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竜の子×王子様×プロポーズ

   一番はじめに通った真っ暗なお湯の世界。  不思議と今回は息苦しさを感じなかった。周りを風のような膜で守られているような、そんな感覚がある。  あのときとちがうのはそれだけじゃない。体がぐんぐんとなにかに引き寄せられるようだった。  しばらくすると闇の中に淡く光が差して、視界が真っ白に染まる。  押し上げられて飛びだした先。  そこはもう、幼馴染みンちの風呂場じゃなかった。 「……」  浴槽の縁に手をついて立ちあがり、辺りを見回す。今立っているのが、つい二日前まで使っていた見慣れた風呂場だと認識すると、ぶるりと震えた。  戻ってきた。  ……戻って、きた。  喉が震えて、目の奥から熱いものがこみあげてくる。それをぐっと堪えて湯船から抜けだすと、花のような香りがふんわりと鼻をくすぐった。  ここにいるあいだは俺も使っていた、ノワールの石けんの香りだ。  残り香がするということは、少し前まで誰かがここにいたのかもしれない。  そんなことを考えながら体に張りついた服の端を絞り、出入口へ向かう。  早足が途中から小走りになって浴室を抜け、脱衣所に足を踏み入れた俺は、あるものを見つけて足を止めた。  いつも着替えが用意されていた場所に畳んで置かれた、クリーム色の服。  思わず近づいて服を広げると、俺が今着ているものとまったく同じサイズで、息を詰める。服からは仄かに洗濯したての爽やかな香りがした。 「……なんでこれがここに置いてあるんだ……?」  だって俺はもうこっちにはいなくて、これを着る人間はいないはずなのに。  その理由を考えて導きだされた答えに、再び目頭が熱くなる。  目を閉ざしたまま服を握りしめていると、コトリとかすかな音が聞こえて瞼を持ちあげる。そこに、真っ黒なビー玉のような瞳を見つけて呼吸を止めた。 「!」  俺の足元にちょこんとお行儀よく座り、くるくるとした愛らしい瞳でじっとこちらを見あげてくる黒い生き物。  一日前に別れたときよりも一回りほど大きくなった体。瞳と同じ闇色の鱗は色艶がよく、健康なことがよくわかる。  きゅう、と小さく鳴いて首を傾げる姿に、俺は持っていた服を落っことしそうになった。 『……、ハルト?』  そっと窺うようにつぶやかれた名前に俺は手にしていた服を置き、おそるおそる手を伸ばす。そうやって触れた夜はとても温かくて、堪えていた涙がどっと溢れでる。 「よ……っ夜……?」 『ハルトっ』  抱えあげた夜は記憶より随分重たくなっていて、あちらとこちらの時間の流れの差を改めて感じた。 「おっきくなったな……」  あれからたった一日しかたっていないのに、もう随分会ってないような錯覚に陥る。  存在を確かめるように撫でて、きゅうきゅうと小さな鳴き声をあげる夜に頬を寄せた。しばらくそうやっていると、不意に脱衣所と部屋を繋ぐ扉が開いた。 「ヨル? 突然どうしたんだ」  優しい声が夜を呼ぶ。  腕のなかの夜がぴくりと反応して、くると喉を鳴らすと、夜と同じ黒曜石の色をした瞳がこちらを捉える。それが大きく見開かれた。 「――」  そのまま時が止まったように黙りこむオーギュスタン。お化けでも目にしたような反応だった。  しっとりと水分を含んだ黒髪に、さっきの残り香がオーギュスタンのものだったことを知る。  オーギュスタンの外見は、別れたときからさほど時間を感じさせない。だけど少しだけ、頬が痩せているような気がした。 「オーギュスタン」  そっと声をかけると、魔法が解けたようにオーギュスタンが一度瞬きをする。それから目線を動かして何度も確かめるように俺の姿を確認した。その唇が薄く開かれる。  “なぜ”と。  声は聞こえなかった。だけどオーギュスタンがそうつぶやいたのがわかった。  夜を抱えたままオーギュスタンに歩み寄る。すると両手が伸ばされて、濡れた頬を包まれる。  オーギュスタンと俺に挟まれた夜がひと声鳴いて、するりと腕から抜けだす。  自由になった手で俺はオーギュスタンの手に触れた。オーギュスタンの手は、かすかに震えていた。それに堪らない気持ちになって眉尻を下げる。 「俺は、残るっていった……」  気がつけばそう口にしていた。  結果的には、一度元の世界に戻ることができてよかったと思うし、オーギュスタンに感謝もしている。でも一言文句を言わずにはいられなくて、唇を尖らせた。  それに目を瞠ったオーギュスタンが、いまだに信じられないという様子でゆるりと首を振る。 「――戻って……きたのか」  呆然とつぶやくオーギュスタンに頷く。  オーギュスタンにどうしても伝えないといけないことがある。そのために戻ってきた。 「あっちの世界には俺の大切なものがたくさんある。だから、オーギュスタンがあちらに帰してくれたことを、すごく感謝してる」  きっとあのままここに残っていたら、たくさんの人を傷つけることになっていた。  俺は、眩しそうにこちらを見下ろしながら話を聞いてくれているオーギュスタンの手を握る指に、少しだけ力をこめる。 「でも。お前がいないとだめだ」 「!」 「故郷も大事だけど、オーギュスタンの傍にもいたい。どっちも諦めらんない」 「……ハルト」 「だからどっちも諦めないことにした」  堂々と言いきるとオーギュスタンは言葉を失っていた。  我ながら勝手だとは思ったけど、どちらも譲れないのだから仕方がない。あとはオーギュスタンの返答次第だ。 「もしそれを許してくれるんなら、俺は本当の意味でオーギュスタンの伴侶になりたいと思う」 「……!」 「形だけじゃなくて、ちゃんとお前と伴侶になりたい。俺、オーギュスタンのことが好きだよ」  やっと言えた。  あのとき伝えられなかった想いをようやく伝えることができて、全身からどっと力が抜ける。自分の体を支えることが怪しくなった俺は、オーギュスタンに凭れかかった。  頭をオーギュスタンの胸に預けながら、返事を待つ。  心臓が信じられないほど激しく脈打っていた。たった数秒がとても長く感じられて、きつく瞼を閉じる。 「…………だがお前は、ブランの風の守護者のことが好きなのではないのか?」  しばらく待って、ようやくオーギュスタンが口を開いた。だけど、どうやらオーギュスタンは俺の言葉を聞いてもまだ、真実として受けとめられずにいるようだった。  ぐっと肩を掴まれ、互いの表情を確認できるくらいの距離を開く。どこか不安げな顔をするオーギュスタンの手を、俺はきつく握った。 「うん。圭太のことが好きだった」  大切な幼馴染み。今も好きだということに変わりはない。だけど、以前までの“好き”と今の“好き”はまったく別ものになってしまっていた。  俺はオーギュスタンの腕を引くと、踵を浮かせて背伸びをする。  そうやって掠めるようにその唇を奪う。 「でも、こういうことしたいと思ったり、ドキドキするのはオーギュスタンだけみたいだから」  大胆なことをしてしまい、照れくさくなってくしゃりと笑う。少しだけ泣きそうだと思った。  ――圭太のことは、元の世界に戻って顔を合わせても、前のように胸が苦しくはならなかった。  それどころかそんなことを考える余裕もないくらい、オーギュスタンのことを考えていた。  圭太にフラレた直後は幼馴染みとして接することができるかわからなくて、あれだけ不安だったのに、ひとの気持ちというものはこんなに変わるものなのかと驚いている。  俺が今こういう意味で好きなのは、オーギュスタンだけだ。  

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