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第6話 恋人

「そうだなあ。俺より詳しい奴がいるので呼びますか?」 「…え、」 「それよりも、前より印象が随分変わりましたね?何か、心境の変化でも?」 「…?」 唐突の質問に芹は首を傾げる。 この人は、『前』の僕を知っているのだろうか。誰も話そうとしない、過去の自分。 「僕は…、僕にはもう一人の僕がいるって、聞いたことがあります。」 「へえ。実に興味深い。」 「でも、誰も教えてくれない。…おにいさんは、何か知っているの。」 「恐らく、君の答えを知っていると思いますよ。…知りたいですか?」 「…。」 僕は、自分が誰なのか 「知りたい。」 「はは。そっか。うん、そうだよね。…知りたいって。」 青年の一声で部屋の扉が開き、数人の男性が入ってきた。それは以前、湖の畔で見かけた人たちだった。血管に氷を流し込まれたかのように、芹の背筋が冷たくなっていく。 「あ…、あの…、」 震える芹の声。 「じゃ、俺はここまでね。バイト代、忘れんなよ。」 「ああ、サンキュ。俺たちだと警戒されて、中に入れるかわからなかったから助かったわ。」 男たちは芹がまるで存在しないかのように、会話を続けている。一人が棚の上に乗っていた写真立ての一つを手に取った。 「一緒に写ってんの、やっぱりイリヤだ。」 「こいつの世話にかかりきりになって、バレエを辞めたんだろ。」 芹は怖くなって、逃げようとした。だけど。 キイ、カタン。 金属の軋みとタイヤのゴムの音が響いてしまった。 「逃げる気か?その足で?」 「あっ、」 車椅子の側面を蹴られて、芹は横倒しに倒れてしまう。金属と床が接触する音と、カラカラカラと車輪が回る音が周囲に漏れた。 芹は這うように逃げようとしたが、当然叶うことなくあっさりと捕まってしまう。 「止めて…!離してえ!!」 涙を零しながら、懇願する芹を見て男たちは笑った。 「本当、亡霊みたいなやつだな。イリヤが気の毒だ。」 「…イーリャ…!」 「イーリャ?何、イリヤの事?…気安く呼んでんじゃねえよ。」 不意に一人の男が芹の柔らかな腹を蹴った。芹は咳き込み、身体をくの字に曲げて胃の中の物を吐いてしまう。 「…っぅ、こほ…っ、」 「おい、あまりいじめ過ぎんな。萎える。」 「はいはい。悪りぃ。」 芹は両手首を取られ、拘束された。痛みと息苦しさに芹は涙目で見あげる。 「お前、自分が何なのか知りたいんだろ?教えてやるよ。」 そう言いながら、わざとゆっくり服を脱がされていく。これから起こることが芹にはわからず、只々涙を零して泣いた。怖くて、もう声は出ない。 ガチャリ、とドアノブが捻られる音は響いた。そこには、イリヤが呆然と突っ立っていた。 一瞬、何が行われているのかわからなかった。ただ、涙を零す芹とそれを組み敷く男たち。―…過去のバレエ仲間。 目の前が真っ赤に染まり、ぐるぐると足場が無くなる感覚。 「イリヤ、久しぶりだな。」 一人がイリヤに話しかけてくる。まるで、何もなかったかのように。 「…。」 「俺たちと一緒に、麓に降りないか?こんな陰気なところ、あんたには似合わないよ。」 「ああ。また、イリヤのバレエ」を見せてくれよ。」 何を言っているのか、わからない。ただ一つわかることは芹を泣かせ、傷付けたこと。 「イリ―…、」 鋭い拳が、一人の男の顔面を捕えた。骨と骨がぶつかる鈍い音が響く。 「芹に、」 崩れ落ちたところをさらに、体重を込めて蹴っ飛ばす。 「―…触るな。」 イリヤの瞳に感情はなかった。 イリヤは容赦なく、芹を傷付ける者たちに暴力をふるった。何も聞き入れず、イリヤの拳は皮膚が破れて血が滲んだ。その光景を見て、芹は怯えた。 「…やめて…。」 か細い声は届かない。 「お願い、止めて…。」 逃げようとする男たちを、追おうとするイリヤ。 「イリヤ、やめて!!」 「!」 びくりとイリヤの肩が震えた。そしてゆっくりと芹の方を見た。男たちはその間に逃げ出した。 急に静寂が戻る部屋で二人、見つめ合った。 「イリヤ…やめて。お願い、君だけは…。」 「芹…?俺のことが分かるの。」 「イリ…ヤ…、」 芹は泣きながら、ゆっくりと床に崩れた。 「芹?芹!」 頭を打ちつける前に、芹を抱きかかえることに成功する。芹の身体は酷く熱くて、体温が高いことがわかった。恐らく、ショック性のものだろう。イリヤは、芹を自分の上着に包むと寝室に運んだ。 芹は記憶を取り戻したかもしれない。自分の事を、「イリヤ」と呼んだ。また、君に会えるのだろうか。会えたら話したいことがたくさんある。謝りたいこともある。 君に会いたい。 ベッドに寝かせると、イリヤは優しく優しくその髪の毛を梳いた。どの位、そうしていただろう。芹の瞼が開かれた。 「芹?」 「…イーリャ…。」 芹がふわりと微笑んだ。 芹。 俺たちは、恋人同士だった。

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