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王子様×異世界×別れ

  『お主の代わりにはなれぬであろうが、オーギュスタンには我や、我の子もついておる。心配せずとも大丈夫だ』  俺の不安を拭いさろうとしてくれているのだろう水の精霊の言葉を、どこか遠くで聞く。 「ハルト」  俯いていると、いつの間に傍にきたのか、少し離れた場所にいたはずのオーギュスタンが立っていた。 「オーギュスタン……」  オーギュスタンを見上げて、その腕の中で大人しくしている夜に視線を落とす。夜はまんまるとした真っ黒の瞳でこちらを見ていた。その頬を両側からそっと包みこむ。 「元気でいろよ。ご飯をたくさん食べてしっかり寝て、いっぱい遊んで立派な大人の竜になるんだぞ」  お別れを口にすると、夜は小首を傾げてオーギュスタンの腕からするりと抜けだした。飛びこんできた夜を両手で受けとめる。 『どこにいくの?』 「……っ、自分の家に、帰るんだよ」 『かえる? すぐもどってくる?』  澄んだ瞳で尋ねられて、震えそうになる唇を横に引き結ぶ。 「ごめん。戻っては、これないんだ」 『ハルト……おわかれ?』  夜の瞳が悲しそうに揺れて、俺は堪えきれずに夜を抱きしめた。 「ごめんな。ごめん夜」  謝ることしかできなくて謝罪を繰り返す。すると腕のなかの夜が切なく鳴きはじめる。 『おわかれしたくない』  いやいやと身を捩りながらきゅうきゅうと鳴き声をあげる夜に、俺は途方に暮れた。夜がかわいくて、可哀想で、やっぱりお別れはしないと喉元まででかかったところをすんでで飲みこむ。 『オーギュスタン、ハルトにかえったらだめっていって』 「よ、よる」  オーギュスタンを振り返った夜が助けを求めるように必死に訴える。オーギュスタンは竜の言葉を理解できない。だけど夜の様子から、なにを訴えているのかは理解してしまいそうだ。  慌ててだめだよと言いかけたところで、オーギュスタンの手が俺から夜を浚っていった。 「ヨル。ハルトが困っている」 『……ううっ』  オーギュスタンの言葉に、夜はくるんと体を丸めて大きな尻尾を抱えこんだ。小さくなっている夜の背中をオーギュスタンの手が労るように撫でる。  見ていられなくて、振りきるように視線を落とすと視界にブレスレットを捉えた。  オーギュスタンにこれをもらってから会話ができることが当たり前になっていたけど、住む世界がちがう俺たちは本来、言葉も通じない。  精霊たちや、夜の言葉が理解できるのもこのブレスレットがあるからだ。  見惚れてしまうほど綺麗な装飾にきれいな石が埋めこまれたブレスレットは、圭太いわくノワールの宝らしくて。まさかそんな大事なものを持って帰るわけにはいかないだろう。  元の世界に戻るならこれはオーギュスタンに返さないと。 「オーギュスタン。これ」  夜をあやしているオーギュスタンにおずおずとブレスレットを見せる。今はずしてしまうと会話が成り立たなくなるから、手首につけたままで。  オーギュスタンはそこへ視線を落とすと、緩く(かぶり)を振った。 「それはお前にあげたものだ。持っていけ」 「え? でも」  あげたと言われて素直に受けとれる代物ではなくて、困惑する。戸惑っているとオーギュスタンが更に言葉を重ねた。 「……ブレスレットには私の魔力の結晶を嵌めこんでいる。だからお前に、持っていてほしい」 「!」  ブレスレットについている黒い石はオーギュスタンが生みだしたもの。はじめてその事実を知って、俺はおそるおそる石に触れた。  言われてみれば確かに、オーギュスタンの色だ。吸いこまれそうなほど深い、黒。闇の色。  元の世界にいるときは特に好きでも嫌いでもなかった。どちらかというと少し怖くて、寒々しいイメージを持っていたかもしれない。だけど今はガラリと印象が変わって、優しい色だと感じる。 「わ、かった……ありがとう。大事にする」  ブレスレットをつけた腕とは逆の手でそれを包みこむと、大きく頷く。するとほんのり、ブレスレットが温かくなったような気がした。 「――――っ」  じんわりと染みこむような温もり。それに胸が詰まる。  はじめてオーギュスタンに会ったときのことを思い出す。  お城の風呂場で初めて会って、変な掟が原因で結婚することになって。