57 / 58
【番外編】王子様×年齢×誤解
「夜は本当に重たくなったよなー」
もう両手じゃなくちゃしんどいと溢すと、俺に抱えられてご機嫌にしっぽを振る夜の後頭部を、オーギュスタンが撫でた。
「引き取った直後は栄養不足で痩せていたからな。必要な魔力を摂取できるようになった結果だろう」
「そっか……。よかったな、夜」
成長も多少はあるけど、健康的になったという部分が大きいみたいだ。
嬉しくなって頬を寄せてぐりぐりと擦りつけると、夜がくすぐったそうに目を眇める。
オーギュスタンには本当に頭が上がらない。
夜もオーギュスタンのことは親のように思っている。オーギュスタンも夜と接しているときは穏やかで優しい表情をしていて、見ていてとても微笑ましかった。
そんな中でふと、ある疑問が生まれる。
「そういえば竜ってどれくらい大きくなるんだ?」
夜はまだ子供だけど、ここからどれくらい成長するものなのか。漫画やゲームなんかで見る竜は巨大なものが多い気がする。もしかして夜もあんなふうになるんだろうか?
その内部屋に入らなくなったらどうしよう……。
そんなことを心配していると、オーギュスタンが口を開いた。
「種類によるところがあるからなんとも言えない。今この大きさなら、人を乗せられるくらいにはなりそうだが」
オーギュスタンによると、夜はまだ一歳未満の赤ちゃんらしい。
産まれてから間もない頃に浚われて、親から引き離されて、あんな冷たい檻に入れられて、満足な食事も与えられなかったのだというのだから、想像しただけで胸が締めつけられた。
許せないと唇を噛みしめていると、頬をぺろりと舐められる。
『ハルト、どこかいたい?』
視線を腕のなかの存在に落とすと、心配そうにこちらを夜の姿。小首を傾げながらそんなことを尋ねられて、堪らない気持ちになる。
「どこも痛くないよ。……夜は優しいな」
人間に酷いことをされたのに、同じ人間である俺を健気にも案じてくれる夜が愛おしい。
きゅうっと抱きしめていると、ふいに明るい声が部屋に響いた。
『ヨル!』
『ヨル、あそぼう』
きゃっきゃと楽しそうに現れたのは、姿は見えないけど水の微精霊たちだろう。
なにか通ずるものがあるのか、水の微精霊たちはヨルのことを大変気に入り、頻繁に遊びに誘いにくるようになっていた。
『あそびにいく。いっていい?』
水の微精霊たちの声に反応した夜がきらきらとした瞳で尋ねてくる。それに頷けば、嬉々として俺の腕を抜けだした。
「あんまり遅くならないようにな。あと変なひとに見つからないようにするんだぞ」
言い聞かせると、夜は元気よく鳴いて水の微精霊たちとともに消えていった。おそらく例の湖のある場所に行ったんだと思う。
一度オーギュスタンに連れていってもらってから、あの場所がお気に入りになっているらしい。
俺たち以外にもちゃっかりと仲のいい相手を見つけている夜に安堵する。
夜が消えた方を眺めていると、後ろから伸びてきた手に軽く引き寄せられた。
「わ」
相手が誰かなんてわかりきっていたから身を任せていると、さっき夜に舐められたのとは反対側にちゅと口づけられる。
「っ……」
オーギュスタンからは割りと少なくない頻度でこういうことをされるんだけど、困ったことにいまだに慣れない。
くすぐったくて恥ずかしくて、胸が高鳴る。腹に回った腕にドギマギしてしまう。
心臓が痛い。
深呼吸を繰り返してなんとか忙しない心臓を宥めたあと、後ろを振り返る。
「オ、オーギュスタン」
「なんだ?」
「俺……その、もっとお前のことが知りたいんだけど」
「私の?」
不思議そうに聞き返されて、大きく頷く。
そう。俺は俺が知らないオーギュスタンのことをたくさん知りたい。
だからこんなふうにオーギュスタンが部屋でゆっくりできるときに、色々な話を聞いておきたかった。
「構わない。なんでも聞け」
「じゃ、じゃあまずは、年齢が知りたい」
よく考えたらお互いの歳すら知らなかった。
さっそくとばかりに問いかけると、オーギュスタンはぱちりと瞬きをしてなぜか考えこんでしまう。
「?」
年齢を訊いてまさか悩まれるとは思ってなくて、首を傾げた。
「すまない。普段年齢を意識することがないせいか、すぐに答えられなかった。六百近いのは確かだ」
…………へ?
