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1-02-1 はじめの一歩(1)
目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。
あぁ、そうだ。
僕は、高坂君と付き合うことになったんだ。
自然と口元が緩む。
ニヤニヤと微笑んでしまう。
カーテンの隙間から日の光が差し込む。
いつもの朝だけど、いつもとは違うみたい。
「もう、高坂君は起きたかな……」
僕はベッドから起き上がると、思いっきり伸びをした。
「いってきます!」
僕は家を出ると、最寄の美映留南駅へ向かう。
駅までは5分ほどの道のり。
途中、ボール遊びができるほどの広さの公園がある。
チェリー公園という名前。
このチェリー公園を通り抜けるのが近道なのだ。
公園内を見回す。
「今日はいないのかな。シロ」
僕が勝手にシロと名付けた猫。
野良猫だけど、座った姿はシャンとして行儀がいい。
もともと飼い猫だったのかもしれない。
最初にシロと出会ったのは、高校へ入学前、この町に引っ越してきた直後のこと。
僕は、春の日差しがあまりにも心地よくてベンチの上で寝ころんでいた。
ふと見ると、白猫がこっちをじっと見ている。
「どうしたの?」
「にゃー」
僕が起き上がると、白猫はさっとベンチに飛び乗り座る。
そして毛づくろいを始めた。
「あぁ、君の場所だったのか。ごめんね」
僕はそう言って、そっと、手を伸ばす。
白猫は、ちょっと警戒したけど、僕の手を嫌がることなく、撫でられるがままにしていた。
「可愛いな。お前は」
「にゃー」
しばらくの間、白猫は僕に撫でられていたが、唐突にベンチから飛び降りた。
散歩でもいくのかな?
「ちょっと待って! 僕は、最近ここに引っ越して来た、めぐむって言うんだ。よろしくね」
「にゃー」
「君の名前は、何て言うのかな?」
白猫は、首を傾げてキョトンとしている。
「うーん。白猫だから、シロ! シロって呼んでいい?」
「にゃー」
「じゃあ、決まり! またね、シロ!」
「にゃー」
シロは、振り向きざまにそう挨拶をすると、そのままどこかに行ってしまった。
それから、何度かシロと僕はこの公園で触れ合った。
僕がここに引っ越してきて最初の友達……。
美映留南駅から、高校の最寄駅までは、途中の美映留中央駅で乗り換える。
最寄駅を降りて、学校までは、国道を横切り、住宅街の間に伸びる緑道を一直線。
僕は、通学路を歩きながら、つい高坂君の姿を探してしまう。
早く高坂君に会いたい。
高坂君と話がしたい。
気持ちがはやる。
なのに、校舎が見えてくると、一転、心配になってくる。
夢って事はないよね?
本当に付き合うって言ってたかな……。
実は、聞き違いって事はない?
ああ。
不安で胸が痛い……。
校門をくぐり、昇降口に入った。
靴箱を開ける。
「あれ、なんだろう?」
僕は、上履きに挟まっていた紙切れを取り出す。
そこには、メールアドレスと『高坂』と名前が書いてあった。
あっ!
僕は急いでポケットにしまう。
あぁ、よかった……。
やっぱり夢じゃなかったんだ。
高坂君と僕はちゃんと付き合っているんだ!
僕が教室に入ると、高坂君は既に席に座っていた。
高坂君は僕の方をチラッと見ると、素知らぬ顔で仲の良いクラスメイトと話をしている。
僕は、それを横目で見つつ挨拶をしたほうがいいのかどうか、考えながら席についた。
昨日の今日で、急に仲良く接するのも変だよね。
でも、挨拶ぐらいは……。
高坂君は、どう思っているのだろう。
手紙でメールアドレスを知らせたのを思うと、付き合っていることを大っぴらにしたくないのかも。
手紙!?
あぁ、そうだ。
僕は、ポケットから先ほどの紙切れを取り出し、早速スマホにメッセージをうった。
『おはよう、高坂君』
高坂君のスマホが震えたようだ。
高坂君は、「ちょっとまって!」と友達との会話を中断すると、スマホをズボンから取り出す。
なんだよ、彼女か? という、友達の冷やかしを受け流しながら、メールを打つ。
僕に着信があった。
『おはよう、青山。今日の帰り、駅向こうのカフェで会えない?』
僕は、目を見張る。
これって、デート……だよね?
