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金沢観光記
まずは今夜の宿に荷物を置きに行ったのだが、二人ともそこで立ちつくしてしまった。
大きい。
ずいぶん大きい。
目の前の建物は、門構えからして立派過ぎた。
「ま、間違ってないんだよな、晴兎」
「『翡翠荘』だろ……合ってるぞ」
スマホにメールで送ってもらった電子チケットを何度も二人で覗き込んだが、ここであるという結論にしかならなかった。
「す、すみませーん……」
おそるおそる入っていった晴兎。由宇もそろそろとついていく。
「ようこそお越しくださいました」
フロントに辿り着くまでもなく、玄関までお出迎えの女将さんだろうか、がやってきてくれた。
三つ指こそつかないものの、深々としたお辞儀で。
「あ、あの……予約変更で来ることになった、青海(あおみ)ですが……」
晴兎が名字を名乗った。予約変更は勿論事前に行っていた。偽名を使うわけにはいかないからだ。
中年の女将さんはにっこり笑って、「青海様。お待ちしておりました。フロントへどうぞ」と言ってくれる。晴兎と由宇は顔を見合わせて、心底ほっとした。
「いってらっしゃいませ」
荷物は宿で預かってもらうことになった。フロントでは宿泊手続きだけをして「お荷物はお部屋に運んでおきますので」と至れり尽くせりだったのだ。
荷物といっても一泊なので着替えと身支度を整えるものくらいしかない、小さなバッグだけだが、ないほうが格段に動きやすい。
「やー、緊張したわ」
しばらく歩いてから、うーん、と伸びをした由宇に、晴兎は苦笑する。
「お前はくっついてきただけだろう」
「なんだよ悪いかよ」
事実ではあったが、由宇は膨れて晴兎を小突いてきた。やめろよ、なんて言いつつ向かうのは繁華街だ。
どうもこの旅行のプランは『宿でまったり過ごすこと』をメインに組まれていた模様。だから新幹線の時間も遅めであったし、部屋風呂のついている部屋であったし、宿である旅館でゆっくりくつろごうという時間設定であった。
それがせわしない冠婚葬祭にとって代わってしまったのはご愁傷様としか言いようがないのだが、そのぶんお土産を豪華に買っていこうと二人で言い合ったのであった。
よって街中の散策ができるのは二時間ほどしかなかった。なのでどこか店に入って過ごすというよりは、街中の散策ということになる。
駅から少し離れている場所に、商店街があるらしいというガイドを見ていたのでそちらへ向かう。レトロな街並みが広がっていた。
「おお、昭和の街って感じだな」
由宇のその言葉には晴兎のツッコミが入る。
「生まれてないだろ」
「ノリが悪いな。雰囲気だよ雰囲気」
しかし実際、その街並みは昔ながらの商店街といった雰囲気で、時間がゆっくりと流れているように感じられた。
歩きはじめて早速由宇がある匂いを嗅ぎつけた。
「うまそうな匂いがする!」
それは肉と玉ねぎと、それから油の匂い。ふわっとあたたかさまで伝わってくるようだった。
「コロッケ……かな?」
二人で見回しながら道を行くとすぐに見つけることができた。肉屋があって、そこでコロッケを揚げているようだ。
「あれ食おうぜ!」
ひとが並んでいて、近くには紙で包んだコロッケを頬張るひともいる。どうやら食べ歩き用も売っている模様。
「いいな、コロッケ」
晴兎も頷いて近付いていく。大きなメニューが掲げられていた。
「えーと? 普通のとメンチカツと……チーズもある!」
いくつかあるメニューに由宇は目移りしている模様。晴兎は一応、釘を刺した。
「一個だぞ」
二時間もしないうちに夕食なのだ。食べすぎてはそちらが腹に入らなくなってしまう。
「わかってるっての」
ちょっと膨れつつもおとなしく晴兎の言葉を受け入れた由宇だったけれど。
「ほかにも色々食べたいからな」
付け加えた理由は、晴兎の意図とは違っていたので、晴兎はくすくす笑ってしまう。
食べることが好きだというのがたっぷり詰まっている言葉なのがかわいらしい。
そして手にした揚げたてコロッケ。由宇は早速かぶりついて「あふ!」と言っている。揚げたてなのだからそりゃあ、あふい……いや、熱いだろう。
かぶりついたチーズコロッケからは、チーズが長く伸びる。由宇は目を丸くしてそれを見つめ、どこまで伸びるか試しているようであったが、切れるまで伸ばしては落っこちてしまう。ほどほどのところでぱくりと口に含んでしまった。
「うめぇ! すげぇ伸びる!」
「二十センチはあったな、今の」
晴兎の言葉にっは何故か張り合われた。
「いや、三十センチはあったな」
そのあと由宇はじっと晴兎の手元を見つめてきた。晴兎の買った、プレーンなコロッケ。
「そっちもうまい?」
聞いてくる意図がわからないはずはない。
こんな外で、とは思ったが、ここは旅行先である。
東京でなければ大学の近くでもない。知っているひとが見ている可能性など万に一つしかないだろう。
「仕方ないな。ひとくちだぞ」
家でだけたまにするようなことを外でもできるとは思わなかった。
ちょっとどきどきとしつつも食べかけのコロッケを差し出す。由宇は嬉しそうにかぶりついた。そして大口で思い切り噛み取ったのであった。
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