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王子様×手×宣告
ふんわりとした何かが肌を掠めた気がして、瞼を持ちあげる。
「ん……?」
目を開いた途端視界にとびこんできたのは、竜の子の可愛らしい顔。膝の上に乗り、くるくるとした曇りのない瞳をこちらに向けている。
ソファに座ってオーギュスタンを待っている間に、うっかり寝てしまったらしい。竜の子の頭から尻尾までを撫でてやると、気持ち良さそうに目が細められる。
「起きたのか」
「!」
近い距離から聴こえた耳触りのいい低音。顔をあげると、傍にオーギュスタンが立っていた。膝の上ばかりに気をとられていて、オーギュスタンの存在にまったく気づいていなかった。
「わ、ごめん。戻ってたのか」
「謝ることじゃない。それよりも待たせたな」
そう言うと、オーギュスタンは俺の腕のなかにいた竜の子の首根っこを掴み、ひょいと持ち上げる。突然のことに、竜の子は目を丸くすると嫌がるように体を捻って暴れだす。
『はなせ……!』
慣れない相手はやっぱり怖いみたいだ。そう思って竜の子を受け取ろうとしたんだけど、オーギュスタンは構わず竜の子を目線の高さまで持ち上げた。
宙ぶらりんになった竜の子はしばらく手足をバタつかせていたけど、オーギュスタンと正面から顔を合わせるなり、ピタリと動きを止める。
『……?』
不思議そうにじいっとオーギュスタンを見つめて、今度は匂いを確めるように鼻をひくつかせる。そうして、さっきの抵抗が嘘のようにされるがままになってしまった。
それまで遠慮のないオーギュスタンの行動に大丈夫なんだろうかと気を揉んでいた俺は、この竜の子の変化に首を傾げる。
「ど、どうしたんだ?」
『なかま』
「へ?」
思わず問いかけると、嬉しそうに尻尾をふりふりと揺らしながら返されて、ぽかんと口を開く。
『なかま。なかまっ』
そう訴えたあとオーギュスタンに飛びつく竜の子を、オーギュスタンがしっかりと受けとめる。
仲間って、オーギュスタンが竜の子の? でもオーギュスタンは人間で竜じゃない。ってことは……んん? いったいどういうことだ?
一人と一匹を見比べて、すぐにその共通点に気づいた俺は思わずあっと声を洩らす。
「オーギュスタン。なんか竜の子に仲間だと勘違いされてるみたいだけど……」
「? ああ。寝ている間に何度か魔力を与えたからな。おそらくは私の魔力に反応しているのだろう」
俺からの指摘にオーギュスタンは少し悩んでそう分析する。確かにそれもあるかもしれないけど、俺は見た目も絶対に関係してると思うんだよな。オーギュスタンと竜の子は同じ黒と共通の色をしているし、瞳の色もよく似ていた。黒い色の仲間だ。
はしゃぐ竜の子をオーギュスタンは腕に抱えなおすと、俺の隣に腰をおろした。
「食事を与えるから、そのまま大人しくしていろ」
「よかったな。オーギュスタンがご飯をくれるって」
通訳すると、オーギュスタンにしがみついていた竜の子が、嬉しそうに瞳を輝かせた。
『ごはん!』
「じっとしていろ」
早く早くとせがむように纏わりつく竜の子を、オーギュスタンが静かに窘める。そうやってオーギュスタンが竜の子に魔力を与えてから、俺たちも少し遅めの昼食をとった。
食事を終えると、竜の子はいつの間にか寝床で丸くなって寝ていた。お腹が膨れたことで眠くなったのかもしれない。魘される様子もなく、幸せそうに寝息をたてる姿にほっこりする。
竜の子のために用意した寝床にもオーギュスタンにも、問題なく馴染んでくれたようで心配事がひとつ解消した。
「ハルト」
並んで竜の子の様子を窺っていると、ふいにオーギュスタンが口を開いた。
「なに?」
「水の精霊から使いがきた。帰るために必要な準備は滞りなく進んでいるらしい。予定通り明日、あちらへ帰れるようだ」
「……そっか」
あちらの世界に帰れる。明日――――。
改めてオーギュスタンの口から伝えられて、なぜだか胸がざわざわと落ち着かなくなる。
こっちに来てからというもの、元の世界に帰ることばかり考えていた。ずっと待ち望んでいた。もうすぐ帰れると知って嬉しい。なのに、嬉しさともうひとつまったく別の感情が俺の心のなかに芽生えていた。
「明朝水の神殿へ向かう。そのつもりで準備をしておいてくれ」
「……わかった」
平静を装いながら竜の子の寝顔を見下ろして、小さく頷く。
寂しいなんていう生易しい感情じゃなかった。大事な何かを失ってしまうような、喪失感というのか、それがもやもやと心臓に纏わりついて柔らかく締めあげてくる。
戸惑っていると、手になにかが触れた。厚みがあって少し硬めの皮膚。俺のものより一回り以上大きい、オーギュスタンの手。それが指の間を滑ってそっと絡んでくる。
「っ」
「ハルト」
突然のことに咄嗟にオーギュスタンを振り仰ぐと、漆黒の瞳が静かにこちらを見下ろしていた。吸いこまれそうなほど深い色を持つ双眸に見つめられて、心臓があらぬ方向へ跳ねあがる。
「竜の子を引き取る代わりに、私が出した条件を覚えているか?」
問いかけに体が硬直した。緊張からごくりと喉が鳴って、心臓が忙しなく脈を打ちはじめる。
バックバックと大音量で頭に響く鼓動。だんだん呼吸をすることが苦しくなってきて、ゆっくりと深呼吸をする。
そうだった。
別に忘れていたわけじゃない。あんなこと、忘れたくても忘れられない。ただ、なるべく考えないようにしていただけだ。だって考えたら、冷静でなんかいられなくなるに決まっている。
オーギュスタンから提示された条件。俺に触れたいと、告げてきたオーギュスタンの姿を思い出して、ぞくりと肌が粟立つ。
「お、ぼえてるよ」
言葉につかえながら肯定すると、繋がれた手にわずかに力がこもる。
「お前と共に過ごせるのは今日で最後になる。だから――――」
伝えられた内容に、頭のなかが沸騰した。
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