聞き間違いかと思って「六百?」と聞き返すと、至極真面目に頷かれる。
え。
え? どういうこと……?
想像していたものとはかけ離れた答えに戸惑っていると、そんな俺の状況に気づいていないオーギュスタンから逆に問い返される。
「お前は?」
「お、俺……? 俺はじゅうろくだけど……」
「十六……?」
そう返したあとのオーギュスタンの顔は、多分ずっと忘れられないと思う。それはまさに驚愕、と表現するのが正しいものだったから。
「――――ということがあってだな」
「へー」
「あっちの人たちって、もしかしてすっげえ長寿なの!?」
あれからしばらくして自分が生まれた世界に戻ってきた俺は、幼馴染みの家に押しかけていた。
あちらでの経験値が高い圭太は、ひどく混乱している俺の話を冷静に聞いていた。どうやら、圭太にとっては取るに足らない事柄らしい。
「別にそこまで驚くようなことじゃねーよ」
こっちは真剣に悩んでいるのに、落ち着きはらった様子の圭太はバカらしいとばかりに切り捨ててくる。
「まあ、長寿といえば長寿なんだろうけどな。俺らと変わらないといえば変わらない」
「……どういうこと?」
まったく意味が理解できなくて、間の抜けた声が洩れた。圭太はそんなこちらに構う気配もなく話を続ける。
「なんでこっちとあっちで時間の進み方がちがうと思う?」
「え……わかんない」
尋ねられて、即座に首を左右に振った。すると圭太がむっとしたような表情になる。さっさと匙を投げた俺が気にくわなかったらしい。
「お前、少しは自分の頭で考えろよ」
そんなこと言われても、まったく想像がつかないんだから仕方ないだろう。話が難しすぎる。
「ごめん」
謝ると、圭太は溜め息をついてから説明をしてくれた。
「例えば簡単に、あちらでの一日がこちらでの一時間と仮定する」
「うん」
「あちらで過ごしたお前の体感は一日だ。でも、実際には体の時間は一時間しかたっていない」
「……うん?」
「ようするに。あちらで一日と感じていても、実際に流れている時間はこちらでいう一時間だってこと。だから体感する時間はちがっても、世界を行き来することで体に流れる時間のバランスが崩れることはない」
え、ええと。
つまり……俺があっちで一日過ごしていても、その間にこっちで流れた時間が一時間だとすれば、俺の体は一時間分しか年をとらないってこと?
圭太の仮定をオーギュスタンの年齢に当て嵌めてみると、二十三、四の計算になる。
な……なるほど。それなら納得だ。
六百歳近い、とんでもない年齢差じゃなくて心底安心する。
「数年に渡ってあっちとこっちを行き来している俺の今の姿が、その証明だな」
確かに。
あちらで長い時間を過ごしているはずの圭太の姿は年相応だ。身長は俺よりも高いけど、それは昔からだったし、他におかしなところはなにもない。
どうやら、俺が浦島太郎になることはないらしい。
「……」
これまであまり深く考えたことがなかったけど、よくよく考えてみるとこれってかなり重大な事実だ。もし、あちらとこちらの時間差がそのまま体に現れていれば、大変な壁になるところだった。
想像して肝を冷やしていると、圭太の声がほんの少しだけ控えめなものになる。
「――だからさ。あんまり焦るなよ」
「え?」
「あちらでの時間は早いようで、ゆっくりと流れている。だからこっちでのお前の時間を蔑ろにする必要はないんだ」
圭太はそう言うとそれきり黙ってしまった。
多分、あちらに残してきたオーギュスタンや夜を待たせたくなくて、なるべく自分の時間を削ろうとしていた俺を見透かしての言葉だったんだろう。
――――心配してくれているんだ。
そのことに気がつくとほんのりと胸があたたかくなる。
待たせたくないという気持ちに変わりはないけど、圭太の言葉も心に留めておこうと思った。
それから再びあちらに渡った俺は速やかにオーギュスタンに年齢のことを説明して訂正した。
……さすがにこちらの年齢で一歳児未満だと思われたままじゃ、敵わないからな。
おわり
ともだちにシェアしよう!