでほしいんだけど。俺、圭太にフラれたからこんな顔になったわけじゃないからな」
いたたまれなさに負けて、聞かれてもいないことを話す。
いや、聞かれてはいないけど、オーギュスタンは圭太を悪者だと誤解してるみたいだから、訂正しないととは思っていたんだ。
確かに泣いた原因は圭太にある。けどあれは悲しかったからじゃなくて、むしろ嬉しかったから出た涙なのだ。
気遣ってくれるのはすごく嬉しい。でも間違いは訂正しておかないと。そう意気込んで、さりげなく俺に触れるオーギュスタンの手をはずした。
「フラれたのも、単に俺がそういうふうに見てもらえなかったってだけの話だし」
だから圭太のことを悪く思わないでほしいと伝えると、しっとりと濡れた黒色にじっと見下ろされる。
「……っ」
まるで心の内側まで見透かすような瞳に、疚しいことなんてないのにドギマギしてしまう。それをなんとか宥めながら、俺は自分の気持ちをオーギュスタンに伝えた。
「恋愛感情じゃなかったけど必要とされてることはわかったから、俺はもうそれでいいんだ。むしろ充分すぎるくらい」
気持ちが悪いと拒絶される可能性だって十分にあった。そしたらもう二度と傍にはいられなくなっただろう。受け入れてこそもらえなかったけど、嫌悪感を持たずに聞いてもらえただけでも奇跡みたいなことだ。それで満足しないといけない。
自分に言い聞かせるようにしていると、不意にため息をつく気配がしてオーギュスタンが立ち上がった。
「……っ?」
「お前は」
突然のことに驚いて一歩後退る俺の腕を、オーギュスタンの手が捕らえる。
「本当に馬鹿だな」
「!?」
「私には何が充分なのかまったく分からない」
真面目な顔で返されて戸惑う。怒っているわけじゃなさそうだけど、威圧感が半端なくて思わず逃げ腰になってしまう。じりじりと後退していたらしっかりと腕を掴みなおされ、引き戻される。
「お前があの男に言われるがまま幼馴染みとして傍にいれば、あの男はいいだろうな。何も失わない。だがお前はどうだ」
静かだけど強い口調で問われて、息を詰まらせる。
「お前ばかりが辛い思いをするのではないか?」
こちらを映した瞳がゆらりと揺れた。
「……っ……」
どうしてそんな表情をするんだ。
当事者の俺よりも、オーギュスタンの方がよっぽど辛そうに見えた。動揺しながらこくりと喉を鳴らす。
なんとなく直視できずに俯いて黙りこんでいると、焦れたのか、俺の腕を掴むオーギュスタンの手にわずかに力がこめられた。
「ハルト」
「そ、そりゃあ……一緒にいたら、しんどいこともあるかもしれない」
オーギュスタンが言いたいことはわかる。
まだきちんと気持ちの整理ができてないし、すぐにこれまでどおりに接するのは難しい。落ち着いて表面上はうまく接することができるようになったとしても、俺に気持ちが残っている限り辛いことは色々あるだろう。
圭太に好きな相手ができたとしても、俺は幼馴染みとして祝福しないといけない。彼女ができたとき。結婚したときも。
想像しただけでこんなに胸が痛くなるんだから、実際そうなったときに自分はどうなるんだろうと怖くもある。
「分かっているのなら――」
「けど、いいんだ」
さらに言い募ろうとするオーギュスタンを遮るようにして、言葉の先を打ち消す。
「仕方ない」
「なぜだ」
力強い声と眼差しで問われて一瞬怯むけど、今度は逸らさずに見つめかえす。
「俺がまだ圭太のことがすきだから、かな……」
同じ好きじゃなくても特別でいられるなら。傍にいてほしいと言ってもらえるなら、多少のことは我慢したいと思った。
だから俺はちゃんと圭太の幼馴染みに戻る。……戻れるよ。
できる、そう自分に言い聞かせて、拳を握りしめた。
「本当にそれでいいのか」
厳しい表情で問いただされ、唇に軽く歯をたてる。オーギュスタンは本当に容赦がない。俺を追いこむように言葉を重ねてくる。
「そんな関係は、すぐに破綻する」
吐き捨てるように断言されて、喉元に苦いものがこみあげてきた。
「……そう、だな。そうかもしれない」
それでうまいいく可能性がどれだけあるのかな。いっそ離れた方がお互いにとっていい選択なのかもしれない。それでも、壊れる前に時間が解決してくれたらと願ってしまうんだから、自分でもどうしようもないと思う。
一度落ち着くためにすうっと深呼吸をした。
「ごめんな」
気を取り直してつぶやくと、オーギュスタンが訝しげに眉を寄せる。
「なぜ謝る」
「なんか、俺が情けなく泣いたせいでいらない心配をかけたんだろ。……心配、してくれたんだよな? ありがとう」
「……」
まさかオーギュスタンにこんなに気にかけてもらえるなんて思ってなかった。
騙すような形で結婚式を挙げたり、結婚を受け入れさせるために脅したりしたくせに、落ち込んでるときは慰めてくれたり、さっきみたいに俺のために怒ってくれたりもする。
正直、なにを考えているのかちっともわからない。
だけど伴侶になって以降、オーギュスタンが俺を受け入れようとしてくれているのは十分に伝わっていた。
だからだろうか。
圭太から、オーギュスタンのことを信用しないよう言われているのに、疑うことが難しくなってきている。
だって、こんなふうに全力で心配してくれる相手なんてそういない。その相手のことを疑えるか? 俺が不利になることをしてくると本気で思える?
俺はもっとオーギュスタンのことを信用していいんじゃないか。
圭太に言ったらお前は考えが甘いって怒られそうだけど、疑いたくないって思ってしまったんだからどうしようもない。
もしこれで帰れなくなることがあっても、そのときはまた別の方法を探せばいいんじゃないか。
そう思えるくらい、目の前の男を信じてみたくなった。
「ハルト」
「ん?」
「……水の精霊の話によれば、あと三日もすれば準備が調うらしい」
突然切りだされた内容に、一瞬なんのことかと考える。けどすぐにそれが元の世界に帰る準備だと思い至り、跳びあがる。
「本当!?」
「ああ」
肯定されて思わず万歳をしてしまう。そんな俺にオーギュスタンの表情がほんの少し和らいだ。それからまたいつもの無表情に戻ったかと思うと、ずっと腕を掴んでいた手が下に滑り、手を握りこまれる。
「っえ。……え?」
突然のことに驚いて目を瞠る。なんでここで手を握るんだと掴まれた手を凝視した。わけがわからず固まっていると、落ち着いた静かな声が耳に降ってくる。
「お前に頼みがある」
「へ」
顔をあげると、真剣な表情のオーギュスタンと目がかち合う。
「お前の時間を私にくれないか。最後の三日間を私の伴侶として過ごしてほしい」
オーギュスタンの、どこか決意を滲ませた双眸がしっかりとこちらを見下ろしていた。
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