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王子様×黒×竜の子
「この子助けてって言ってる」
「……ブレスレットの効果で、お前の耳には翻訳されて届いているのか」
オーギュスタンは俺の腕に嵌まっているブレスレットに視線をやると、納得したようにつぶやく。オーギュスタンには竜の子がなにを言っているのかわからないらしい。
竜はしっとりとした黒い鱗に覆われていて、鉄製の檻のなかで力なく蹲っている。夜の空のように静かな黒色の瞳は、瞼に半分隠されていた。
こんなに必死で助けを求めているのに、この子が呼ぶ声は他の人間には聴こえないのか。
オーギュスタンの話だとまだ子供の竜らしいのに、こんなに弱って、このままだとそう遠からずに死んでしまうかもしれない。
「どうするつもりだ」
意を決して檻を抱えあげようとした俺を、オーギュスタンの固い声が制止する。
「どうって……このまま放っておけない」
手持ちで買えるかはわからないけど、この子をこのままここに置いておけないと思った。
「あと数日もすれば向こうの世界に行くお前が、それを引き取ってどうする」
「それ、は……」
確かに犬や猫ならともかく、あちらで竜を飼うなんてどう考えても不可能だ。
「親とはぐれた竜の子は野生では生きていけない。万が一生き延びたとしても家畜や人を襲う可能性がある。安易にこの周辺に放つわけにもいかない。そこまで考えているのか」
責任をとることができないなら助ける資格はない。可哀想だという感情だけで動くなと正論を静かに諭されて、檻に触れる手が震えた。
オーギュスタンの言うことは正しい。だけど――――。
「じゃあ……じゃあっ俺が帰るまでに、絶対に、この子を育ててくれる人を捜す」
「……」
個人で見つからないなら、俺たちが住んでいる世界にあるような動物を保護してくれる施設を探す。それがだめなら別の方法を考える。
どうしても、この小さな命を諦めたくない。
「こっちの世界に明るくない俺ひとりじゃ難しいかもしれない。オーギュスタンの手を借りることになるかもしれない。だけど俺、この子を助けたいんだ。だから頼む、手を貸してくれないか?」
お願い、とオーギュスタンに頭を下げると、オーギュスタンは重々しくため息をついた。
その後は止められなかったから、多分協力してくれるつもりなのだろう。迷惑をかけて申し訳ない気持ちになりながらも、竜の子を救えるかもしれないことに酷く安堵した。
「――――ああ、そいつですか。黒い竜の子なんて珍しいと思って、高い金を叩いて手に入れたっていうのに、反抗的だわ餌は食うくせにどんどん弱っていくわ、買い手はつかないわで。まったくとんだ金食い虫ですよ!」
竜の子供のことを聞くと、店主は鼻息荒くそんなことを捲したてた。まさか俺たちが竜を欲しがっているとは考えてもいないらしく、忌々しそうに檻を蹴りあげる。
「……っ!」
怯えたようにきゅうきゅうと鳴き声をあげる竜に、かっとなった俺は店主と竜のあいだに身体を滑りこませた。
「この子は、俺が引き取ります」
「え……ええ? お客さん本気ですか」
驚いたようにすっとんきょうな声をあげた店主は、俺たちをじろじろと品定めするような目で観察したあと、厭らしい笑みを浮かべた。
「いやいや。けどねえ弱っているとはいっても竜ですからねえ。装飾品や薬の材料としても高く売れるでしょうし……これくらいはいただきたいものですなあ」
そう言って提示されたのは、俺がオーギュスタンに換金してもらった金額にほぼ近い額だった。馬が十頭以上買えるらしい金額を考えるとだいぶお高い気がするんだけど、竜の相場がわからない俺にはこれが本当に高いのかどうかがわからない。
すると、それまで成り行きを静観していたオーギュスタンが動いた。
「ぼったくりだな。いくら珍しい竜種とはいえ、死にかけにそんな金額がつくわけがない」
やはりこの値段は高いらしい。この狸オヤジめ。
「そう思われるんなら、こちらは売らなくてもいいんですよ」
あんなに竜の子の悪口を言っていたくせに、竜は死後もそれなりの価値がありますからね、とはっきりとこちらの足元を見るような態度をとる店主に拳を握りしめる。
「っいいです。その値段で売ってください!」
一刻も早くこの場から竜の子を遠ざけたくて、俺はオーギュスタンから預けていたお金を受け取ると男に渡した。
竜の子を引き取ったことで買い物は中止になり、お城に戻ることになった。せっかくのお出かけをこんな形で終わらせてしまい、オーギュスタンには悪いことをしてしまったと思う。
「ああいう輩の思惑に素直に乗るのは感心しない」
「……ごめん。けど少しでも早くこの子をあそこから出してあげたくて」
布にくるまった竜の子をそっと抱えなおす。ずっしりとしたそれは温かくて、命の重みを感じた。
竜の子はオーギュスタンが魔法で治療をしてくれて今はぐっすりと眠っている。窶れているけど、檻に入れられていたときよりもだいぶ健康的になっているように感じた。
魔法がすごいのか、オーギュスタンがすごいのか。多分どっちもなんだろうけど。
「憐れだからといって、毎回こんなことをするわけにもいかないだろうに」
現実的な言葉に黙りこむ。俺だって目についたものすべてを救えるなんて思っていない。この子はなんといえばいいのか――特別だったんだ。
「うん……だけどこいつ子供だし、それに目が」
「目?」
オーギュスタンの訝しむような声に無言で頷くと、今は閉じている竜の子の瞳を思い出して目を伏せる。
「お前とおんなじ色だったから」
綺麗な闇の色。その瞳を見た瞬間にもう絶対に助けるんだと決めてしまった。
親と引き離されてひとりぼっちであんな冷たい檻に入れられて、どれだけ心細い思いをしたのだろうと思えば、涙が出そうになる。
重みに腕が下がって再度竜の子を抱え直していると、横からオーギュスタンが竜の子を取りあげた。
「あ」
「こいつが弱っていたのは魔力不足のせいだ」
「魔力不足?」
「ああ。どうやらこの竜の主食は魔力らしい」
肉や野菜も食べられるようだけど、厳密には食べているのは食料に含まれる魔力なんだそうで、餌をあげていたのに弱っていった理由はそこにあるらしい。
つまり、餌に含まれていた魔力ではまったく足りていなかったのだ。
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