6 / 9

宿の楽しみ

「うー……もう食えねぇ……」  数時間後。旅館の豪華な一室に転がる由宇の姿があった。腹が苦しいとのことで仰向けらしい。  部屋のテーブルの上には食べ尽くされた豪勢な料理の皿。  これだけいい旅館だったのだ。夕食がつかないなどありえない。  夕食までチケットと宿泊と共にいただいてしまえるなどありがたすぎる話であったが、水の泡になるよりいいと言われてしまっては、やはりもらうしかないのであって。  豪勢な料理のほとんどは海鮮料理だった。商店街で見たものより更に豪華な。  伊勢海老や蟹、生ではないが牡蠣もある。散策を終えて宿に帰ってきた頃にはすっかり冷え込んでいたのであつあつの鍋がおいしかった。  未成年なのでジュースで乾杯して次々と平らげていったのだが、大学生の男子の身にも少々多めだった料理。すべて食べてしまったせいで由宇はごろんとしてしまった次第。 「うまかったなー」  晴兎も寝転がりたい気持ちはあったけれど、ここで二人ごろごろしてしまうのも滑稽である。テーブルで皿を重ねながら答えた。そのうち片付けに来てくれるのだろうが、食べっぱなしというのも悪いと思ったのは、晴兎の世話焼き気質だ。 「このまま寝そう……」  午後からの旅行だったけれど、遠くまできてそれなりに疲れた。仰向けになったまま由宇は言うのであったが、それは困る。この旅のメインディッシュがまだではないか。 「じゃあ俺だけ行ってくるか。温泉」  ちょっと意地悪な言い方をすると、それに反応して由宇が、ばっとこちらを見た。やっと思い出したらしい。 「温泉! それだった!」 「忘れてたのかよ」  夕食の前に部屋風呂をチェックしてしっかりはしゃいでいたのは由宇だというのに。おいしい夕食をたっぷりいただいたことでそれは飛んでしまっていたらしい。 「いや、忘れてない! 入ろうぜ!」  腹が苦しいと言ったのはどこへ。すぐに起き上がった。  部屋風呂はたいそう豪華だった。なんと露天なのだ。小さいものではあるが、二人で入るには十分すぎる広さであるし、無駄に持て余してしまうよりずっといいだろう。  それに。  温泉。  部屋風呂。  露天。  ……色々と考えてしまっても仕方がないだろう。  晴兎は旅行が決まってから考えてしまっていたことを思い描く。それが今、現実になろうとしているのだ。 「じゃ、支度するか。下着だけでいいよな。浴衣はあるだろうし」 「ああ! 楽しみだな~」  部屋のすみに置いておいたバッグに手を伸ばす。由宇も同じくだ。  うきうきとした様子でバッグを開けて服を漁っているけれど、由宇はどう思っているのだろう。晴兎はちらっとそちらを見た。  なにも考えていない……ということはないと思いたい。  なにしろ付き合っている恋人同士で温泉宿などに来ているのだ。おまけに部屋風呂だ。なにも考えていないとは言わせたくない。  しかし由宇は無邪気な様子で「せっかく旅行なんだからいいもの持ってきたんだぜ!」なんて、ゴムでできた黄色いアヒルなどを掲げてきたのだった。

ともだちにシェアしよう!