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王子様×朝×水の神殿

   部屋に一人残されていろいろ考えていたら、ほとんど眠れないまま元の世界に帰る日を迎えてしまった。  いつもより早い時間にベッドを抜けだすと、隣室へと繋がる扉に手をかける。昨夜のことがあって、オーギュスタンと顔を合わせることに少しだけ勇気が必要だった。  一呼吸置いて隣の部屋を覗くと、すでに身支度を整えたオーギュスタンの姿を見つける。 「……おはよ。起きてたんだ」  目が合うと、内心では動揺しながらもなんでもないふうを装って声をかけた。 「ああ。お前も早いな」 「う、うん。なんか……緊張して、早く目が覚めちゃったから」 「そうか」  まさか眠れなかったとは言えず、嘘でもないけど本当でもないことを口にすると、オーギュスタンが小さく頷く。 「……」  オーギュスタンはなにもなかったかのようにいつもと変わらない態度で接してくる。それに安堵しながらも、どこかモヤモヤとした蟠りのようなものを感じてしまう。  ――――昨夜から、ずっと自分に問いかけていることがあった。  本当にこのまま元の世界に帰るのか。オーギュスタンと別れていいのか。何度も自分に尋ねて悩んでは、結局帰る道以外を選べない。  答えは毎回同じ。なのに気がつけばふたたび同じ問いを投げかけている。  そうやって迷いを拭いさることができないまま身支度を済ませて朝食をとると、俺たちは馬車で水の神殿へと向かった。  オーギュスタンの腕の中にいる夜が、どこへいくの? とばかりに、不思議そうに俺たちを見比べてくる。そんなあどけない姿に切なさがこみ上げた。  夜は俺がいなくてもきっと立派な大人に成長するだろう。だけどできることなら、それまでを一緒に過ごしたかった。オーギュスタンひとりに任せるんじゃなくて、俺も……一緒に。  離れがたくて、惜しむようにしっとりとして温かな体を撫でると、夜が気持ち良さそうに喉を鳴らす。  そうしている内に水の神殿に着いて、馬車が止まる。  ここへ来るのは二度めで、前回は結婚式のときだった。それほど前のことでもないのにやけに昔のことのように感じる。  あのときは元の世界に帰る方法を見つけることで頭がいっぱいだった。なのに、今じゃこの世界にも愛着のようなものが芽生えている。たった数日の間のできごとなのに変わるものだなと、苦笑する。  あのときのように、帰ることを素直に喜べない。 『おお、きたか』  オーギュスタンについて水の神殿の最深部までやってくると、見覚えのある光りの球体の他に、紫色がかった似たような球体を視界に認める。  水の精霊の隣にふわふわと浮かんでいるのは――――もしかしなくても雷の精霊か? 「は、はじめまして。温人です。えと、俺が元の世界に帰るために協力をしてくれて、ありがとう」  元の世界に帰るために協力をしてもらったのだからちゃんとお礼を言わないと。  緊張でところどころつっかえながらあいさつをすると、雷の精霊はふわりと高度をあげて、俺の周囲をくるくると回った。 『ふーん。お前が黒の王子をフったっていう異世界人?』 「!?」  なるほどねぇと一人で納得する雷の精霊に、俺はぎょっと目を剥く。いきなり触れられたくないところを突かれたことに言葉を失う。 『いやあ水の微精霊たちがはりきっていたから、ついに黒の王子にも伴侶がと思っていたけど、まあ、そう上手くもいかないわな』  ドンマイドンマイと軽い調子で、少し離れた場所にいるオーギュスタンに声をかける雷の精霊。それに思わず叫び声をあげそうになる。  ただでさえ昨夜のことがあって罪悪感で死にそうなのに、トドメを刺されたような心地だった。怖くてオーギュスタンの顔が見れない。  心苦しさに項垂れていると、雷の精霊がオーギュスタンから離れてこちらへとやってくる。そうして一言言い放った。 