嬉しさで、体が熱くなってくる。
僕は、すぐに『いいよ』の返信を打つ。
高坂君はちらっとスマホの着信を確認すると、そのまま友達と話をつづけた。
放課後になった。
今日は、ずっと、帰りが楽しみでしかたがなかった。
早く、高坂君と話がしたい。
待ちきれない。
高坂君は、部活のミーティングがあるようで、僕に目配せをする。
うん。
わかっているよ。
先に行っているからね。
僕はそそくさと、教室を出て昇降口へ向かった。
カフェではドリンクだけを注文して窓際の席に座った。
窓越しに、街ゆく人たちを眺める。
「はぁ、早く、高坂君来ないかなぁ……」
何度目かのため息をついたところで、高坂君の姿が目に入る。
「高坂君!」
思わず声が出てしまう。
窓越しに、手を振る。
気付いて!
高坂君がこちらを見る。
ニコッと微笑むと小走りでこちらに向かって来た。
人生初のデートが、ずっと憧れだった高坂君だなんて……。
冷静に考えると、これって奇跡だよね?
目頭が熱くなるのが分かった。
しばらくして、高坂君はドリンクを片手に現れた。
「ごめん。お待たせ。待った?」
「ううん。大丈夫」
目尻を擦って、高坂君を迎える。
高坂君は、スッと僕の隣に座った。
横目でそっと見る。
やばい。
本物の高坂君だ。
心臓の鼓動が早くなる。
教室とは全く違う。
そう。
近いんだ。
こぶしひとつ分の距離。
肩が触れ合いそう……。
僕の心臓の音、聞こえてないよね?
高坂君の息づかいが分かる。
少し息を弾ませている。
そっか。
走って来てくれたんだ。
嬉しい……。
「青山、やっとゆっくり話せるな」
「うっ、うん」
「学校ではちょっと冷たい態度をとっちゃったけど、ごめんな」
「ううん。大丈夫」
高坂君は、片目をつぶって微笑む。
トクン……。
はぁ、こんな優しい表情で僕を見てくれるなんて……。
本当に夢のよう。
僕は、自分を落ち着かせるように胸に手を置いた。
学校での当たり障りの無い会話をした。
いままでの僕だったら、緊張して到底会話にならなかっただろう。
でも、昨日の事があったら、思いのほか自然に話す事ができた。
「ちょっと考えたんだけど……」
突然、高坂君は、真剣な顔つきでそう話を切り出した。
「俺達が付き合っている事は秘密にしたいんだ……」
えっ?
僕は、一瞬驚いたけど、すぐにピンときた。
高坂君が僕を説得しようとした時に言ったこと。
男同士のカップルは、周りを不快にさせてしまう。
そして、気持ち悪がれて最終的には居場所がなくなってしまう。
「高坂君、それって僕達が仲間外れになってしまうからってこと?」
「ああ、そうだ」
「ぼっ、僕は、高坂君となら、仲間外れになっても構わないよ!」
「ははは。俺はともかく、青山がいじめに合うのは嫌なんだよ……青山は、秘密で俺と付き合うのは嫌か?」
僕は、首を横にふった。
「ううん。二人だけの秘密でいいよ」
いいに決まっている。
高坂君と僕だけの秘密……。
ああ、なんて心地よい響き。
「うん。よかった。それでな、クラスでは少し距離を置いたほうがいいと思うんだ。ボロが出ないようにしたい」
そっか。
それで、今朝はあまり僕とコミュニケーションを取ろうとしなかったのか……。
高坂君は、僕と真剣に付き合おうとしてくれているんだ。
嬉しいのと反面、自分が恥ずかしくなった。
僕は、高坂君と会いたいとか、話したいとか、そんなことばかり考えていた事に気付いたから……。
「高坂君、僕は高坂君の考えに賛成するよ」
高坂君は、少し顔をしかめる。
「なぁ、その『高坂君』っていうのやめにしないか。雅樹って呼んでよ」
「えっ?」
ちょ、ちょっと。
びっくりしてドリンクを吹き出しそうになる。
いきなり下の名前で?
仲の良い男同士なら普通なのかもしれない。
だけど、好きな人の下の名前となると話は違う。
恥ずかしい。
でも、言ってみたい……。
僕は、勇気を出して口に出す。
「まっ、雅樹くん……」
高坂君は、苦笑する。
「いや、『くん』もいらない。呼び捨てで。俺は、青山のことは『めぐむ』って呼ぶからさ。いいだろ? めぐむ」
めぐむ……。
高坂君の口から僕の名前が出てくるなんて。
しかも呼び捨て。
僕は、かーっと顔が熱くなる。
恥ずかしい……。
恥ずかしいけどそれ以上に嬉しい……。
僕はうつむく。
高坂君との距離が一機に近づいた、そんな気がする。
「分かったよ……雅樹」
僕は思い切ってそう言った。
「おう!」
高坂君、いや雅樹は、そう答えると、「でも、ちょっと恥ずかしいな」と照れくさそうに笑った。
僕は、そうだね。
と笑いながら、雅樹の無邪気な笑顔を眩しく見つめていた。
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