俺は断固拒否したのにオーギュスタンはそんな俺を騙すようなかたちで結婚式をあげて、挙げ句伴侶になるか死ぬか選べなんてとんでもない脅しをかけてきた。  あのときは本当に最低なやつだと思った。すごく腹がたったし、オーギュスタンのことが信じられなくなった。  だけど伴侶になってからのオーギュスタンは、俺にちゃんと向き合ってくれていたように思う。  本意ではなかったくせに、俺を本当の伴侶として扱っていた。今なら微精霊が自分のために選んでくれた相手を大事にしようとしていたんだなってわかる。  やり方はすごく不器用だけど、オーギュスタンはとても誠実だった。  はじめこそ最悪だったけど、俺はオーギュスタンからたくさんのものを与えてもらった。 「ハルト?」 「オーギュスタン、おれ……わけがわからないままここに来て、不安で、はじめの頃は早く帰りたいってそればっかりだったけど。でも、お前がいてくれたから、この世界のこと好きになったよ」 「!」  圭太に失恋したあとも、引き摺らずに笑っていられたのはオーギュスタンが隣にいてくれたから。  ――――でもさ、俺はオーギュスタンに与えてもらうばっかりで、全然返せてない。なんにも、かえせてない。 『ハルトよ、別れは済んだか?』  水の精霊から声をかけられてハッとする。 『先ほど雷の精霊も言っていたとおり、この下に飛びこめばお主は元いた世界に帰れる。心の準備はできたか?』 「……っ」  ここに飛びこめば帰れる。だけどもうこっちの世界には二度と戻ってこれない。オーギュスタンにも夜にももう会えなくなる。  それでいいのか?  本当に?  迷うなら、これが最後のチャンスだ。今決めないと本当に取り返しがつかなくなる。元の世界に帰るのか、このままこの世界に残るのか。  もう何度目になるのかわからない問いを自分に投げかける。  ごくりと、喉を鳴らす。 「オ、オーギュスタン……俺やっぱりここに残る」  震える声で告げると、オーギュスタンの双眸が大きく見開かれた。  ガクガクとからだが震えて、膝から下に力が入らなくなった俺はその場にへたりこむ。ひんやりとした石畳に両手をついて、喉を引き攣らせた。  母さんも父さんもごめん。圭太にも帰ってくるって約束したのに、守れなくてごめん。  帰れない。  このままじゃ帰れない。  俺にちゃんと向き合ってくれたオーギュスタンとの約束、俺はちっとも守れてないんだ。買い物も、昨夜だって中途半端に終わらせてしまった。  与えてもらうばっかりで、オーギュスタンの欲しいものはあげられないなんて、そんなのは狡いんじゃないか。  俺だってオーギュスタンのためになにかしたい。傷つけたくない。しあわせにしたい。  好きなんだ。  どうしよう。俺――――オーギュスタンが好きだ。  気づかないふりをしていた感情を認めると、ようやく自分がどうしたかったのかがわかった。  呼吸を落ち着けて顔を上げる。そこには驚きに表情を染めたオーギュスタンがいて、目が合うと、それは痛々しいものを見るものに変わった。 「オーギュスタン……?」 「――――」  様子のおかしいオーギュスタンを訝しく思って呼びかけるも返答はない。いよいよおかしいと感じてよろよろと立ち上がったところで、ふいにオーギュスタンの両手が伸びてきて肩を掴まれる。 「私も、ハルトと出会えたことを水の微精霊たちに感謝している。私の伴侶はこれからもずっと、お前だけだ」  そのままやんわりと押されて覚束ない足取りで後退した。 「え……オーギュスタン……?」  背後から水が水面を叩く音がするのを聞きながら、困惑を深める。  え、待って。なにしてるんだ。  嫌な予感がして後ろを振り返ると足場はもうほとんどなくて、下には水面が迫っていた。慌てて前方へ視線を戻そうとすると、オーギュスタンが耳もとで何事かを囁く。 「    」 「!」  言い終わるのと同時に肩を押された。  世界がスローモーションで傾いていく。  ふわりという浮遊感のあと背中が水面に打ちつけられて、俺の体は冷たい感触に包まれた。  なんで?  俺、残るっていったのに――――。 「……っオーギュスタン!」  ざばりと水面から顔をだし、最後に見た男の名前を叫ぶ。  けどそこは先ほどまでいた神殿とはほど遠い、見慣れた幼馴染みの家の風呂場だった。  

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