『じゃ、帰るか』 「へ」 『準備は既にできている。滝の下に道を繋げたから、そこへ向かって飛び降りればいい』  あっけらかんと促されて、硬直する。  滝の下に飛びこむことにも驚いたけど、さっき着いたばかりでもう行かなければならないのかと動揺した。まだオーギュスタンにお礼も別れもなにも伝えてない。  あまりの展開の早さに真っ白になっていると、正面に浮かんでいた雷の精霊がぽーんと勢いよく横にふっ飛んだ。 『うお!?』 「ひっ」  そうして代わりに視界に入ってきたのは水の精霊で、どうやら彼が雷の精霊に体当たりしたらしい。 『馬鹿たれっ。帰すにしてももう少し順序というものがあるであろう! お主は別れもさせずに帰すつもりか。まったく』  プリプリと怒っている水の精霊に、ふっ飛ばされた雷の精霊が納得がいかないとばかりに文句を口にする。 『なんだよー。こっちは早く帰りたいだろうと思って親切心でだなぁ……』 『もうよい。ここから先は我が取り仕切るから、お主はちっと黙っておれ』  雷の精霊を適当にあしらったあと水の精霊がこちらに向き直る。 『すまんな。悪いやつではないのだが、少々軽くての』  疲れた様子で謝罪する水の精霊の後ろで雷の精霊は不満そうにしていたけど、すぐに別のことに興味を移したのか、ふわふわと神殿の中を漂いはじめる。  なんとも自由な精霊だ。水の精霊とはまったくタイプがちがうらしい。  どぎまぎとしていると、気を取り直した水の精霊が話をきりだす。 『さて――――その様子ではあやつと絆を結ぶことは叶わなかったようだな』 「!」  水の精霊の指摘にどきりと心臓が跳ねた。  まさかこんなにズバリと言い当てられてしまうとは思っていなくて、驚いてしまう。 「なんで」 「お主とオーギュスタンの様子を見ていればわかるよ」 「……そっか」  世界を行き来するための方法を教えてもらった水の精霊には、ちゃんと報告しなければと思っていた。せっかく教えてくれたのに、申し訳ない気持ちになる。 『結べなかったものは仕方がない。そう気を落とすな』  水の精霊は穏やかな口調で俺を慰めたあと、ゆらりと揺れた。 『ままならぬものだな』 「……っ」  その一言に目の奥がカッと熱くなる。涙腺が緩みそうになるのを必死でこらえ、唇を噛んだ。 『どうした。後悔しておるのか?』  どう答えていいのかわからなくて、頷くことも首を横に振ることもできずに黙りこむ。昨夜から、頭のなかがぐちゃぐちゃに絡まった糸のように複雑なことになっていた。  後悔は、きっとどちらを選んでもしてしまう。元いた世界に帰っても、このままこちらに残ったとしても、大きなものを失くしてしまうのだから。  このままオーギュスタンと夜を残してあちらに行きたくない。かといって家族や、友達や、元の世界で自分を取り巻くものたちすべてを捨てる覚悟は持てない。  でも両方は選べないんだから、どちらかは絶対に諦めなくちゃならなかった。  諦めなくちゃ、いけない……。 『うむぅ……追いつめられたような顔をしておるな』  はっとして顔を上げると、水の精霊が静かに語りかけてくる。 『オーギュスタンを選べなかったからといって、罪悪感を感じる必要はないのだよ。お主はあちらにいたところを突然、浚われたのだ。大切なものもたくさん置いてきたのだろう。そんなお主が元いた場所に帰ることを選んだとして、誰がお主を責められようか』 「っ……」  本心では、俺にここに残ってオーギュスタンとともにいてほしいと思っているはずなのに、帰ることを選んだ俺を非難することもなく、労りの言葉をかけてくれる水の精霊。  そんな優しい水の精霊の気持ちにも応えられなくて。  オーギュスタンの気持ちにも返すことができなくて。  悔しくて、もどかしくて、悲しかった。  

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