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第7話 あのころ
バレエのレッスンルームから見える道端の微妙な距離の男女のペア。
「…これから告白、なのかな。」
俯く女の子。
緊張している男の子。
もどかしい時間が過ぎて、やがて二人は手を繋いで帰っていく。
「おめでとう。…恋が実ったんだね。」
青春の1ページを見た気がして、芹は微笑ましい気持ちで見送った。
頬を片手について、賑やかだな、と。そう思う。
異国の地に降り立って二か月。祝日の今日はレッスンルームに芹がたった一人だった。温かい日差しと、外の少々の騒がしさが絶妙な子守歌になって、芹はとろとろ眠ってしまった。
温かい。
どの位眠っていたかわからないが、ただその心地よさに目が覚めた。ふと気が付いたら、肩に上着がかけられていた。どうやらこの温度は上着によるものらしい。芹はそっと隣の気配を探る。
手を伸ばせば届く距離に、イリヤが静かに本を読んでいた。珍しく真剣な表情で、本を開くイリヤをずっと見ていたくて敢えて、寝ているふりをすることにした。
柔らかな光が差し、イリヤの髪の毛が銀色に透けて見える。横顔は凛々しい。
ぱら、ぱら、とゆっくりページをめくる音が響く。それは写真で切り取ったかのような光景だった。
そして、ふと名前を呼びたくなった。
「…イリヤ…。」
「…あ。起きた?芹。」
イリヤはぱたんと本を閉じて、芹を見た。そして芹の髪の毛を優しく梳いた。
「起こしてくれて、構わなかったのに。」
「勿体ないでしょ。」
はは、とイリヤは笑った。
「せっかく芹が無防備に寝てるんだから。」
そう言いながら、イリヤは芹の柔らかい髪の毛を撫でつける。優しく慈しむその手付きに思わず甘えてしまいそうになる。
外を見れば、夕日が零れて街を朱に染めていた。ビルの玄関、庭、建物屋内から誰の声も聞こえない。
まるで、イリヤと芹の二人だけが取り残された世界だった。
「静かだね。もう、帰ろうかな。」
「んー。うん。そうだね。」
「イリヤは帰らないの?」
「帰るよ。一世一代の告白をしてからね。」
「?」
そういうと徐に、イリヤは芹ごとカーテンで包み込んでしまう。刹那、目に見える背景は真白いものとなった。
「あのね、芹。」
「…はい。」
芹は小首を傾げる。イリヤはぐっと一回、唇を噛み締めた。瞳は淡く揺らめいていて、一瞬、泣いているのかと思った。でもその眼差しは真直ぐに芹に向けられている。
「芹が好きです。」
「…!」
「ごめん…。迷惑なのは、わかってる。でも俺、この恋にかけてるから。芹に当たって砕けたい。」
「…。」
「一目見て、気になって仕方なくて。話して、一緒に踊って、俺…好きになった。」
「え、と。」
「今までの芹に対しての称賛は、色目じゃないと言うことは覚えていて。」
「…。」
「そ、それだけっ!」
イリヤはそう叫んで、カーテンの世界から逃げようとした。芹は慌てて、イリヤの服の裾を掴むことに成功した。
「待って!」
「…っ。」
イリヤは足を止めたものの、俯いて振り向かない。僅かに肩が震えている。
「あの、僕の話も聞いて、ほしい。」
「…何?」
「僕も、君が好きです。」
芹の静かな声に、イリヤがそっと窺うように振り向いた。
「俺の『好き』は、恋愛感情としてっスよ?」
「うん。」
「手、繋ぎたいし、キスだってしたい。それ以上だって、望んじゃうんだよ。」
「うん。僕だって…望むところだ。」
「…ほんと?」
こくりと頷いて見せると、イリヤがやっと目を合わせた。そしてゆっくりとした足つきで、芹の元へ戻ってくる。
「キスしても、いい?」
「はい…。」
徐々に近づくイリヤの顔。彼の前髪が睫毛にかかり、思わず目をつぶってしまう。そしてその刹那、唇に温かく柔らかいものが当たった。
きらきらと星が散ったように瞼の裏に光が散った。
ちゅ、と離れていく体温が名残惜しくて、芹は手を伸ばす。そしてイリヤを抱きしめた。呼吸をするとイリヤの香りが肺一杯に満ちた。
「せ、芹…?」
「はい?…あ、ごめんね。」
芹がイリヤの動揺を察し、ぱっと離れようとすると慌てて止められた。
「あ、う。ごめん、でも離れないで。」
「イリヤ…?」
「嬉しくて、ごめん。謝ってばかりだ、俺。」
格好悪い…、とイリヤは呟いて、でも、解放されたかのように笑った。
「好き?」
イリヤの問いに、芹の答えは一つ。
「好きです。」
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